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第二話 沈黙が意味するもの
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第二話 沈黙が意味するもの
王城を出ると、夕刻の空は淡く曇っていた。
イザベル・ド・エノー公爵令嬢は、馬車に乗り込むまで一度も振り返らなかった。
背後にある王城は、彼女にとってもはや交渉の場ではない。
あの謁見室で、必要な確認はすべて終わっている。
――婚約は破棄された。
――理由は、真実の愛。
――そして王太子は、その意味を理解していない。
馬車が動き出す。
車輪の音が規則正しく石畳を叩く中、イザベルは膝の上に手を重ね、目を閉じた。
感情は、驚くほど静かだった。
怒りも、悲しみもない。
あるのは、冷えた思考だけ。
(最悪の理由を、最悪の形で選ばれましたね)
国家契約を、個人の恋愛で切り捨てる。
しかもそれを「高潔な決断」だと信じている。
王太子が愚かであることは、以前から分かっていた。
だが――ここまでとは。
エノー公爵邸に戻ると、すでに父であるエノー公爵が応接室で待っていた。
執務机には、まだ開かれていない封蝋付きの書簡がいくつも並んでいる。
「戻ったか、イザベル」
「はい、父上」
イザベルは無駄な前置きをしない。
父もまた、それを求めていなかった。
「婚約は、正式に破棄されました」
「理由は?」
「……真実の愛、とのことです」
一瞬、空気が張りつめる。
だがエノー公爵は、笑わなかった。眉をひそめることすらない。
「そうか」
それだけだ。
その反応に、イザベルは確信する。
父もまた、この事態をすでに理解している。
「殿下は、公爵家の力はもはや不要だと」
「ほう」
「王権は十分に強い、と」
エノー公爵は、ゆっくりと息を吐いた。
「なるほど。王太子は、王権と王位の違いを理解しておらぬらしい」
それは怒りではなく、評価だった。
「父上……」
「よい。お前は、何も間違っていない」
エノー公爵は立ち上がり、窓辺へ歩く。
広大な公爵領の方角を、静かに見据えた。
「婚約とは契約だ。
契約を破棄したのは王家の側だ」
その言葉には、断定しかなかった。
「つまり、こちらが動くのは正当だ」
イザベルは一礼する。
「私は、謁見の場でこう申し上げました。
『正当な権利を求めた対応を取らせていただく』と」
「よく言った」
エノー公爵は、初めて小さく頷いた。
「それでよい。脅しも抗議も不要だ。
我々はただ、契約に基づいて動く」
彼は机に並べられた書簡の一つを手に取る。
「これは北方の公爵からだ。
もう噂は届いている」
「……早いですね」
「王太子が公の場で“真実の愛”を口にしたからな。
愚かにも程がある」
イザベルは、ふと王城で見かけたルクレツィア・ボルジア男爵令嬢の微笑みを思い出す。
(彼女は、まだ自分が何をしてしまったのか分かっていない)
父は続ける。
「他の公爵家も動くだろう。
これはエノー家だけの問題ではない」
「王家が、契約を感情で切る前例を作った……」
「そうだ」
エノー公爵は、書簡を机に戻す。
「次は、どの家が切り捨てられるか分からぬ。
誰も、黙ってはいない」
沈黙が落ちた。
その沈黙は、恐怖ではない。
戦の前の、整然とした静けさだ。
「父上、私は――」
「お前は、何もしなくてよい」
即答だった。
「これは政治だ。
お前が前に出る必要はない」
その言葉に、イザベルは安堵したわけではない。
ただ、自分の役割を再確認しただけだ。
「王家は、廃嫡で済ませようとするかもしれません」
「だろうな」
「それでも……」
「それでは足りぬ」
エノー公爵は、淡々と言った。
「問題は王太子個人ではない。
“判断基準”そのものだ」
イザベルは、深く頷く。
王太子が退いたとしても、
同じ考えを持つ者が次に座れば、意味はない。
「教会は?」
「すでに司教が動いている」
エノー公爵は、冷静だった。
「婚約破棄に正当理由がない以上、教会は我々を支持する」
イザベルは、心の中で一つの結論に至る。
(……もう、止まらない)
これは復讐ではない。
感情でもない。
ただ、契約を破った側が、その結果を受け取るだけだ。
「イザベル」
父が、穏やかに呼ぶ。
「お前は、今日から自由だ」
「……はい」
「だが忘れるな。
自由とは、責任と対だ」
イザベルは微笑まなかった。
その言葉を、重く受け取る。
「承知しております」
夜が、公爵邸を包み込む。
その静けさの裏で、国はすでに動き始めていた。
王太子は、まだ知らない。
沈黙とは、許しではない。
