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第二十三話 支えないという責任
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第二十三話 支えないという責任
王宮では、静かな違和感が、少しずつ“当たり前”になりつつあった。
誰かが整えてくれる前提は、もうない。
だから、決める。
だから、失敗する。
そして、だから――学ぶ。
王太子ユリウスは、朝の会議を終え、執務室に戻る途中で足を止めた。
回廊の向こうから聞こえる、官吏たちの会話が耳に入る。
「……今回は、こちらで案をまとめたそうです」
「ええ。
殿下に“決めていただく前”に、
最低限の整理は済ませておく、と」
その言葉に、ユリウスは小さく息を吐いた。
(……ようやく、だ)
遅いかもしれない。
不格好かもしれない。
それでも、誰かに頼らずに動こうとする意思は、確かに芽吹いている。
執務室に戻ると、机の上に一通の報告書が置かれていた。
地方からの嘆願書だ。
これまでなら、波風を立てない形に整えられ、
“判断しやすい結論”だけが残されていた。
今は違う。
賛否が並び、
不都合な点も、そのまま記されている。
「……逃げていないな」
誰にともなく呟き、
ペンを取る。
時間はかかる。
だが、自分で決める。
それが、王太子としての責任だ。
一方、新しい婚約者は、孤児院への訪問を終え、
王宮へ戻る馬車の中で、静かに考えていた。
(……支える、というのは)
相手の代わりに動くことではない。
全部を引き受けることでもない。
話を聞き、
必要な場所へ繋ぎ、
続けられる形を作ること。
孤児院では、彼女が“決める”場面はほとんどなかった。
だが、“続ける”ための約束は、いくつか生まれた。
物資の定期支援。
人手の確保。
季節ごとの状況確認。
小さく、地味で、
拍手も起きない。
それでも――
(……私には、これが合っている)
比べられない場所。
代わりにならなくていい役割。
その確信が、
彼女の表情を、少しだけ柔らかくしていた。
一方、ヴァイセル公爵家。
市場から戻ったリュシエンヌは、
買ってきた品を机に並べていた。
保存の利く食材。
領地で作られている織物。
小さな工房の道具。
(……数字だけでは、分からないものですわね)
帳簿には、利益と損失しか載らない。
だが、市場には、人の声と事情がある。
「……この織物、
少し手を入れれば、
もっと売れそうですわ」
侍女が驚いた顔をする。
「お嬢様が、商いに?」
「遊びですわ。
ただ、気になっただけ」
“役割”ではない。
“義務”でもない。
興味が湧いたから、考える。
それだけだ。
その日の夕方、
リュシエンヌのもとに、
一通の書簡が届いた。
王宮からではない。
地方の小貴族からだ。
内容は、簡潔だった。
――王宮が揺れる中、
――どこに身を置くべきか、迷っている。
――助言が欲しい。
読み終え、
彼女は静かに紙を畳む。
(……助言、ですか)
以前なら、
いくつもの選択肢を示し、
最善に近い道を用意しただろう。
だが、今は違う。
ペンを取り、
短く書き記す。
――ご自身で選ぶことを、
――お勧めします。
――誰かの判断に乗るより、
――失敗しても、納得できますから。
それだけだった。
冷たいとも、
無責任とも、
取られるかもしれない。
だが、彼女は知っている。
支え続けることは、
相手の成長を奪うこともある。
王宮では、
小さな失敗が、いくつか起きていた。
判断の遅れ。
調整不足。
不用意な発言。
だが――
誰かを呼び戻そうとする声は、
もう上がらない。
代わりに、
会議の後に、こんな言葉が聞こえるようになった。
「……次は、
どう修正する?」
責任の所在を探すより、
次を考える。
それは、
痛みを伴うが、健全な変化だった。
夜。
リュシエンヌは、窓辺で紅茶を飲みながら、
今日一日を振り返る。
誰も救っていない。
誰も導いていない。
それでも、
胸は、不思議と静かだった。
「……支えない、というのも、
責任なのですね」
誰かに依存されないための距離。
自分を守るための線。
それは、逃げではない。
王太子は、
自分の判断で、
自分の王宮を作ろうとしている。
新しい婚約者は、
比べられない場所で、
自分の役割を育て始めている。
そして、
リュシエンヌは――
誰の支えにもならない場所で、
自分の人生を、静かに組み立てている。
それぞれが、
他人の肩を借りずに立つ。
その不器用な姿こそが、
崩れた後の世界に必要な、
唯一の“再生”だった。
第二十三話の終わりに、
誰かが、王宮でこう呟いた。
「……支えが消えたからこそ、
見えたものがあるな」
その言葉は、
責めでも、後悔でもない。
