2 / 40
第2話 静かな退場
しおりを挟む
第2話 静かな退場
王宮の回廊は、昼間であるにもかかわらず、どこか冷えた空気をまとっていた。
私はゆっくりと歩きながら、先ほどまで自分が立っていた大広間の方向を振り返ることなく、その場を離れていく。
婚約破棄――。
その言葉の重みを、頭では理解しているはずなのに、胸の奥は不思議なほど静かだった。
泣きたくならないわけではない。
怒りが湧かないわけでもない。
ただ、それらの感情が、きれいに箱に収められたように、遠くに押しやられている。
「……エミリア様」
背後から、ためらいがちに声をかけられた。
振り返ると、そこに立っていたのは、私付きの侍女を務めていたマリアだった。彼女は顔色を失い、今にも泣き出しそうな表情をしている。
「お話は……聞いてしまいました」
声を震わせながら、彼女はそう言った。
「ご無礼を承知で申し上げますが……あまりにも、一方的です。エミリア様が、どれほど殿下を支えてこられたか……」
「マリア」
私はそっと彼女の言葉を遮った。
「大丈夫よ」
「ですが……!」
「本当に、大丈夫なの」
自分でも驚くほど、穏やかな声だった。
マリアは唇を噛みしめ、悔しそうに俯く。
「……皆、噂しています。殿下は、聖女セレナ様に心を奪われたのだと。エミリア様のことを、地味だの、華がないだの……」
その言葉に、思わず小さく笑みが浮かんだ。
「そう。では、噂は正しいのでしょうね」
「エミリア様……」
私は足を止め、マリアの方を向く。
「ねえ、マリア。私が“地味”だと言われる理由、分かる?」
突然の問いかけに、彼女は戸惑いながらも首を横に振った。
「それは、私が“目立たない仕事”を選んできたからよ」
王宮での書類整理、財務の確認、貴族間の調整。
華やかな舞踏会や、衆目を集める場ではなく、表に出ない場所で、私は役目を果たしてきた。
「目立たない者は、評価されない。それだけのこと」
それが、王宮という場所の現実だった。
マリアは何か言いかけて、結局言葉を飲み込んだ。
「……これから、どうなさるおつもりですか?」
「しばらくは、実家へ戻ることになるでしょうね」
ノルト公爵家。
生まれ育った場所でありながら、王太子妃教育のため、長く離れていた場所。
「荷物は……」
「必要なものだけでいいわ。多くは要らないもの」
そう言うと、マリアはさらに目を潤ませた。
「そんな……。エミリア様の部屋には、思い出の品も……」
「思い出は、持ち運べないものよ」
私はそう言って、歩みを再開した。
廊下の角を曲がった先で、数人の貴族令嬢とすれ違う。
彼女たちは一瞬、私の姿を認めると、さっと視線を逸らした。
――ああ、もう始まっているのね。
同情と、好奇心と、わずかな優越感。
それらが混じり合った視線を、私は何度も浴びてきた。
「元王太子妃候補」
その肩書きは、今や“過去のもの”だ。
部屋に戻ると、そこには静寂が広がっていた。
豪奢な調度品に囲まれた空間は、これまで私が「仮の居場所」として過ごしてきた場所。
私は机に向かい、引き出しを一つずつ開けていく。
――書類。
――覚書。
――政策案の下書き。
どれも、王宮のために作成したものだ。
けれど、もう私の役目ではない。
「……置いていきましょう」
必要なものは、ほんのわずかだった。
着替えと、愛用していた数冊の書物。それだけ。
部屋を出る直前、ふと視線が止まったのは、窓辺に置かれた一輪の花だった。
王太子から、かつて贈られたもの――ではない。
あれは、私自身が選んだ花だ。
「……ありがとう」
誰に向けた言葉でもなく、私は小さく呟いた。
廊下へ出ると、再び人の気配が増えていた。
どこからか、ひそひそと話す声が聞こえてくる。
「……やっぱりね」 「聖女様の方が、ずっとお似合いだわ」 「元々、あの方は控えめすぎたもの」
私は、足を止めない。
一つ一つに反応していては、前に進めなくなる。
ただ――。
心の奥で、静かに決意が芽生えていた。
「私は、もう“選ばれる側”ではない」
これからは、自分で、自分の道を選ぶ。
誰かの都合に合わせて、評価を待つ人生は、ここで終わりだ。
王宮の門をくぐり抜けると、外の空気は思った以上に澄んでいた。
深く息を吸い込む。
「……不思議ね」
婚約を失ったはずなのに、胸の奥には、わずかな解放感があった。
それが何を意味するのか、今はまだ分からない。
けれど――
この“静かな退場”が、
やがて大きな転機になることを、私はまだ知らなかった。
王宮の回廊は、昼間であるにもかかわらず、どこか冷えた空気をまとっていた。
私はゆっくりと歩きながら、先ほどまで自分が立っていた大広間の方向を振り返ることなく、その場を離れていく。
