5 / 25
2-1 『帝国からの招待状と、年寄り皇帝の悪戯』
しおりを挟む
イソファガス家の朝は、いつも通り静かに始まった。
山々に囲まれたこの領地は、王都よりもわずかに気温が低く、季節の変わり目には澄んだ空気が屋敷の隅々まで行き渡る。窓を開ければ、冷たさを含んだ風が頬を撫で、自然と背筋が伸びるような清々しさがあった。
そんな穏やかな朝のひととき。
キクコ・イソファガスは、珍しく書斎で紅茶を楽しんでいた。瑠璃色の瞳で窓の外をぼんやりと眺めながら、ふっと小さくため息をつく。
「こんなに穏やかな朝だと……逆に、面倒な手紙が届く予感がするのよね……」
まるでその言葉を待っていたかのように、扉が軽くノックされる。
次の瞬間、現領主である“お祖父様”が姿を現した。もちろん、実際にはキクコの弟の孫にあたる人物だが、表向きの関係では、彼女の祖父ということになっている。
「キクコ、また厄介なものが来たぞ」
「また求婚状? それとも、聖女復帰の打診かしら?」
「どちらでもない。今度は……帝国からの招待状だ」
「帝国? ……まさか」
「その“まさか”だ。ネオ皇帝陛下から、お前を名指しでの招待状だ」
キクコは眉をひそめ、手にしていた紅茶のカップをそっとソーサーに戻した。
「……あの爺さん、まだ生きてたの? もう百歳は優に越えてるでしょう」
「お前が言うな。お前だって三百年は越えているだろう」
「失礼ね。私は永遠の十七歳です」
即答するキクコに、現領主は思わず額を押さえた。
「で、どうするつもりだ。さすがに断るわけにもいかんだろう」
「もちろん行くわ。面白そうだもの」
「……また何か企んでいるな?」
「お祖父様、人聞きの悪いことを言わないでくださいな。私はただ、礼儀正しく祝賀に参加するだけですわ」
その微笑みを見た瞬間、現領主は確信した。
——この令嬢は、間違いなく何かをやらかす。
キクコは招待状を受け取り、丁寧に封を切った。
中には、金の縁取りが施された格式高い文面と、皇帝自らの筆跡と思しき短いメッセージが添えられている。
『愛しきキクコ嬢へ。
そろそろ我が孫をもらってくれても良い頃合いではないか?
君ならば、あの年寄りじみた私の孫にも、ちょうど良いスパイスになるだろう』
「……くだらないわね」
そう呟きながらも、キクコは少し考え込むように視線を落とす。
「そういえば……その孫とやらから、最近やけに贈り物が届いていたわね……。何を目論んでいるのか、知るにはちょうどいい機会かもしれないわ」
くすりと、楽しげに笑う。
ネオ皇帝とは、かつて戦乱の時代に幾度も戦場を共に駆け抜けた因縁の相手だ。長年の悪友——いや、戦友と呼ぶべき存在。
ロリババァなどと揶揄されることもあったが、不思議と憎めない相手でもあった。
「ふむ……舞踏会、ね。赤いドレスでも引っ張り出すべきかしら」
独りごちながら、キクコはふと遠くを見るような目になる。
(……でも、この招待状。どう考えても、単なる社交で終わる気がしないわね)
三百年前と変わらぬ姿のまま、イソファガス家の令嬢が帝国の舞踏会に姿を現す。
その意味を正しく理解している者は、もはやこの世にそう多くは残っていない。
そして、それがどれほど大きな波紋を呼ぶのか——。
けれど、キクコはどこか楽しそうだった。
「さて……帝国の坊やは、私に一体、何を贈ってくれるのかしら」
その言葉には、期待と皮肉、そしてほんのわずかな寂しさが、静かに溶け込んでいた。
山々に囲まれたこの領地は、王都よりもわずかに気温が低く、季節の変わり目には澄んだ空気が屋敷の隅々まで行き渡る。窓を開ければ、冷たさを含んだ風が頬を撫で、自然と背筋が伸びるような清々しさがあった。
そんな穏やかな朝のひととき。
キクコ・イソファガスは、珍しく書斎で紅茶を楽しんでいた。瑠璃色の瞳で窓の外をぼんやりと眺めながら、ふっと小さくため息をつく。
「こんなに穏やかな朝だと……逆に、面倒な手紙が届く予感がするのよね……」
まるでその言葉を待っていたかのように、扉が軽くノックされる。
次の瞬間、現領主である“お祖父様”が姿を現した。もちろん、実際にはキクコの弟の孫にあたる人物だが、表向きの関係では、彼女の祖父ということになっている。
「キクコ、また厄介なものが来たぞ」
「また求婚状? それとも、聖女復帰の打診かしら?」
「どちらでもない。今度は……帝国からの招待状だ」
「帝国? ……まさか」
「その“まさか”だ。ネオ皇帝陛下から、お前を名指しでの招待状だ」
キクコは眉をひそめ、手にしていた紅茶のカップをそっとソーサーに戻した。
「……あの爺さん、まだ生きてたの? もう百歳は優に越えてるでしょう」
「お前が言うな。お前だって三百年は越えているだろう」
「失礼ね。私は永遠の十七歳です」
即答するキクコに、現領主は思わず額を押さえた。
「で、どうするつもりだ。さすがに断るわけにもいかんだろう」
「もちろん行くわ。面白そうだもの」
「……また何か企んでいるな?」
「お祖父様、人聞きの悪いことを言わないでくださいな。私はただ、礼儀正しく祝賀に参加するだけですわ」
その微笑みを見た瞬間、現領主は確信した。
——この令嬢は、間違いなく何かをやらかす。
キクコは招待状を受け取り、丁寧に封を切った。
中には、金の縁取りが施された格式高い文面と、皇帝自らの筆跡と思しき短いメッセージが添えられている。
『愛しきキクコ嬢へ。
そろそろ我が孫をもらってくれても良い頃合いではないか?