それは――準備だということを。
王城を出ると、夕刻の空は淡く曇っていた。
イザベル・ド・エノー公爵令嬢は、馬車に乗り込むまで一度も振り返らなかった。
背後にある王城は、彼女にとってもはや交渉の場ではない。
あの謁見室で、必要な確認はすべて終わっている。
――婚約は破棄された。
――理由は、真実の愛。
――そして王太子は、その意味を理解していない。
馬車が動き出す。
車輪の音が規則正しく石畳を叩く中、イザベルは膝の上に手を重ね、目を閉じた。
感情は、驚くほど静かだった。
怒りも、悲しみもない。
あるのは、冷えた思考だけ。
(最悪の理由を、最悪の形で選ばれましたね)
国家契約を、個人の恋愛で切り捨てる。
しかもそれを「高潔な決断」だと信じている。
王太子が愚かであることは、以前から分かっていた。
だが――ここまでとは。
エノー公爵邸に戻ると、すでに父であるエノー公爵が応接室で待っていた。
執務机には、まだ開かれていない封蝋付きの書簡がいくつも並んでいる。
「戻ったか、イザベル」
「はい、父上」
イザベルは無駄な前置きをしない。
父もまた、それを求めていなかった。
「婚約は、正式に破棄されました」
「理由は?」
「……真実の愛、とのことです」
一瞬、空気が張りつめる。
だがエノー公爵は、笑わなかった。眉をひそめることすらない。
「そうか」
それだけだ。
その反応に、イザベルは確信する。
父もまた、この事態をすでに理解している。
「殿下は、公爵家の力はもはや不要だと」
「ほう」
「王権は十分に強い、と」
エノー公爵は、ゆっくりと息を吐いた。
「なるほど。王太子は、王権と王位の違いを理解しておらぬらしい」
それは怒りではなく、評価だった。
「父上……」
「よい。お前は、何も間違っていない」
エノー公爵は立ち上がり、窓辺へ歩く。
広大な公爵領の方角を、静かに見据えた。
「婚約とは契約だ。
契約を破棄したのは王家の側だ」
その言葉には、断定しかなかった。
「つまり、こちらが動くのは正当だ」
イザベルは一礼する。
「私は、謁見の場でこう申し上げました。
『正当な権利を求めた対応を取らせていただく』と」
「よく言った」
エノー公爵は、初めて小さく頷いた。
「それでよい。脅しも抗議も不要だ。
我々はただ、契約に基づいて動く」
彼は机に並べられた書簡の一つを手に取る。
「これは北方の公爵からだ。
もう噂は届いている」
「……早いですね」
「王太子が公の場で“真実の愛”を口にしたからな。
愚かにも程がある」
イザベルは、ふと王城で見かけたルクレツィア・ボルジア男爵令嬢の微笑みを思い出す。
(彼女は、まだ自分が何をしてしまったのか分かっていない)
父は続ける。
「他の公爵家も動くだろう。
これはエノー家だけの問題ではない」
「王家が、契約を感情で切る前例を作った……」
「そうだ」
エノー公爵は、書簡を机に戻す。
「次は、どの家が切り捨てられるか分からぬ。
誰も、黙ってはいない」
沈黙が落ちた。
その沈黙は、恐怖ではない。
戦の前の、整然とした静けさだ。
「父上、私は――」
「お前は、何もしなくてよい」
即答だった。
「これは政治だ。
お前が前に出る必要はない」
その言葉に、イザベルは安堵したわけではない。
ただ、自分の役割を再確認しただけだ。
「王家は、廃嫡で済ませようとするかもしれません」
「だろうな」
「それでも……」
「それでは足りぬ」
エノー公爵は、淡々と言った。
「問題は王太子個人ではない。
“判断基準”そのものだ」
イザベルは、深く頷く。
王太子が退いたとしても、
同じ考えを持つ者が次に座れば、意味はない。
「教会は?」
「すでに司教が動いている」
エノー公爵は、冷静だった。
「婚約破棄に正当理由がない以上、教会は我々を支持する」
イザベルは、心の中で一つの結論に至る。
(……もう、止まらない)
これは復讐ではない。
感情でもない。
ただ、契約を破った側が、その結果を受け取るだけだ。
「イザベル」
父が、穏やかに呼ぶ。
「お前は、今日から自由だ」
「……はい」
「だが忘れるな。
自由とは、責任と対だ」
イザベルは微笑まなかった。
その言葉を、重く受け取る。
「承知しております」
夜が、公爵邸を包み込む。
その静けさの裏で、国はすでに動き始めていた。
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沈黙とは、許しではない。
それは――準備だということを。
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