婚約破棄――。
その言葉の重みを、頭では理解しているはずなのに、胸の奥は不思議なほど静かだった。
泣きたくならないわけではない。
怒りが湧かないわけでもない。
ただ、それらの感情が、きれいに箱に収められたように、遠くに押しやられている。
「……エミリア様」
背後から、ためらいがちに声をかけられた。
振り返ると、そこに立っていたのは、私付きの侍女を務めていたマリアだった。彼女は顔色を失い、今にも泣き出しそうな表情をしている。
「お話は……聞いてしまいました」
声を震わせながら、彼女はそう言った。
「ご無礼を承知で申し上げますが……あまりにも、一方的です。エミリア様が、どれほど殿下を支えてこられたか……」
「マリア」
私はそっと彼女の言葉を遮った。
「大丈夫よ」
「ですが……!」
「本当に、大丈夫なの」
自分でも驚くほど、穏やかな声だった。
マリアは唇を噛みしめ、悔しそうに俯く。
「……皆、噂しています。殿下は、聖女セレナ様に心を奪われたのだと。エミリア様のことを、地味だの、華がないだの……」
その言葉に、思わず小さく笑みが浮かんだ。
「そう。では、噂は正しいのでしょうね」
「エミリア様……」
私は足を止め、マリアの方を向く。
「ねえ、マリア。私が“地味”だと言われる理由、分かる?」
突然の問いかけに、彼女は戸惑いながらも首を横に振った。
「それは、私が“目立たない仕事”を選んできたからよ」
王宮での書類整理、財務の確認、貴族間の調整。
華やかな舞踏会や、衆目を集める場ではなく、表に出ない場所で、私は役目を果たしてきた。
「目立たない者は、評価されない。それだけのこと」
それが、王宮という場所の現実だった。
マリアは何か言いかけて、結局言葉を飲み込んだ。
「……これから、どうなさるおつもりですか?」
「しばらくは、実家へ戻ることになるでしょうね」
ノルト公爵家。
生まれ育った場所でありながら、王太子妃教育のため、長く離れていた場所。
「荷物は……」
「必要なものだけでいいわ。多くは要らないもの」
そう言うと、マリアはさらに目を潤ませた。
「そんな……。エミリア様の部屋には、思い出の品も……」
「思い出は、持ち運べないものよ」
私はそう言って、歩みを再開した。
廊下の角を曲がった先で、数人の貴族令嬢とすれ違う。
彼女たちは一瞬、私の姿を認めると、さっと視線を逸らした。
――ああ、もう始まっているのね。
同情と、好奇心と、わずかな優越感。
それらが混じり合った視線を、私は何度も浴びてきた。
「元王太子妃候補」
その肩書きは、今や“過去のもの”だ。
部屋に戻ると、そこには静寂が広がっていた。
豪奢な調度品に囲まれた空間は、これまで私が「仮の居場所」として過ごしてきた場所。
私は机に向かい、引き出しを一つずつ開けていく。
――書類。
――覚書。
――政策案の下書き。
どれも、王宮のために作成したものだ。
けれど、もう私の役目ではない。
「……置いていきましょう」
必要なものは、ほんのわずかだった。
着替えと、愛用していた数冊の書物。それだけ。
部屋を出る直前、ふと視線が止まったのは、窓辺に置かれた一輪の花だった。
王太子から、かつて贈られたもの――ではない。
あれは、私自身が選んだ花だ。
「……ありがとう」
誰に向けた言葉でもなく、私は小さく呟いた。
廊下へ出ると、再び人の気配が増えていた。
どこからか、ひそひそと話す声が聞こえてくる。
「……やっぱりね」 「聖女様の方が、ずっとお似合いだわ」 「元々、あの方は控えめすぎたもの」
私は、足を止めない。
一つ一つに反応していては、前に進めなくなる。
ただ――。
心の奥で、静かに決意が芽生えていた。
「私は、もう“選ばれる側”ではない」
これからは、自分で、自分の道を選ぶ。
誰かの都合に合わせて、評価を待つ人生は、ここで終わりだ。
王宮の門をくぐり抜けると、外の空気は思った以上に澄んでいた。
深く息を吸い込む。
「……不思議ね」
婚約を失ったはずなのに、胸の奥には、わずかな解放感があった。
それが何を意味するのか、今はまだ分からない。
けれど――
この“静かな退場”が、
やがて大きな転機になることを、私はまだ知らなかった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】悪役令嬢ですが、元官僚スキルで断罪も陰謀も処理します。
かおり
ファンタジー
異世界で悪役令嬢に転生した元官僚。婚約破棄? 断罪? 全部ルールと書類で処理します。
謝罪してないのに謝ったことになる“限定謝罪”で、婚約者も貴族も黙らせる――バリキャリ令嬢の逆転劇!