君ならば、あの年寄りじみた私の孫にも、ちょうど良いスパイスになるだろう』
「……くだらないわね」
そう呟きながらも、キクコは少し考え込むように視線を落とす。
「そういえば……その孫とやらから、最近やけに贈り物が届いていたわね……。何を目論んでいるのか、知るにはちょうどいい機会かもしれないわ」
くすりと、楽しげに笑う。
ネオ皇帝とは、かつて戦乱の時代に幾度も戦場を共に駆け抜けた因縁の相手だ。長年の悪友——いや、戦友と呼ぶべき存在。
ロリババァなどと揶揄されることもあったが、不思議と憎めない相手でもあった。
「ふむ……舞踏会、ね。赤いドレスでも引っ張り出すべきかしら」
独りごちながら、キクコはふと遠くを見るような目になる。
(……でも、この招待状。どう考えても、単なる社交で終わる気がしないわね)
三百年前と変わらぬ姿のまま、イソファガス家の令嬢が帝国の舞踏会に姿を現す。
その意味を正しく理解している者は、もはやこの世にそう多くは残っていない。
そして、それがどれほど大きな波紋を呼ぶのか——。
けれど、キクコはどこか楽しそうだった。
「さて……帝国の坊やは、私に一体、何を贈ってくれるのかしら」
その言葉には、期待と皮肉、そしてほんのわずかな寂しさが、静かに溶け込んでいた。
0
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。
国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。
悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
【長編版】この戦いが終わったら一緒になろうと約束していた勇者は、私の目の前で皇女様との結婚を選んだ
・めぐめぐ・
恋愛
神官アウラは、勇者で幼馴染であるダグと将来を誓い合った仲だったが、彼は魔王討伐の褒美としてイリス皇女との結婚を打診され、それをアウラの目の前で快諾する。
アウラと交わした結婚の約束は、神聖魔法の使い手である彼女を魔王討伐パーティーに引き入れるためにダグがついた嘘だったのだ。
『お前みたいな、ヤれば魔法を使えなくなる女となんて、誰が結婚するんだよ。神聖魔法を使うことしか取り柄のない役立たずのくせに』
そう書かれた手紙によって捨てらたアウラ。
傷心する彼女に、同じパーティー仲間の盾役マーヴィが、自分の故郷にやってこないかと声をかける。
アウラは心の傷を癒すため、マーヴィとともに彼の故郷へと向かうのだった。
捨てられた主人公がパーティー仲間の盾役と幸せになる、ちょいざまぁありの恋愛ファンタジー長編版。
--注意--
こちらは、以前アップした同タイトル短編作品の長編版です。
一部設定が変更になっていますが、短編版の文章を流用してる部分が多分にあります。
二人の関わりを短編版よりも増しましたので(当社比)、ご興味あれば是非♪
※色々とガバガバです。頭空っぽにしてお読みください。
※力があれば平民が皇帝になれるような世界観です。
【完結】さようなら。毒親と毒姉に利用され、虐げられる人生はもう御免です 〜復讐として隣国の王家に嫁いだら、婚約者に溺愛されました〜
ゆうき
恋愛
父の一夜の過ちによって生を受け、聖女の力を持って生まれてしまったことで、姉に聖女の力を持って生まれてくることを望んでいた家族に虐げられて生きてきた王女セリアは、隣国との戦争を再び引き起こした大罪人として、処刑されてしまった。
しかし、それは現実で起こったことではなく、聖女の力による予知の力で見た、自分の破滅の未来だった。
生まれて初めてみた、自分の予知。しかも、予知を見てしまうと、もうその人の不幸は、内容が変えられても、不幸が起こることは変えられない。
それでも、このまま何もしなければ、身に覚えのないことで処刑されてしまう。日頃から、戦争で亡くなった母の元に早く行きたいと思っていたセリアだが、いざ破滅の未来を見たら、そんなのはまっぴら御免だと強く感じた。
幼い頃は、白馬に乗った王子様が助けに来てくれると夢見ていたが、未来は自分で勝ち取るものだと考えたセリアは、一つの疑問を口にする。
「……そもそも、どうして私がこんな仕打ちを受けなくちゃいけないの?」
初めて前向きになったセリアに浮かんだのは、疑問と――恨み。その瞬間、セリアは心に誓った。自分を虐げてきた家族と、母を奪った戦争の元凶である、隣国に復讐をしようと。
そんな彼女にとある情報が舞い込む。長年戦争をしていた隣国の王家が、友好の証として、王子の婚約者を探していると。
これは復讐に使えると思ったセリアは、その婚約者に立候補しようとするが……この時のセリアはまだ知らない。復讐をしようとしている隣国の王子が、運命の相手だということを。そして、彼に溺愛される未来が待っていることも。
これは、復讐を決意した一人の少女が、復讐と運命の相手との出会いを経て、幸せに至るまでの物語。
☆既に全話執筆、予約投稿済みです☆
お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!
にのまえ
恋愛
すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。
公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。
家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。
だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、
舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる