『婚約破棄?結構ですわ。わたくしは何もしないで生きていきます』

鷹 綾

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第二十二話 それぞれの居場所

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第二十二話 それぞれの居場所

 王宮の空気は、少しだけ変わっていた。

 以前のような緊張感はない。
 だが、完全な安心もない。
 代わりに漂っているのは、手探りの静けさだった。

 王太子ユリウスは、執務室で書類に目を通しながら、ふと手を止める。

(……一つずつ、か)

 かつては、
 全体を一気に整えようとしていた。
 問題が起きる前に潰し、
 波風が立つ前に均す。

 だが、それは――
 誰かが、裏で支えてくれていたからできたことだ。

 今は違う。

 一つ判断し、
 一つ責任を取り、
 一つ失敗するかもしれない。

 それでも、前に進むしかない。

「……次は、この案件だな」

 声に出して確認し、
 自分で朱を入れる。

 完璧ではない。
 だが、逃げていない。

 それだけで、
 胸の奥に、小さな手応えが生まれていた。

 一方、新しい婚約者は、
 王宮の外に出ていた。

 馬車で向かった先は、
 先日訪れた孤児院。

「……また、来てくださったのですか?」

 驚き混じりの声に、
 彼女は少し照れながら頷く。

「はい。
 前回のお話が、気になって……」

 華やかな衣装は身につけていない。
 簡素なドレス。
 それでも、
 視線はまっすぐだった。

 子どもたちの様子を見て、
 現場の人の話を聞く。

 誰も、
 彼女に“答え”を求めない。
 だからこそ、
 考える余地があった。

(……ここなら)

 王太子の婚約者としてではなく、
 一人の人間として、
 関われる場所。

 それが、
 少しずつ、
 彼女の中で形になり始めていた。

 王宮に戻る馬車の中で、
 彼女は、静かに思う。

(……比べられない場所に、
 行けばいいのね)

 誰かの代わりになろうとするから、
 苦しくなる。

 自分にできることを、
 自分の場所でやればいい。

 答えは、
 意外なほど、
 近くにあった。

 一方、ヴァイセル公爵家。

 リュシエンヌは、
 屋敷の門をくぐり、
 外へ出ようとしていた。

「……本当に、
 市場へ行かれるのですか?」

 侍女の問いに、
 彼女は、少し笑う。

「ええ。
 ただ、歩いてみたいだけですわ」

 護衛は最低限。
 視察というほど、
 大げさではない。

 市場は、
 思っていたよりも賑やかだった。

 商人の呼び声。
 人々の会話。
 生活の匂い。

(……王宮とは、
 まるで違う世界)

 当たり前だ。
 ここは、
 “生きる場所”だ。

 値段交渉に笑う人。
 商品を選ぶ真剣な目。
 小さな失敗に、肩をすくめる商人。

 そこには、
 完璧も、
 理想もない。

 ただ、日常がある。

「……楽しいですわね」

 思わず漏れた言葉に、
 侍女が驚いた顔をする。

「楽しい、ですか?」

「ええ。
 誰も、
 わたくしに期待していませんもの」

 王太子妃候補として。
 調整役として。
 便利な存在として。

 そのどれでもない。

 ただの一人の人間として、
 ここに立っている。

 それが、
 こんなにも軽いとは、
 知らなかった。

 王宮では、
 王太子が、
 新しい配置案を確認していた。

 大きな改革ではない。
 小さな再配置。

 それでも、
 “誰が何を担うのか”を、
 明確にする。

「……これで、
 少しは、回るだろう」

 呟きながら、
 ふと、思う。

(……彼女は、
 ここにはいない)

 だが、
 もう、
 引き戻したいとは思わなかった。

 それぞれが、
 それぞれの場所で、
 立つしかない。

 新しい婚約者は、
 孤児院との定期的な訪問を決め、
 小さな役割を見つける。

 王太子は、
 不完全なまま、
 責任を引き受ける。

 そして――
 リュシエンヌは、
 市場の喧騒の中で、
 静かに確信していた。

(……ここが、
 わたくしの居場所、
 というわけではありません)

 だが、
 “居場所は、
 一つでなくていい”
 ということを、
 ようやく理解した。

 王宮の外にも、
 人生はある。

 王宮の中にも、
 それぞれの人生がある。

 誰かの支えにならなくても、
 誰かに支えられなくても、
 人は、生きていける。

 第二十二話の終わりに、
 三人は、
 それぞれの場所で、
 同じ結論に辿り着きつつあった。

 ――居場所は、
 与えられるものではなく、
 選ぶものなのだと。

 その選択は、
 まだ完成していない。

 だが、
 もう、後戻りすることもない。

 それぞれの居場所は、
 静かに、
 確かに、
 形を取り始めていた。
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