婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです

鷹 綾

文字の大きさ
12 / 32

第十二話 訪問者

しおりを挟む
第十二話 訪問者

別邸の門が、静かに開く音がした。

午後の空は曇っている。
風もなく、どこか息苦しい空気。

「お客様でございます」

侍女が控えめに告げる。

「どなた?」

「……カイル殿下です」

一瞬、手が止まる。

けれど動揺はしない。

「お通しして」

応接間に向かう。

そこに立っていたのは、以前と変わらぬ王太子の姿。

豪奢な装い。
自信に満ちた表情。

ただ、わずかに焦りの影が見えた。

「久しいな、リュシエンヌ」

「ご無沙汰しております、殿下」

丁寧に礼をする。

婚約者ではない。
ただの公爵令嬢として。

「体調は問題ないか」

「ええ」

短い沈黙。

カイルが視線を逸らす。

「昨日、父上からいくつか質問を受けた」

「そうですか」

「共同事業の進捗についてだ」

わたくしは目を伏せる。

「滞りなく進んでおります」

「その、詳細だ」

彼は咳払いをする。

「君が管理していた部分が多いと聞いた」

やはり。

「はい」

「書類が見当たらない」

「必要なものは持ち出しました」

静かに答える。

嘘ではない。

「持ち出した?」

カイルの眉が寄る。

「なぜだ」

「わたくしの担当分でしたので」

当然のこと。

けれど、彼にとっては予想外だったのだろう。

「それでは、今後の進行に支障が出る」

「ご指示があれば、引き継ぎいたします」

「……」

彼は言葉を探している。

「君は……怒っているのか」

「いいえ」

「ならば、なぜ」

なぜ。

「殿下のご判断でございます」

それ以上でも、それ以下でもない。

カイルは苛立つように歩き回る。

「私は、必要な決断をしただけだ」

「承知しております」

「王太子妃には華がいる」

「そうでしょうね」

「セシリアはそれを持っている」

「ええ」

そのたびに、彼の顔が曇る。

反論を期待しているのだ。

泣き叫び、縋り、非難する姿を。

それがあれば、彼は安心できる。

自分の選択が正しかったと。

「君は……なぜ何も言わない」

「申し上げることがありませんもの」

その静けさが、彼を不安にさせる。

「父上は結果を求めている」

「結果は出ます」

「どういう意味だ」

「流れは変わりません」

今は、まだ。

カイルは机の上の帳簿に目を向ける。

「これを戻せ」

「正式な依頼書をいただければ」

「依頼書だと?」

「婚約者ではございませんので」

その一言で、空気が変わる。

彼は初めて、はっきりと不快を示した。

「君は変わったな」

「そうでしょうか」

「以前は、もっと素直だった」

以前は。

黙っていた。

我慢していた。

「わたくしは、役目を果たしていただけです」

カイルは数秒、黙り込む。

「……セシリアは忙しい」

「存じております」

「王太子妃教育も始まった」

「素晴らしいことです」

彼の顔が、わずかに歪む。

「彼女は数字に強くない」

「そうですか」

「君が補佐するのが自然だ」

自然。

その言葉に、胸の奥が冷える。

「お断りいたします」

静かに、しかしはっきりと。

カイルの目が見開かれる。

「何だと」

「婚約は解消されました」

「それとこれとは別だ」

「別ではございません」

はじめて、視線をまっすぐに合わせる。

「わたくしは、公爵家の一員として動いております」

「公爵家は王家に従う」

「契約は対等です」

空気が凍る。

カイルの頬がわずかに紅潮する。

「……君は冷たいな」

「そうかもしれません」

彼はそれ以上言えなかった。

「いずれ後悔するぞ」

「それは、どちらがでしょう」

小さな言葉。

けれど、はっきりと届く。

カイルは踵を返す。

「正式な文書を送る」

「お待ちしております」

扉が閉まる。

足音が遠ざかる。

静寂が戻る。

わたくしは椅子に座る。

胸は静かだ。

怒りはない。

ただ。

ひとつだけ、はっきりした。

彼はもう、わたくしを理解しない。

理解する気もない。

そして。

わたくしも、彼を支える義務はない。

帳簿を閉じる。

別邸の空気は、変わらない。

けれど。

流れは、確実に動き始めている。

訪問者は去った。

残されたのは、選択の結果。

そして。

わたくしの、静かな拒絶だけだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来

鍛高譚
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」 婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。 王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。 アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。 だが、彼女は決して屈しない。 「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」 そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。 ――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。 彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」

