働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾

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第37話「それでも、私の価値は減りません」

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第37話「それでも、私の価値は減りません」


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 翌朝。

 屋敷は、妙に静かだった。

 ――いや、正確には「落ち着いている」と言うべきかもしれない。

 セーラはベッドの上で目を覚まし、少しだけ首を傾げた。

 「……平和ですわね」

 昨日まで、朝になれば必ず届いていた報告書。  相談事項。  判断を仰ぐ書簡。

 それらが、今朝は一切ない。


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 侍女が紅茶を運んでくる。

 「奥様、本日の予定ですが……特にございません」

 「ええ、知っています」

 セーラは穏やかに頷いた。

 「それが、正常なのですもの」


---

 侍女は少し迷ったように、しかし意を決したように口を開いた。

 「……奥様」

 「皆、少し戸惑っております」

 「奥様がいらっしゃるのに、頼れないことに」


---

 セーラは、カップを置き、微笑んだ。

 「当然ですわ」

 「今まで、“私がいるから大丈夫”だと思っていたのですから」


---

 「でも、それは勘違いです」

 「大丈夫だったのは、皆が考え、動いていたから」


---

 侍女は、はっとしたように息を呑んだ。

 「……奥様は、お優しいのですね」

 「違いますわ」

 セーラは、きっぱりと言った。

 「私は、自分を守っているだけです」


---

 午前。

 庭でのティータイム。

 セーラは、ただ紅茶を飲み、鳥の声を聞いていた。

 そこへ、リチャードが歩み寄る。

 「今日は、誰も来ないな」

 「ええ。成功ですわ」


---

 「成功?」

 「ええ。“私抜きでも回る一日”の成功です」


---

 リチャードは、隣に腰掛けた。

 「……正直に言おう」

 「少し、不安だった」


---

 セーラは、静かに彼を見る。

 「何が、ですの?」

 「君が“何もしない”ことで、
  君自身が空っぽになってしまうのではないかと」


---

 その言葉に、セーラは小さく笑った。

 「逆ですわ」


---

 「私は今、初めて“満たされています”」


---

 「前世でも、今世でも……」

 「私はずっと、“役に立つ私”でいようとしていました」

 「役に立たなければ、価値がないと思っていた」


---

 セーラは、胸に手を当てる。

 「でも、今は違います」


---

 「何もしなくても、
  私は私でいられる」


---

 昼。

 屋敷内では、若い使用人たちが自主的に意見を出し合っていた。

 「これは、どちらがいいと思う?」

 「奥様に聞く前に、自分で決めよう」

 「責任は、俺たちで取ろう」


---

 その様子を、遠くから見ていたセーラは、静かに頷いた。

 「……ちゃんと、育っていますわね」


---

 午後。

 商業ギルドから、再び連絡が入る。

 〈奥様の不在対応について〉

 中身は、短くこう書かれていた。

 〈こちらの判断で進めました。問題ありません〉


---

 セーラは、それを読んで、ふっと息を吐いた。

 「……誰も困っていない」

 「それでいいのです」


---

 夕方。

 リチャードが、ぽつりと尋ねた。

 「……それでも」

 「誰からも必要とされなくなったら、怖くはないか?」


---

 セーラは、迷わず答えた。

 「いいえ」


---

 「必要とされなくなっても、
  愛されなくなるわけではありません」


---

 彼女は、そっと彼の手を取る。

 「あなたが、ここにいますもの」


---

 リチャードは、何も言わずに彼女の手を握り返した。


---

 夜。

 寝室で、セーラは鏡を見つめていた。

 そこに映るのは、忙しさに追われていない自分。

 焦りも、義務感もない。


---

 「……価値は、減っていませんわ」

 「むしろ……」


---

 ようやく、本当の私になれた。


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 その確信とともに、セーラは静かに灯りを消した。

 働かない日々は、
 彼女の存在を薄めるどころか――

 確かな輪郭を、与え始めていた。


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