婚約破棄された令嬢ですが、判断を急がない領地改革を始めました

鷹 綾

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第16話 選ばれる側から、選ぶ側へ

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第16話 選ばれる側から、選ぶ側へ

 エドワルド王太子が去った翌朝、城内はいつも通りの静けさを取り戻していた。
 視察という非日常が終わり、シュヴァルツリッター公爵領は、再び“仕事をする場所”へと戻る。

 私にとって、それは安堵でもあり、確認でもあった。

 ――私は、もう過去に引き戻されない。

 執務室の机に広げられた書類は、視察対応で後回しになっていた案件の山だった。
 交易路の再調整、職人ギルドとの新規契約、農地の水利計画。

「……やることは、尽きないわね」

 けれど、不思議と疲労感はなかった。
 むしろ、頭は冴えている。

 ノアール・シュヴァルツリッター公爵は、定刻通りに執務室へ姿を現した。

「視察の後始末は?」

「問題ありません。王宮側からの追加要求も、現時点では」

「そうか」

 それだけで十分だった。
 彼は、感情的な評価を口にしない。
 だが、その態度そのものが、信頼の証だ。

「一つ、話がある」

 公爵は、椅子に腰を下ろし、私を見た。

「王宮から、正式な打診が来ている」

 予想はしていた。
 だから、動揺はない。

「……どのような内容でしょうか」

「改革顧問としての復帰要請だ。条件は、以前より良い」

 以前より、という言葉に、わずかな皮肉が含まれているのを感じる。

「肩書き、裁量、報酬。
 いずれも、王宮としては最大限だろう」

 公爵は、私の反応を観察していた。

 私は、すぐには答えなかった。
 視線を落とし、机の上の書類を見る。

「……ご意見を、伺っても?」

「私の意見は、重要ではない」

 即答だった。

「選ぶのは、君だ」

 その一言で、胸の奥が、静かに震えた。

 王宮では、私は常に“選ばれる側”だった。
 婚約者として。
 補佐として。
 都合のいい存在として。

 今は、違う。

「……少し、考えさせてください」

「当然だ」

 公爵は、それ以上何も言わなかった。

 昼下がり、城下を視察して回る。
 表向きは、日常業務。
 だが、私の思考は、別の場所にあった。

「エミリア様!」

 声をかけてきたのは、以前税の件で相談を受けた農村の代表だった。

「今年の作付け、順調です。
 水路の調整のおかげで」

「それは、良かった」

 自然と、笑みがこぼれる。

「来年は、さらに収量が見込めそうです」

 その言葉は、数字以上の意味を持っていた。

 ――人の生活が、前向きに変わっている。

 それは、王宮では得られなかった実感だ。

 夜、自室に戻り、一人で書簡を広げる。
 王宮からの正式な文面。

 丁寧な言葉。
 破格の条件。
 そして、行間に滲む焦り。

「……必要とされている、のね」

 だが、それは“今さら”の必要だ。

 私は、別の書類を取り出した。
 シュヴァルツリッター公爵領の中期計画案。

 物流網の完成。
 人材育成制度の導入。
 数年先を見据えた、地に足のついた計画。

(……ここには、私の仕事がある)

 翌朝、私は決断を持って執務室へ向かった。

「お返事を?」

 ノアール公爵は、短く尋ねる。

「はい」

 私は、まっすぐに答えた。

「王宮の要請は、お断りします」

 言葉は、静かだった。
 だが、揺らぎはない。

「理由は?」

「二つあります」

 私は、指を折った。

「一つ目。
 王宮は、私が“いなくなって困った”だけで、
 私が“何を成したいか”には、関心がありません」

 公爵は、何も言わずに聞いている。

「二つ目」

 私は、視線を上げた。

「私は、ここで“選ばれる側”ではなく、“選ぶ側”でいたい」

 それが、すべてだった。

 ノアール公爵は、ほんの一瞬だけ目を細め、やがて頷いた。

「……そうか」

 それ以上の言葉は、なかった。
 だが、その沈黙は、肯定だった。

 その日の午後、王宮へ返書を出した。
 丁重に、簡潔に。

 夜、窓の外を見下ろす。
 城下の灯りが、穏やかに揺れている。

「……戻らない、選択」

 それは、逃げではない。
 拒絶でもない。

 自分の足で立ち、
 自分の意思で、場所を選ぶということ。

 私は、深く息を吸った。

 選ばれる側から、選ぶ側へ。

 その一歩を踏み出した今、
 もう、後ろを振り返る理由はなかった。
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