ただの、
事実の確認だった。
そしてその事実は、
もう、
誰にも覆せなかった。
王宮では、静かな違和感が、少しずつ“当たり前”になりつつあった。
誰かが整えてくれる前提は、もうない。
だから、決める。
だから、失敗する。
そして、だから――学ぶ。
王太子ユリウスは、朝の会議を終え、執務室に戻る途中で足を止めた。
回廊の向こうから聞こえる、官吏たちの会話が耳に入る。
「……今回は、こちらで案をまとめたそうです」
「ええ。
殿下に“決めていただく前”に、
最低限の整理は済ませておく、と」
その言葉に、ユリウスは小さく息を吐いた。
(……ようやく、だ)
遅いかもしれない。
不格好かもしれない。
それでも、誰かに頼らずに動こうとする意思は、確かに芽吹いている。
執務室に戻ると、机の上に一通の報告書が置かれていた。
地方からの嘆願書だ。
これまでなら、波風を立てない形に整えられ、
“判断しやすい結論”だけが残されていた。
今は違う。
賛否が並び、
不都合な点も、そのまま記されている。
「……逃げていないな」
誰にともなく呟き、
ペンを取る。
時間はかかる。
だが、自分で決める。
それが、王太子としての責任だ。
一方、新しい婚約者は、孤児院への訪問を終え、
王宮へ戻る馬車の中で、静かに考えていた。
(……支える、というのは)
相手の代わりに動くことではない。
全部を引き受けることでもない。
話を聞き、
必要な場所へ繋ぎ、
続けられる形を作ること。
孤児院では、彼女が“決める”場面はほとんどなかった。
だが、“続ける”ための約束は、いくつか生まれた。
物資の定期支援。
人手の確保。
季節ごとの状況確認。
小さく、地味で、
拍手も起きない。
それでも――
(……私には、これが合っている)
比べられない場所。
代わりにならなくていい役割。
その確信が、
彼女の表情を、少しだけ柔らかくしていた。
一方、ヴァイセル公爵家。
市場から戻ったリュシエンヌは、
買ってきた品を机に並べていた。
保存の利く食材。
領地で作られている織物。
小さな工房の道具。
(……数字だけでは、分からないものですわね)
帳簿には、利益と損失しか載らない。
だが、市場には、人の声と事情がある。
「……この織物、
少し手を入れれば、
もっと売れそうですわ」
侍女が驚いた顔をする。
「お嬢様が、商いに?」
「遊びですわ。
ただ、気になっただけ」
“役割”ではない。
“義務”でもない。
興味が湧いたから、考える。
それだけだ。
その日の夕方、
リュシエンヌのもとに、
一通の書簡が届いた。
王宮からではない。
地方の小貴族からだ。
内容は、簡潔だった。
――王宮が揺れる中、
――どこに身を置くべきか、迷っている。
――助言が欲しい。
読み終え、
彼女は静かに紙を畳む。
(……助言、ですか)
以前なら、
いくつもの選択肢を示し、
最善に近い道を用意しただろう。
だが、今は違う。
ペンを取り、
短く書き記す。
――ご自身で選ぶことを、
――お勧めします。
――誰かの判断に乗るより、
――失敗しても、納得できますから。
それだけだった。
冷たいとも、
無責任とも、
取られるかもしれない。
だが、彼女は知っている。
支え続けることは、
相手の成長を奪うこともある。
王宮では、
小さな失敗が、いくつか起きていた。
判断の遅れ。
調整不足。
不用意な発言。
だが――
誰かを呼び戻そうとする声は、
もう上がらない。
代わりに、
会議の後に、こんな言葉が聞こえるようになった。
「……次は、
どう修正する?」
責任の所在を探すより、
次を考える。
それは、
痛みを伴うが、健全な変化だった。
夜。
リュシエンヌは、窓辺で紅茶を飲みながら、
今日一日を振り返る。
誰も救っていない。
誰も導いていない。
それでも、
胸は、不思議と静かだった。
「……支えない、というのも、
責任なのですね」
誰かに依存されないための距離。
自分を守るための線。
それは、逃げではない。
王太子は、
自分の判断で、
自分の王宮を作ろうとしている。
新しい婚約者は、
比べられない場所で、
自分の役割を育て始めている。
そして、
リュシエンヌは――
誰の支えにもならない場所で、
自分の人生を、静かに組み立てている。
それぞれが、
他人の肩を借りずに立つ。
その不器用な姿こそが、
崩れた後の世界に必要な、
唯一の“再生”だった。
第二十三話の終わりに、
誰かが、王宮でこう呟いた。
「……支えが消えたからこそ、
見えたものがあるな」
その言葉は、
責めでも、後悔でもない。
ただの、
事実の確認だった。
そしてその事実は、
もう、
誰にも覆せなかった。
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