『「君は飾りだ」と言われた公爵令嬢、契約通りに王太子を廃嫡へ導きました』

ふわふわ
恋愛
「君は優秀だが、王妃としては冷たい。正直に言えば――飾りとしては十分だった」 そう言って婚約者である王太子に公然と切り捨てられた、公爵令嬢アデルフィーナ。 さらに王太子は宣言する。 「王家は外部信用に頼らない」「王家が条文だ」と。 履行履歴も整えず、契約も軽視し、 新たな婚約者と共に“強い王家”を演出する王太子。 ――ですが。 契約は宣言では動きません。 信用は履歴の上にしか立ちません。 王命が止まり、出荷が止まり、資材が止まり、 やがて止まったのは王太子の未来でした。 自ら押した承認印が、 自らの継承権を奪うことになるとも知らずに。 公然侮辱から始まる、徹底的な強ザマァ。 救済なし。 やり直しなし。 契約通りに処理しただけですのに―― なぜか王太子が廃嫡されました。

君のためだと言われても、少しも嬉しくありません

みみぢあん
恋愛
子爵家令嬢マリオンの婚約者アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は……    暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓

王太子に婚約破棄されたけど、私は皇女。幸せになるのは私です。

夢窓(ゆめまど)
恋愛
王太子に婚約破棄された令嬢リリベッタ。 「これで平民に落ちるのかしら?」――そんな周囲の声をよそに、本人は思い出した。 ――わたし、皇女なんですけど? 叔父は帝国の皇帝。 昔のクーデターから逃れるため、一時期王国に亡命していた彼女は、 その見返りとして“王太子との婚約”を受け入れていただけだった。 一方的に婚約破棄されたのをきっかけに、 本来の立場――“帝国の皇女”として戻ることに決めました。 さようなら、情けない王太子。 これからは、自由に、愛されて、幸せになりますわ!

【完結】恋人にしたい人と結婚したい人とは別だよね?―――激しく同意するので別れましょう

冬馬亮
恋愛
「恋人にしたい人と結婚したい人とは別だよね?」 セシリエの婚約者、イアーゴはそう言った。 少し離れた後ろの席で、婚約者にその台詞を聞かれているとも知らずに。 ※たぶん全部で15〜20話くらいの予定です。 さくさく進みます。

親切なミザリー

みるみる
恋愛
第一王子アポロの婚約者ミザリーは、「親切なミザリー」としてまわりから慕われていました。 ところが、子爵家令嬢のアリスと偶然出会ってしまったアポロはアリスを好きになってしまい、ミザリーを蔑ろにするようになりました。アポロだけでなく、アポロのまわりの友人達もアリスを慕うようになりました。 ミザリーはアリスに嫉妬し、様々な嫌がらせをアリスにする様になりました。 こうしてミザリーは、いつしか親切なミザリーから悪女ミザリーへと変貌したのでした。 ‥ですが、ミザリーの突然の死後、何故か再びミザリーの評価は上がり、「親切なミザリー」として人々に慕われるようになり、ミザリーが死後海に投げ落とされたという崖の上には沢山の花が、毎日絶やされる事なく人々により捧げられ続けるのでした。 ※不定期更新です。

砕けた愛

篠月珪霞
恋愛
新婚初夜に男に襲われた公爵令嬢エヴリーヌは、不義密通の罪を被せられた。反逆罪に問われた彼女の一族は処刑されるが、気付くと時間が巻き戻っていた。 あなたへの愛? そんなものとうに、砕け散ってしまいました。

処理中です...