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第二十六話 選ばないという自由
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第二十六話 選ばないという自由
朝、リュシエンヌは久しぶりに寝坊をした。
正確には、
起こされても、起きなかった。
「……あと少しだけ」
そう呟いて、
再び目を閉じる。
夢を見ていたわけではない。
ただ、体が「今日は急がなくていい」と告げていた。
侍女は無理に起こさず、
そっとカーテンを閉め直す。
屋敷は、静かに動き続ける。
主が目を覚ましていなくても、
問題は起きない。
その事実が、
以前のリュシエンヌなら、
胸を締めつけただろう。
(……役に立っていない)
(……必要とされていない)
そんな焦燥が、
常に背中を押していた。
だが今は、
その静けさの中に、
奇妙な安心があった。
昼近くになって、
ようやく起き上がる。
簡素な食事をとり、
特に用事もなく、
窓辺に腰を下ろす。
書類は積まれていない。
書簡も、急ぎではない。
(……今日は、
何を“しない”かを選ぶ日)
そう考えると、
不思議と気が楽だった。
一方、王宮。
ユリウスは、
連日の対応で、
少し疲れた顔をしていた。
反発は続いている。
だが、以前ほど苛立ちはない。
「……殿下、
こちらの件ですが」
側近が差し出す案は、
まだ荒削りだった。
以前なら、
「もっと詰めろ」と突き返しただろう。
今は違う。
「……このまま、
一度、走らせてみよう」
側近が目を見開く。
「よろしいのですか?」
「完璧を待っていたら、
何も進まない」
失敗するかもしれない。
だが、その失敗は、
自分の責任だ。
誰かに背負わせるものではない。
その姿勢が、
少しずつ、
周囲にも伝わり始めていた。
一方、新しい婚約者は、
孤児院から届いた報告書を、
静かに読み終える。
特別な成果はない。
大きな改善もない。
だが、
問題も起きていない。
(……それで、いい)
続いていること。
壊れていないこと。
それ自体が、
価値なのだと、
彼女は学びつつあった。
午後、
リュシエンヌのもとに、
再び書簡が届く。
今度は、
以前助言を求めてきた小貴族からだった。
――ご助言どおり、
――自分で決めました。
――結果は、まだ分かりませんが、
――納得しています。
短い文面。
感謝の言葉も、
称賛もない。
だが、
それで十分だった。
「……よかったですわ」
リュシエンヌは、
そう呟いて、
書簡を机に置く。
返信は、書かない。
それもまた、
“選ばない”という選択だ。
誰かの人生に、
踏み込みすぎない。
それは、冷たさではない。
距離を守る、
優しさだ。
夕方、
例の織物工房の試作品を、
ようやく手に取る。
触れてみて、
光にかざし、
何も言わない。
評価もしない。
指示もしない。
侍女が、
少し不安そうに尋ねる。
「……いかがでしょうか?」
リュシエンヌは、
微笑んだ。
「今日は、
感想を出しません」
驚きと同時に、
侍女は、理解した顔になる。
「……承知しました」
急がない。
決めない。
選ばない。
それは、
無責任ではない。
“今は、その時ではない”
と判断しているだけだ。
夜。
三人は、
それぞれ違う場所で、
同じことを感じていた。
決断しなかった一日。
選ばなかった一日。
だが、
何かを失った感覚は、
どこにもない。
リュシエンヌは、
灯りを落とし、
静かに息をつく。
(……選ばない自由も、
確かに、
ここにありますわ)
動くことだけが、
前進ではない。
決めることだけが、
責任でもない。
そう気づいたことで、
彼女の世界は、
また少し、
軽くなっていた。
朝、リュシエンヌは久しぶりに寝坊をした。
正確には、
起こされても、起きなかった。
「……あと少しだけ」
そう呟いて、
再び目を閉じる。
夢を見ていたわけではない。
ただ、体が「今日は急がなくていい」と告げていた。
侍女は無理に起こさず、
そっとカーテンを閉め直す。
屋敷は、静かに動き続ける。
主が目を覚ましていなくても、
問題は起きない。
その事実が、
以前のリュシエンヌなら、
胸を締めつけただろう。
(……役に立っていない)
(……必要とされていない)
そんな焦燥が、
常に背中を押していた。
だが今は、
その静けさの中に、
奇妙な安心があった。
昼近くになって、
ようやく起き上がる。
簡素な食事をとり、
特に用事もなく、
窓辺に腰を下ろす。
書類は積まれていない。
書簡も、急ぎではない。
(……今日は、
何を“しない”かを選ぶ日)
そう考えると、
不思議と気が楽だった。
一方、王宮。
ユリウスは、
連日の対応で、
少し疲れた顔をしていた。
反発は続いている。
だが、以前ほど苛立ちはない。
「……殿下、
こちらの件ですが」
側近が差し出す案は、
まだ荒削りだった。
以前なら、
「もっと詰めろ」と突き返しただろう。
今は違う。
「……このまま、
一度、走らせてみよう」
側近が目を見開く。
「よろしいのですか?」
「完璧を待っていたら、
何も進まない」
失敗するかもしれない。
だが、その失敗は、
自分の責任だ。
誰かに背負わせるものではない。
その姿勢が、
少しずつ、
周囲にも伝わり始めていた。
一方、新しい婚約者は、
孤児院から届いた報告書を、
静かに読み終える。
特別な成果はない。
大きな改善もない。
だが、
問題も起きていない。
(……それで、いい)
続いていること。
壊れていないこと。
それ自体が、
価値なのだと、
彼女は学びつつあった。
午後、
リュシエンヌのもとに、
再び書簡が届く。
今度は、
以前助言を求めてきた小貴族からだった。
――ご助言どおり、
――自分で決めました。
――結果は、まだ分かりませんが、
――納得しています。
短い文面。
感謝の言葉も、
称賛もない。
だが、
それで十分だった。
「……よかったですわ」
リュシエンヌは、
そう呟いて、
書簡を机に置く。
返信は、書かない。
それもまた、
“選ばない”という選択だ。
誰かの人生に、
踏み込みすぎない。
それは、冷たさではない。
距離を守る、
優しさだ。
夕方、
例の織物工房の試作品を、
ようやく手に取る。
触れてみて、
光にかざし、
何も言わない。
評価もしない。
指示もしない。
侍女が、
少し不安そうに尋ねる。
「……いかがでしょうか?」
リュシエンヌは、
微笑んだ。
「今日は、
感想を出しません」
驚きと同時に、
侍女は、理解した顔になる。
「……承知しました」
急がない。
決めない。
選ばない。
それは、
無責任ではない。
“今は、その時ではない”
と判断しているだけだ。
夜。
三人は、
それぞれ違う場所で、
同じことを感じていた。
決断しなかった一日。
選ばなかった一日。
だが、
何かを失った感覚は、
どこにもない。
リュシエンヌは、
灯りを落とし、
静かに息をつく。
(……選ばない自由も、
確かに、
ここにありますわ)
動くことだけが、
前進ではない。
決めることだけが、
責任でもない。
そう気づいたことで、
彼女の世界は、
また少し、
軽くなっていた。
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