婚約破棄された令嬢ですが、判断を急がない領地改革を始めました

鷹 綾

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第27話 見えない亀裂

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第27話 見えない亀裂

 朝の報告書に目を通した瞬間、私は小さく眉をひそめた。

 数字は、整っている。
 物流量も、税収も、雇用数も、すべて計画通り――いや、計画以上だ。

 それなのに。

(……違和感がある)

 成果が出すぎている。
 努力や工夫の積み重ねを無視したかのように、数字だけが滑らかすぎた。

「補佐官様」

 執務室に入ってきたのは、監査担当の中堅官吏だった。
 几帳面で、普段は感情を表に出さない人物だ。

「少し、お時間をいただけますか」

「ええ。どうぞ」

 彼は椅子に腰掛けると、慎重に言葉を選び始めた。

「……一部の部署で、報告と実態に、わずかな乖離が見られます」

「どの程度?」

「数値としては、誤差の範囲です。
 ですが、傾向として気になります」

 私は、静かに頷いた。

「具体的には?」

「成果が出ている部署ほど、現場からの改善提案が減っています」

 その言葉に、胸の奥が冷えた。

(見えない亀裂)

 それは、制度の歪みではない。
 人の意識の歪みだ。

「……理由は?」

「推測ですが」

 彼は、一度言葉を切る。

「“今のやり方を崩したくない”という空気が、生まれているように見えます」

 私は、机に置いたペンを指先で転がした。

 成功は、時に停滞を生む。
 失敗を恐れるあまり、挑戦を避けるようになる。

「報告、ありがとう。
 引き続き、監査を続けてください」

「はい」

 彼が退室した後、私はしばらく動けずにいた。

(成果が、盾になっている)

 改革は、守るために始めたものだ。
 だが、守る意識が強くなりすぎれば、動けなくなる。

 午後、私はあえて予定を変更し、現場視察に出た。
 事前連絡は入れない。

 物流倉庫、商会、工房――
 どこも、表向きは整然としている。

「エミリア様!」

 職人が、慌てて頭を下げる。

「最近、問題はありませんか」

 私は、いつもの調子で尋ねた。

「ええ、特には……」

 一瞬の間。
 その沈黙が、答えだった。

「“特にない”というのは、
 “何も変えていない”という意味でもありますよね」

 職人は、言葉に詰まった。

「……正直に言いますと」

 彼は、視線を落とす。

「今は、余計なことをしない方が安全だと……」

 私は、深く息を吸った。

「誰が、そう言いましたか」

「……皆、です」

 責任の所在が、曖昧になる瞬間。

 私は、穏やかな声で続けた。

「失敗しても、責めません。
 ですが、何も考えずに同じことを繰り返すのは、
 失敗よりも危険です」

 職人は、驚いたように顔を上げた。

「……そう、言ってもらえると」

 その言葉が、現場の本音だ。

 城へ戻る途中、私は考え続けた。

(制度は、まだ生きている)

(だが、人の心が、守りに入っている)

 夜、ノアール公爵に報告する。

「停滞の兆し、か」

「はい。小さなものですが、放置できません」

 公爵は、腕を組む。

「どうする」

「“失敗していい場”を、意図的に作ります」

「ほう」

「小規模な実験枠です。
 成果を求めず、試行錯誤だけを評価する」

 公爵は、少し考え、頷いた。

「それで、人は動くか」

「動きます」

 私は、確信をもって答えた。

「許可されなければ、人は挑戦できません」

 翌日、私は全体通達を出した。

 ――試験的施策枠の設置
 ――失敗による不利益なし
 ――報告義務は結果ではなく過程

 城内に、ざわめきが広がる。

 不安と、期待が入り混じった空気。

 夕方、若い官吏が執務室を訪ねてきた。

「……本当に、失敗してもいいのですか」

「ええ」

 私は、即答した。

「失敗を隠す方が、問題です」

 彼は、深く頭を下げた。

「挑戦してみます」

 その背中を見送りながら、私は思う。

 亀裂は、見えないうちに広がる。
 だが、早く気づけば、塞ぐこともできる。

 改革は、完成しない。
 だからこそ、続けられる。

 夜更け、執務室の灯りの下で、私は静かにペンを取った。

 数字の裏にある、人の息遣いを忘れないために。

 均衡を保つとは、
 完璧を目指すことではない。

 揺らぎに気づき、向き合い続けること。

 その覚悟を、私は改めて胸に刻んだ。
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