婚約破棄された令嬢ですが、判断を急がない領地改革を始めました

鷹 綾

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第11話 空白の正体

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第11話 空白の正体

 王宮では、静かな混乱が広がり始めていた。

 それは、誰かが声高に叫ぶような騒動ではない。
 会議のたびに微妙に噛み合わない議論。
 決裁が遅れ、書類が行き来し、最終的な判断が下されないまま時間だけが過ぎていく。

 ――原因は、はっきりしていた。

「……この案件、以前はどう処理していた?」

 王太子エドワルドは、苛立ちを隠さず、財務官へ問いかけた。

「そ、それは……」

 財務官は、視線を彷徨わせる。

「以前は、エミリア様が……いえ、ノルト嬢が全体を調整しておりました」

 その名が出た瞬間、空気が一瞬、凍りついた。

「……彼女は、もういない」

 エドワルドは、低く言い捨てる。

「いなくても回る仕事だったはずだ」

 だが、誰も即答できなかった。

 それが、現実だった。

 エミリア・ノルトが担っていたのは、単純な事務作業ではない。
 各部署の意見を擦り合わせ、衝突を未然に防ぎ、問題が表に出る前に処理する――
 いわば、王宮の“潤滑油”。

 その存在が消えたことで、王宮は音もなく軋み始めていた。

「……次の議題に移ろう」

 エドワルドは強引に会議を進めたが、重鎮たちの表情は硬い。

 聖女セレナは、少し離れた席で、その様子を静かに見つめていた。
 白い衣装に身を包み、慈愛に満ちた微笑みを浮かべてはいるが、その瞳の奥には焦りがある。

(……思っていたより、面倒ね)

 彼女は、内心で舌打ちした。

 聖女としての役割は、人々の前で祈り、祝福を与えること。
 政務に深く関わるつもりは、もともとなかった。

 だが、王太子妃となる以上、最低限の理解は必要だ。

「殿下」

 会議の合間、セレナは柔らかな声で呼びかけた。

「何か、お困りのことが?」

「……いや」

 エドワルドは、無意識のうちに言葉を濁す。

「細かいことだ。すぐに片付く」

 その言葉に、彼自身が納得していないことを、セレナは見抜いていた。

(エミリア……そんなに重要だった?)

 かつて“地味で無能”と切り捨てた女の影が、今になって王宮を覆い始めている。

 数日後、さらに問題は顕在化した。

「物流関連の予算が、予定より膨らんでいます」

「原因は?」

「……調整不足です」

 重鎮の一人が、重々しく報告する。

「各部署が独自判断で動いた結果、重複が発生しています」

 エドワルドは、額に手を当てた。

「なぜ、事前に防げなかった」

 答えは、誰の喉元まで来ていた。

 ――防いでいた者が、いない。

「……ノルト嬢がいた頃は、こうした問題は起きていなかったな」

 誰かが、ぽつりと呟いた。

 その瞬間、エドワルドは鋭く顔を上げた。

「彼女の話は、するな」

 強い口調。
 だが、それは否定ではなく、動揺の裏返しだった。

 夜、執務室に一人残ったエドワルドは、無意識のうちに古い書類棚を開いていた。

 そこには、見慣れた筆跡の覚書が並んでいる。

「……これは」

 過去の政策案。
 最終決定に至らなかったもの、実行されたもの、そのすべてに、共通点がある。

 ――説明が、分かりやすい。

 数字の羅列ではなく、意図と影響が明確に示されている。

「……こんなものを、作っていたのか」

 初めて、エドワルドは気づいた。

 自分は、彼女の仕事を“見ていなかった”のだと。

 その頃、シュヴァルツリッター公爵領では。

「王宮の動きが、鈍っています」

 グラハム執事長が、エミリアへ報告した。

「いくつかの交易案件が、こちらへ流れてきています」

 私は、静かに頷いた。

「予想通りです」

「……殿下は、気づくでしょうか」

「ええ」

 私は、迷いなく答えた。

「ただし――気づいた時には、もう遅い」

 王宮が失ったのは、単なる人材ではない。
 “全体を見る目”そのもの。

 そしてそれは、簡単には取り戻せない。

 窓の外では、公爵領の城下が、以前よりも活気づき始めていた。
 人が動き、物が流れ、数字がそれを裏付ける。

「……空白は、必ず表に出ます」

 誰かが去った後に残るものこそ、その人の本当の価値。

 私はペンを取り、新たな計画書に目を通した。

 王宮が気づく頃には、
 私はもう――
 戻る場所を必要としない位置に立っているだろう。

 それが、私の選んだ道なのだから。
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