※読んでいただき、ありがとうございます。ささやかな物語ですが、どこか少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位
11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位
11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位
11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位
婚約破棄で追放された悪役令嬢ですが、隣国で『魔道具ネット通販』を始めたら金貨スパチャが止まりません〜私を追い出した王国は経済崩壊しました〜
ハリネズミの肉球
ファンタジー
「婚約破棄だ。君は国を裏切った」
王太子の冷たい宣言で、公爵令嬢セシリア・アルフェンはすべてを失う。
罪状は“横領と国家反逆”。もちろん冤罪だ。
だが彼女は静かに笑っていた。
――なぜなら、彼女には誰にも知られていない能力があったから。
それは「異世界にいながら、現代日本のECサイトを閲覧できる」という奇妙なスキル。
隣国へ追放されたセシリアは、その知識を使い始める。
鏡。石鹸。ガラス瓶。香水。保存食。
この世界ではまだ珍しい品を魔道具で再現し、数量限定で販売。
さらに彼女は「配信魔道具」を開発。
商品制作の様子をライブ配信しながら販売するという、前代未聞の商売を始める。
結果――
貴族たちは熱狂。
金貨の投げ銭が空を舞う。
セシリアの店は世界最大の商会へと急成長。
一方で、彼女を追放した祖国では異変が起きていた。
セシリアが管理していた輸出ルートが止まり、
物資不足、価格暴騰、そして経済崩壊。
焦った王太子が通信魔道具で泣きついてくる。
「戻ってきてくれ……!」
しかしセシリアはワイングラスを揺らしながら笑う。
「あ、その声はブロック対象です」
これは――
婚約破棄された悪役令嬢が、世界経済を握るまでの物語。
※本作品は、人工知能の生成する文章の力をお借りしつつも、最終的な仕上げにあたっては著者自身の手により丁寧な加筆・修正を施した作品です。
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
偽りの呪いで追放された聖女です。辺境で薬屋を開いたら、国一番の不運な王子様に拾われ「幸運の女神」と溺愛されています
黒崎隼人
ファンタジー
「君に触れると、不幸が起きるんだ」――偽りの呪いをかけられ、聖女の座を追われた少女、ルナ。
彼女は正体を隠し、辺境のミモザ村で薬師として静かな暮らしを始める。
ようやく手に入れた穏やかな日々。
しかし、そんな彼女の前に現れたのは、「王国一の不運王子」リオネスだった。
彼が歩けば嵐が起き、彼が触れば物が壊れる。
そんな王子が、なぜか彼女の薬草店の前で派手に転倒し、大怪我を負ってしまう。
「私の呪いのせいです!」と青ざめるルナに、王子は笑った。
「いつものことだから、君のせいじゃないよ」
これは、自分を不幸だと思い込む元聖女と、天性の不運をものともしない王子の、勘違いから始まる癒やしと幸運の物語。
二人が出会う時、本当の奇跡が目を覚ます。
心温まるスローライフ・ラブファンタジー、ここに開幕。
追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?
タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。
白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。
しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。
王妃リディアの嫉妬。
王太子レオンの盲信。
そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。
「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」
そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。
彼女はただ一言だけ残した。
「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」
誰もそれを脅しとは受け取らなかった。
だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
『お前の顔は見飽きた!』内心ガッツポーズで辺境へ
夏乃みのり
恋愛
「リーナ・フォン・アトラス! 貴様との婚約を破棄する!」
華やかな王宮の夜会で、第一王子ジュリアンに突きつけられた非情な宣告。冤罪を被せられ、冷酷な悪役令嬢として追放を言い渡されたリーナだったが、彼女の内心は……「やったーーー! これでやっとトレーニングに専念できるわ!」と歓喜に震えていた!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる