15 / 40
第15話 立場という境界線
しおりを挟む
第15話 立場という境界線
回廊に差し込む夕刻の光は、長く影を落としていた。
城内は静まり返り、視察団のざわめきも、すでに遠い。
「……少し、話がしたい」
エドワルド王太子の声は低く、慎重だった。
かつて命令することに慣れていた口調は影を潜め、どこか探るような響きを帯びている。
私は、立ち止まったまま振り返る。
「短時間でしたら、と申し上げたはずです」
それだけ告げると、彼は小さく頷いた。
「それでいい」
案内されたのは、応接用の小部屋だった。
豪奢ではないが、落ち着いた調度が整えられている。シュヴァルツリッター公爵領らしい、実用重視の空間。
扉が閉まり、二人きりになる。
沈黙が落ちた。
それは、気まずさから生まれたものではない。
言葉の順番を、互いに測っている沈黙だった。
「……驚いたよ」
先に口を開いたのは、エドワルドだった。
「ここまで、領地が変わっているとは思わなかった」
「視察の目的は、それを確認することでしたでしょう?」
私は淡々と答える。
「ええ。ですから、数字と現場をお見せしました」
感情は交えない。
あくまで、公務として。
「……王宮では」
彼は一瞬、言葉を切った。
「君がいなくなってから、決裁が滞ることが増えた」
私は、その言葉を受け止めるが、表情は変えない。
「そうですか」
「それだけか?」
思わず漏れたような問い。
「他に、どのような反応を期待されているのでしょうか」
私は静かに視線を向けた。
「同情ですか。後悔ですか。それとも――」
言葉を選び、続ける。
「元婚約者としての、感情的な応答でしょうか」
エドワルドは、言葉に詰まった。
「……違う」
否定は早かったが、力が足りない。
「ただ、話がしたかっただけだ」
「でしたら、要点をどうぞ」
私は、腕を組むこともせず、背筋を伸ばしたまま促す。
――境界線を、越えさせない。
「王宮へ戻るつもりは、ないのか」
その問いに、私は即答した。
「ありません」
迷いはない。
「理由は?」
「必要とされていない場所に、戻る意味はありません」
それは、皮肉ではなく事実だった。
「……今は、ここで必要とされています」
言葉にすると、はっきりする。
エドワルドは、視線を落とした。
「……あの時」
彼は、ゆっくりと息を吸う。
「君の仕事を、正しく見ていなかった」
その告白は、遅すぎた。
けれど、彼自身にとっては、勇気の要る言葉だったのだろう。
「地味だと……そう言ったな」
「ええ」
私は、否定も肯定もしない。
「訂正する」
彼は、私を見上げた。
「君は、地味なんかじゃなかった」
沈黙。
私は、その言葉を、胸のどこにも留めなかった。
「殿下」
丁寧な呼び方。
だが、それは距離を示すものでもある。
「それは、今の評価ですか。それとも――失ってからの感想でしょうか」
エドワルドは、答えられなかった。
答えが、どちらであっても、結果は変わらない。
「私は、評価される場所で働いています」
私は、淡々と続ける。
「成果を出し、責任を負い、正当に判断される。
それが、今の私の立場です」
彼は、苦しそうに目を伏せた。
「……公爵は、君をどう扱っている?」
その問いに、私は一瞬だけ考えた。
「上司として、です」
そして、正確に付け加える。
「能力と結果で判断されます。
それ以上でも、それ以下でもありません」
エドワルドの喉が、小さく鳴った。
「……それが、理想的だと?」
「少なくとも、私には」
即答だった。
部屋の外から、控えめな足音が聞こえる。
時間だ。
「殿下」
私は、軽く一礼した。
「本日の視察、ご足労さまでした」
それは、明確な終わりの合図。
「……最後に一つだけ」
エドワルドが、焦るように言う。
「君は――幸せか?」
私は、少しだけ考えた。
答えは、簡単ではない。
だが、正直であるべきだ。
「充実しています」
それが、今の私の真実。
幸せという言葉は、まだ先かもしれない。
けれど、ここには確かな手応えがある。
「……そうか」
エドワルドは、微かに笑った。
「なら、いい」
その言葉には、諦めが混じっていた。
私は、扉へ向かう。
振り返らない。
振り返る理由が、もうないからだ。
回廊へ出ると、冷たい空気が肺に満ちる。
遠くで、城下の灯りが揺れていた。
「……境界線は、越えさせない」
それは、彼のためでもある。
そして、何より――私自身のため。
過去は、過去。
今の私は、ここにいる。
その事実だけが、
静かに、しかし確かに、足元を支えていた。
回廊に差し込む夕刻の光は、長く影を落としていた。
城内は静まり返り、視察団のざわめきも、すでに遠い。
「……少し、話がしたい」
エドワルド王太子の声は低く、慎重だった。
かつて命令することに慣れていた口調は影を潜め、どこか探るような響きを帯びている。
私は、立ち止まったまま振り返る。
「短時間でしたら、と申し上げたはずです」
それだけ告げると、彼は小さく頷いた。
「それでいい」
案内されたのは、応接用の小部屋だった。
豪奢ではないが、落ち着いた調度が整えられている。シュヴァルツリッター公爵領らしい、実用重視の空間。
扉が閉まり、二人きりになる。
沈黙が落ちた。
それは、気まずさから生まれたものではない。
言葉の順番を、互いに測っている沈黙だった。
「……驚いたよ」
先に口を開いたのは、エドワルドだった。
「ここまで、領地が変わっているとは思わなかった」
「視察の目的は、それを確認することでしたでしょう?」
私は淡々と答える。
「ええ。ですから、数字と現場をお見せしました」
感情は交えない。
あくまで、公務として。
「……王宮では」
彼は一瞬、言葉を切った。
「君がいなくなってから、決裁が滞ることが増えた」
私は、その言葉を受け止めるが、表情は変えない。
「そうですか」
「それだけか?」
思わず漏れたような問い。
「他に、どのような反応を期待されているのでしょうか」
私は静かに視線を向けた。
「同情ですか。後悔ですか。それとも――」
言葉を選び、続ける。
「元婚約者としての、感情的な応答でしょうか」
エドワルドは、言葉に詰まった。
「……違う」
否定は早かったが、力が足りない。
「ただ、話がしたかっただけだ」
「でしたら、要点をどうぞ」
私は、腕を組むこともせず、背筋を伸ばしたまま促す。
――境界線を、越えさせない。
「王宮へ戻るつもりは、ないのか」
その問いに、私は即答した。
「ありません」
迷いはない。
「理由は?」
「必要とされていない場所に、戻る意味はありません」
それは、皮肉ではなく事実だった。
「……今は、ここで必要とされています」
言葉にすると、はっきりする。
エドワルドは、視線を落とした。
「……あの時」
彼は、ゆっくりと息を吸う。
「君の仕事を、正しく見ていなかった」
その告白は、遅すぎた。
けれど、彼自身にとっては、勇気の要る言葉だったのだろう。
「地味だと……そう言ったな」
「ええ」
私は、否定も肯定もしない。
「訂正する」
彼は、私を見上げた。
「君は、地味なんかじゃなかった」
沈黙。
私は、その言葉を、胸のどこにも留めなかった。
「殿下」
丁寧な呼び方。
だが、それは距離を示すものでもある。
「それは、今の評価ですか。それとも――失ってからの感想でしょうか」
エドワルドは、答えられなかった。
答えが、どちらであっても、結果は変わらない。
「私は、評価される場所で働いています」
私は、淡々と続ける。
「成果を出し、責任を負い、正当に判断される。
それが、今の私の立場です」
彼は、苦しそうに目を伏せた。
「……公爵は、君をどう扱っている?」
その問いに、私は一瞬だけ考えた。
「上司として、です」
そして、正確に付け加える。
「能力と結果で判断されます。
それ以上でも、それ以下でもありません」
エドワルドの喉が、小さく鳴った。
「……それが、理想的だと?」
「少なくとも、私には」
即答だった。
部屋の外から、控えめな足音が聞こえる。
時間だ。
「殿下」
私は、軽く一礼した。
「本日の視察、ご足労さまでした」
それは、明確な終わりの合図。
「……最後に一つだけ」
エドワルドが、焦るように言う。
「君は――幸せか?」
私は、少しだけ考えた。
答えは、簡単ではない。
だが、正直であるべきだ。
「充実しています」
それが、今の私の真実。
幸せという言葉は、まだ先かもしれない。
けれど、ここには確かな手応えがある。
「……そうか」
エドワルドは、微かに笑った。
「なら、いい」
その言葉には、諦めが混じっていた。
私は、扉へ向かう。
振り返らない。
振り返る理由が、もうないからだ。
回廊へ出ると、冷たい空気が肺に満ちる。
遠くで、城下の灯りが揺れていた。
「……境界線は、越えさせない」
それは、彼のためでもある。
そして、何より――私自身のため。
過去は、過去。
今の私は、ここにいる。
その事実だけが、
静かに、しかし確かに、足元を支えていた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】悪役令嬢ですが、元官僚スキルで断罪も陰謀も処理します。
かおり
ファンタジー
異世界で悪役令嬢に転生した元官僚。婚約破棄? 断罪? 全部ルールと書類で処理します。
謝罪してないのに謝ったことになる“限定謝罪”で、婚約者も貴族も黙らせる――バリキャリ令嬢の逆転劇!
※読んでいただき、ありがとうございます。ささやかな物語ですが、どこか少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位
11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位
11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位
11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位
婚約破棄で追放された悪役令嬢ですが、隣国で『魔道具ネット通販』を始めたら金貨スパチャが止まりません〜私を追い出した王国は経済崩壊しました〜
ハリネズミの肉球
ファンタジー
「婚約破棄だ。君は国を裏切った」
王太子の冷たい宣言で、公爵令嬢セシリア・アルフェンはすべてを失う。
罪状は“横領と国家反逆”。もちろん冤罪だ。
だが彼女は静かに笑っていた。
――なぜなら、彼女には誰にも知られていない能力があったから。
それは「異世界にいながら、現代日本のECサイトを閲覧できる」という奇妙なスキル。
隣国へ追放されたセシリアは、その知識を使い始める。
鏡。石鹸。ガラス瓶。香水。保存食。
この世界ではまだ珍しい品を魔道具で再現し、数量限定で販売。
さらに彼女は「配信魔道具」を開発。
商品制作の様子をライブ配信しながら販売するという、前代未聞の商売を始める。
結果――
貴族たちは熱狂。
金貨の投げ銭が空を舞う。
セシリアの店は世界最大の商会へと急成長。
一方で、彼女を追放した祖国では異変が起きていた。
セシリアが管理していた輸出ルートが止まり、
物資不足、価格暴騰、そして経済崩壊。
焦った王太子が通信魔道具で泣きついてくる。
「戻ってきてくれ……!」
しかしセシリアはワイングラスを揺らしながら笑う。
「あ、その声はブロック対象です」
これは――
婚約破棄された悪役令嬢が、世界経済を握るまでの物語。
※本作品は、人工知能の生成する文章の力をお借りしつつも、最終的な仕上げにあたっては著者自身の手により丁寧な加筆・修正を施した作品です。
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
偽りの呪いで追放された聖女です。辺境で薬屋を開いたら、国一番の不運な王子様に拾われ「幸運の女神」と溺愛されています
黒崎隼人
ファンタジー
「君に触れると、不幸が起きるんだ」――偽りの呪いをかけられ、聖女の座を追われた少女、ルナ。
彼女は正体を隠し、辺境のミモザ村で薬師として静かな暮らしを始める。
ようやく手に入れた穏やかな日々。
しかし、そんな彼女の前に現れたのは、「王国一の不運王子」リオネスだった。
彼が歩けば嵐が起き、彼が触れば物が壊れる。
そんな王子が、なぜか彼女の薬草店の前で派手に転倒し、大怪我を負ってしまう。
「私の呪いのせいです!」と青ざめるルナに、王子は笑った。
「いつものことだから、君のせいじゃないよ」
これは、自分を不幸だと思い込む元聖女と、天性の不運をものともしない王子の、勘違いから始まる癒やしと幸運の物語。
二人が出会う時、本当の奇跡が目を覚ます。
心温まるスローライフ・ラブファンタジー、ここに開幕。
追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?
タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。
白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。
しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。
王妃リディアの嫉妬。
王太子レオンの盲信。
そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。
「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」
そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。
彼女はただ一言だけ残した。
「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」
誰もそれを脅しとは受け取らなかった。
だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
『お前の顔は見飽きた!』内心ガッツポーズで辺境へ
夏乃みのり
恋愛
「リーナ・フォン・アトラス! 貴様との婚約を破棄する!」
華やかな王宮の夜会で、第一王子ジュリアンに突きつけられた非情な宣告。冤罪を被せられ、冷酷な悪役令嬢として追放を言い渡されたリーナだったが、彼女の内心は……「やったーーー! これでやっとトレーニングに専念できるわ!」と歓喜に震えていた!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる