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第13話 戻れない距離
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第13話 戻れない距離
王都に流れる空気は、確実に変わりつつあった。
それは劇的な崩壊ではない。
人々が口をそろえて不満を訴えるような騒ぎでもない。
ただ――
何かがおかしいと、誰もが薄々感じ始めている。
王宮の回廊を歩く貴族たちの足取りは重く、会話の端々には慎重さがにじむ。
以前なら笑顔で交わされていた軽口も、今は控えめだ。
「……最近、決定が遅いわね」 「聖女様がいらっしゃるのに……」
小さな声。
だが、確実に増えている。
王太子エドワルドは、その変化を、苛立ちとともに受け止めていた。
「なぜ、こんなに時間がかかる」
執務室で書類を机に叩きつける。
「承認するだけだろう! 前は、こんなことは――」
言いかけて、言葉が止まった。
前は。
前は――。
「……くそ」
無意識に、歯噛みする。
エミリア・ノルトの名を、彼はまだ口に出さない。
だが、彼女がいなくなってから起きた変化を、否応なく突きつけられている。
その頃、王宮の一室では、別の動きがあった。
「殿下、こちらを」
重鎮の一人が、慎重に差し出したのは、一通の書簡。
「……何だ?」
「シュヴァルツリッター公爵領からの報告です」
その言葉に、エドワルドの眉が動く。
「……読め」
書簡には、簡潔な数字が並んでいた。
物流効率の改善。
税収の回復傾向。
交易量の増加。
「……短期間で、ここまで?」
信じがたい、という顔。
重鎮は、静かに頷いた。
「改革を主導しているのは……エミリア・ノルトだそうです」
空気が、張り詰める。
「……彼女が?」
声が、わずかに掠れた。
「正式な補佐官として、すでに権限を与えられていると」
エドワルドは、しばらく何も言えなかった。
――地味で、無能で、女として魅力がない。
そう切り捨てた相手が、
今や、王宮では成し得なかった改革を、他領で実現している。
「……偶然だ」
そう言いながらも、言葉に力はない。
「シュヴァルツリッター公爵が、裏で動いているだけだろう」
「いえ」
重鎮は、首を横に振った。
「現場の判断、計画立案、調整――
すべて、エミリア嬢の名で進められているそうです」
否定しきれない事実。
その夜、エドワルドは一人、執務室に残った。
机の引き出しを開ける。
そこに残されていたのは、過去の覚書。
「……これも」
「最終調整:エミリア・ノルト」
その文字が、何度も目に入る。
当時は、気にも留めなかった。
“誰でもできる仕事”だと思っていた。
「……戻せるのか?」
ぽつりと、独り言が漏れる。
その問いに、答えはない。
――いや。
心のどこかで、すでに分かっていた。
彼女は、もう王宮に戻る理由を持たない。
その頃、シュヴァルツリッター公爵領。
「王宮から、視察の打診が来ています」
グラハム執事長の報告に、私は一瞬だけ手を止めた。
「……内容は?」
「改革の詳細を知りたい、と」
私は、書類を閉じ、静かに息を吐く。
「そう」
それだけだった。
「……お断りなさいますか?」
「いいえ」
私は首を横に振る。
「受けましょう。ただし――」
視線を上げる。
「私は、特別扱いはしません。
あくまで、公爵補佐官として、です」
グラハムは、深く頷いた。
「承知いたしました」
執務室に戻り、私は窓の外を見た。
城下では、人々が忙しく動いている。
確実に、生活が前向きに変わり始めている。
「……距離は、もう」
物理的なものではない。
立場。
覚悟。
価値観。
そのすべてが、
かつての場所から、決定的に離れてしまった。
エドワルドが、今になって気づいたとしても――
もう、同じ位置には立てない。
私は、静かに書類へ視線を戻す。
過去を振り返る暇はない。
