ラノベでリアルに婚約破棄を描いてみたら、王家が傾いた

鷹 綾

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第一話 婚約とは、契約である

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第一話 婚約とは、契約である

 王城の回廊は、今日も静かだった。
 磨き上げられた白大理石の床に、外光が柔らかく反射している。その中を歩きながら、イザベル・ド・エノー公爵令嬢は、歩調を一分の狂いもなく保っていた。

 ここは王太子との謁見の場へと続く道だ。
 そして今日の話題は、すでに察しがついている。

 ――婚約の件。

 イザベルにとって、それは感情の問題ではなかった。
 王太子マクシミリアンとの婚約は、幼少のころから定められた国家条約であり、エノー公爵家が持つ軍事力と資金力、そして王家の正統性を結びつけるための、極めて合理的な選択だった。

 愛情など、初めから前提にない。

 それでも、王太子が最近になって見せる変化には、さすがのイザベルも小さな違和感を覚えていた。

 廊下の先で、数人の貴族令嬢たちが囁き合っている。
 その中心にいるのは、ルクレツィア・ボルジア男爵令嬢だった。

 柔らかな微笑み。
 控えめな仕草。
 誰かが話しかければ、必ず一瞬遅れて視線を伏せ、恥じらうように頷く。

 ――よくできた外面だ。

 イザベルは足を止めない。
 ルクレツィアが、こちらに気づいて一瞬だけ視線を向けた。だが、その瞳には、敬意ではなく、奇妙な余裕が宿っている。

 勝者のそれだ。

 胸の奥で、何かが静かに整列する感覚があった。
 感情ではない。状況整理だ。

(……なるほど)

 イザベルは理解した。
 王太子の変化の理由を。

 謁見室の扉が開く。

「イザベル・ド・エノー、公爵令嬢。入室を許可する」

 一歩、足を踏み入れる。
 そこには王太子マクシミリアンが立っていた。以前よりも、どこか高揚した表情を浮かべている。

「来てくれたか、イザベル」

「お招きいただき、光栄に存じます。殿下」

 形式通りの挨拶。
 マクシミリアンは、それを少しだけ煩わしそうに受け流した。

「堅いな。今日はもっと率直に話そう」

 その言葉に、イザベルは何も返さない。
 率直さを求める者ほど、率直でない結論を持ち出すことを、彼女は知っていた。

 マクシミリアンは、一歩前に出る。

「私は――真実の愛を知った」

 その言葉を聞いた瞬間、イザベルの中で、最後の点と点が結ばれた。

 真実の愛。
 この国で、その言葉が何度、どれほどの悲劇を生んできたか。
 そして、どれほど軽薄な者ほど、その言葉を好むか。

「殿下」

 イザベルは、静かに口を開いた。

「それは、婚約についてのお話でしょうか」

 マクシミリアンは頷く。

「そうだ。私は、愛なき婚姻を続けることは、王となる者として不誠実だと考えるようになった」

 彼は、自分の言葉に酔っていた。
 それが、国を揺るがす宣言であることにも気づかずに。

「王家は、もはやエノー公爵家の力に頼らずとも、国を導ける。婚姻による同盟は、不要だ」

 はっきりとした断言。
 その瞬間、イザベルは確信した。

 ――この人は、何も分かっていない。

 公爵家を、同盟者ではなく資源として見ている。
 婚約を、契約ではなく所有権だと勘違いしている。

 イザベルは、ゆっくりと息を吸った。

「……婚約破棄、ですか」

「そうだ」

 即答だった。

 イザベルは、王太子の目をまっすぐに見据える。

「その意味を、殿下はご理解のうえでおっしゃっているのでしょうか」

 一瞬、空気が止まった。

 だがマクシミリアンは笑った。

「大げさだな。婚約とは、あくまで取り決めだろう? 王家が不要と判断すれば、解消することもできる」

 その言葉を聞いた瞬間、イザベルの中で、すべてが終わった。

 説得の余地はない。
 理解を期待するのも、時間の無駄だ。

 彼女は、ゆっくりと頭を下げた。

「……承知いたしました」

 その声音に、怒りも悲しみもない。
 ただ、事務的な受諾。

 マクシミリアンは、それを勝利だと勘違いしたようだった。

「分かってくれて嬉しい。君ほどの公爵令嬢なら、理性的な判断ができると思っていた」

 イザベルは顔を上げる。

「それでは公爵は、正当な権利を求めた対応を取らせていただきます」

「……は?」

 王太子が、初めて言葉に詰まった。

 だがイザベルは、それ以上何も説明しなかった。
 説明する義務は、すでに王太子自身が放棄している。

 一礼。

「失礼いたします、殿下」

 踵を返し、謁見室を後にする。
 背後で、マクシミリアンが何かを言いかけたが、その声は届かなかった。

 回廊を歩きながら、イザベルは思う。

(これは、私個人の問題ではない)

 これは国家の問題だ。
 契約を軽んじた者が、どのような結末を迎えるのか――。

 それを、彼女が教える必要はない。

 エノー公爵家が、正当に、淡々と、示すだけだ。

 静かな足音が、王城に遠ざかっていった。
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