働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾

文字の大きさ
11 / 41

第11話 働かないために線を引く

しおりを挟む
第11話 働かないために線を引く


---

 セーラは、朝の光が差し込む書斎で、真剣な顔をして紙に線を引いていた。

 一本、また一本。

 「……ここですわね」

 彼女が引いていたのは、帳簿でも契約書でもない。

 **自分の中の“境界線”**だった。

 (私は、働かないと決めています)

 (でも、頼られること自体は止められません)

 (ならば――“どこまでなら自由か”を決めるしかありませんわ)

 これまでのセーラは、頼まれれば考え、聞かれれば答えていた。  命じられない限り、それは労働ではない――そう信じて。

 しかし、最近は違う。

 「奥様のお考えを前提に進めます」  「奥様が関わる前提で調整しております」

 ――前提。

 その言葉が、セーラをじわじわと縛り始めていた。

 (これは……放っておくと危険ですわ)

 自由とは、選べること。  だが、選ばされる自由は、自由ではない。

 午前。

 商人ギルドから、正式な文書が届いた。

 「財務管理部の運営指針について、奥様のご意見を――」

 セーラは、ぴしりと封を閉じ直した。

 「返送なさい」

 執事が目を見開く。

 「よろしいのですか?」

 「ええ。これは“相談”ではありません」

 「これは、“責任の移譲”です」

 セーラは、穏やかだが、はっきりと言った。

 「私は、考え方は示します」

 「ですが、“運営”と“決定”には関わりません」

 「その線を、越えないでください」

 執事は、深く一礼した。

 「かしこまりました」

 昼過ぎ。

 屋敷の使用人の一人が、不安そうにやってきた。

 「奥様……最近、皆が“奥様に聞けばいい”と言うのです」

 セーラは、少しだけ困ったように笑った。

 「それは、困りますわね」

 「……奥様は、嫌ですか?」

 その問いに、セーラは首を横に振った。

 「いいえ。嫌ではありません」

 「でも、それは“楽だから”頼ってはいけません」

 「自分で考え、自分で決めてこそ、自由ですわ」

 使用人は、はっとした表情で頷いた。

 「……分かりました」

 その背中を見送りながら、セーラは思う。

 (私は、誰かの代わりに立ちたいわけではありません)

 (ただ、“自分で立てる場所”を奪いたくないだけ)

 夕方。

 リチャードが帰宅し、書斎の紙を見て首を傾げた。

 「それは?」

 「境界線です」

 「……境界線?」

 セーラは、真剣な顔で言った。

 「私は、働かないために、線を引きました」

 「考えることと、責任を負うことは違います」

 「助言と、指示も違います」

 「その違いを曖昧にすると、私は自由ではなくなります」

 リチャードは、静かに彼女を見つめ――やがて、深く頷いた。

 「いい判断だ」

 「君は、“何もしない”ために、最も難しいことをしている」

 「……難しい?」

 「人は、頼られると断れなくなる」

 「それでも線を引くのは、覚悟が要る」

 セーラは、少しだけ照れたように視線を逸らした。

 「私は、怠けたいだけですわ」

 「なら、その怠け方は、理想的だ」

 夜。

 ベッドに横になりながら、セーラは静かに考える。

 働かないとは、何もしないことではない。

 すべてを引き受けないこと。
 誰かの人生を代わりに生きないこと。
 選ぶ余地を、残すこと。

 「……やはり私は」

 「働かないために、考え続けているのですね」

 そう呟き、少しだけ苦笑する。

 だが、その線があるからこそ――

 彼女は、今日も自由だった。

 明日もまた、何もしないつもりで。

 ただ、自分の境界線だけは、しっかり守りながら。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ 

さら
恋愛
 会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。  ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。  けれど、測定された“能力値”は最低。  「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。  そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。  優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。  彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。  人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。  やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。  不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。

7歳の侯爵夫人

凛江
恋愛
ある日7歳の公爵令嬢コンスタンスが目覚めると、世界は全く変わっていたー。 自分は現在19歳の侯爵夫人で、23歳の夫がいるというのだ。 どうやら彼女は事故に遭って12年分の記憶を失っているらしい。 目覚める前日、たしかに自分は王太子と婚約したはずだった。 王太子妃になるはずだった自分が何故侯爵夫人になっているのかー? 見知らぬ夫に戸惑う妻(中身は幼女)と、突然幼女になってしまった妻に戸惑う夫。 23歳の夫と7歳の妻の奇妙な関係が始まるー。

分厚いメガネを外した令嬢は美人?

しゃーりん
恋愛
極度の近視で分厚いメガネをかけている子爵令嬢のミーシャは家族から嫌われている。 学園にも行かせてもらえず、居場所がないミーシャは教会と孤児院に通うようになる。 そこで知り合ったおじいさんと仲良くなって、話をするのが楽しみになっていた。 しかし、おじいさんが急に来なくなって心配していたところにミーシャの縁談話がきた。 会えないまま嫁いだ先にいたのは病に倒れたおじいさんで…介護要員としての縁談だった? この結婚をきっかけに、将来やりたいことを考え始める。 一人で寂しかったミーシャに、いつの間にか大切な人ができていくお話です。

側妃の愛

まるねこ
恋愛
ここは女神を信仰する国。極まれに女神が祝福を与え、癒しの力が使える者が現れるからだ。 王太子妃となる予定の令嬢は力が弱いが癒しの力が使えた。突然強い癒しの力を持つ女性が異世界より現れた。 力が強い女性は聖女と呼ばれ、王太子妃になり、彼女を支えるために令嬢は側妃となった。 Copyright©︎2025-まるねこ

正当な権利ですので。

しゃーりん
恋愛
歳の差43歳。  18歳の伯爵令嬢セレーネは老公爵オズワルドと結婚した。 2年半後、オズワルドは亡くなり、セレーネとセレーネが産んだ子供が爵位も財産も全て手に入れた。 遠い親戚は反発するが、セレーネは妻であっただけではなく公爵家の籍にも入っていたため正当な権利があった。 再婚したセレーネは穏やかな幸せを手に入れていたが、10年後に子供の出生とオズワルドとの本当の関係が噂になるというお話です。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

美人同僚のおまけとして異世界召喚された私、無能扱いされ王城から追い出される。私の才能を見出してくれた辺境伯様と一緒に田舎でのんびりスローライ

さら
恋愛
美人な同僚の“おまけ”として異世界に召喚された私。けれど、無能だと笑われ王城から追い出されてしまう――。 絶望していた私を拾ってくれたのは、冷徹と噂される辺境伯様でした。 荒れ果てた村で彼の隣に立ちながら、料理を作り、子供たちに針仕事を教え、少しずつ居場所を見つけていく私。 優しい言葉をかけてくれる領民たち、そして、時折見せる辺境伯様の微笑みに、胸がときめいていく……。 華やかな王都で「無能」と追放された女が、辺境で自分の価値を見つけ、誰よりも大切に愛される――。

処理中です...