前に進むべき仕事が、ここには山ほどある。
それこそが、
私が選んだ距離なのだから。
王都に流れる空気は、確実に変わりつつあった。
それは劇的な崩壊ではない。
人々が口をそろえて不満を訴えるような騒ぎでもない。
ただ――
何かがおかしいと、誰もが薄々感じ始めている。
王宮の回廊を歩く貴族たちの足取りは重く、会話の端々には慎重さがにじむ。
以前なら笑顔で交わされていた軽口も、今は控えめだ。
「……最近、決定が遅いわね」 「聖女様がいらっしゃるのに……」
小さな声。
だが、確実に増えている。
王太子エドワルドは、その変化を、苛立ちとともに受け止めていた。
「なぜ、こんなに時間がかかる」
執務室で書類を机に叩きつける。
「承認するだけだろう! 前は、こんなことは――」
言いかけて、言葉が止まった。
前は。
前は――。
「……くそ」
無意識に、歯噛みする。
エミリア・ノルトの名を、彼はまだ口に出さない。
だが、彼女がいなくなってから起きた変化を、否応なく突きつけられている。
その頃、王宮の一室では、別の動きがあった。
「殿下、こちらを」
重鎮の一人が、慎重に差し出したのは、一通の書簡。
「……何だ?」
「シュヴァルツリッター公爵領からの報告です」
その言葉に、エドワルドの眉が動く。
「……読め」
書簡には、簡潔な数字が並んでいた。
物流効率の改善。
税収の回復傾向。
交易量の増加。
「……短期間で、ここまで?」
信じがたい、という顔。
重鎮は、静かに頷いた。
「改革を主導しているのは……エミリア・ノルトだそうです」
空気が、張り詰める。
「……彼女が?」
声が、わずかに掠れた。
「正式な補佐官として、すでに権限を与えられていると」
エドワルドは、しばらく何も言えなかった。
――地味で、無能で、女として魅力がない。
そう切り捨てた相手が、
今や、王宮では成し得なかった改革を、他領で実現している。
「……偶然だ」
そう言いながらも、言葉に力はない。
「シュヴァルツリッター公爵が、裏で動いているだけだろう」
「いえ」
重鎮は、首を横に振った。
「現場の判断、計画立案、調整――
すべて、エミリア嬢の名で進められているそうです」
否定しきれない事実。
その夜、エドワルドは一人、執務室に残った。
机の引き出しを開ける。
そこに残されていたのは、過去の覚書。
「……これも」
「最終調整:エミリア・ノルト」
その文字が、何度も目に入る。
当時は、気にも留めなかった。
“誰でもできる仕事”だと思っていた。
「……戻せるのか?」
ぽつりと、独り言が漏れる。
その問いに、答えはない。
――いや。
心のどこかで、すでに分かっていた。
彼女は、もう王宮に戻る理由を持たない。
その頃、シュヴァルツリッター公爵領。
「王宮から、視察の打診が来ています」
グラハム執事長の報告に、私は一瞬だけ手を止めた。
「……内容は?」
「改革の詳細を知りたい、と」
私は、書類を閉じ、静かに息を吐く。
「そう」
それだけだった。
「……お断りなさいますか?」
「いいえ」
私は首を横に振る。
「受けましょう。ただし――」
視線を上げる。
「私は、特別扱いはしません。
あくまで、公爵補佐官として、です」
グラハムは、深く頷いた。
「承知いたしました」
執務室に戻り、私は窓の外を見た。
城下では、人々が忙しく動いている。
確実に、生活が前向きに変わり始めている。
「……距離は、もう」
物理的なものではない。
立場。
覚悟。
価値観。
そのすべてが、
かつての場所から、決定的に離れてしまった。
エドワルドが、今になって気づいたとしても――
もう、同じ位置には立てない。
私は、静かに書類へ視線を戻す。
過去を振り返る暇はない。
前に進むべき仕事が、ここには山ほどある。
それこそが、
私が選んだ距離なのだから。
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