『婚約破棄されたので、元婚約者の「理想の聖女」を育ててみた結果』

鷹 綾

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第29話 役割がなくても、朝は来る

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第29話 役割がなくても、朝は来る

 夜明け前の空は、淡い灰色だった。
 まだ太陽は見えないが、闇は確実に後退している。

 ミリエラは、離宮の小さな自室で目を覚まし、しばらく天井を見つめていた。
 鐘も鳴っていない。
 呼びに来る侍女もいない。

「……今日は、予定がありませんね」

 それは確認ではなく、事実だった。

 かつての彼女は、
 予定が空白であることに、強い不安を覚えていた。
 “必要とされていない証拠”のように感じていたからだ。

 だが今は違う。

    ◇

 朝食のあと、ミリエラは庭に出た。
 水やりをし、葉の様子を見る。
 成長の遅い苗に、そっと影を作る。

 誰にも見られていない。
 評価も、報告もない。

 それでも、手は止まらなかった。

「……役割がなくても、
 私はここにいます」

 小さく口に出してみる。
 不思議と、胸は静かだった。

    ◇

 同じ朝、王宮ではエドワルド殿下が一人、回廊を歩いていた。

 侍従はついていない。
 急ぎの会議もない。

「……静かだな」

 それは寂しさではなく、
 これまで感じたことのない“余白”だった。

 王太子としての役割が薄れたことで、
 彼は初めて、
 自分の時間がどれほど少なかったかを思い知る。

    ◇

 昼前、私は学院の書庫で資料を整理していた。

 古い記録。
 失敗の報告。
 誰にも読まれず、
 それでも確かに積み重ねられてきた文字。

「……役割は、
 終わるために存在するのかもしれませんね」

 誰に向けるでもなく、呟く。

 終わらない役割は、
 人を壊す。

    ◇

 午後、離宮に一通の書簡が届いた。

 内容は簡潔だった。

『本日は、特に異常なし』

 ミリエラは、その一文を読み、
 ふっと笑った。

「……何も起きない日、ですね」

 奇跡もない。
 期待も、過剰な願いもない。

 それは、
 彼女が守り続けてきた結果だった。

    ◇

 夕方、王都の空に雲が広がる。

 ミリエラは窓辺で、遠くの街を眺めていた。

「……聖女じゃなくなっても、
 こうして夕日を見るんでしょうね」

 未来を想像しても、
 不安は湧かなかった。

    ◇

 夜。

 日誌に、彼女は短く書く。

『今日は、役割を果たさなかった。
 それでも、悪くなかった』

    ◇

 人は、役割があることで安心する。
 だが、役割がなくなった時に崩れるなら、
 それは仮の支えにすぎない。

 この物語が辿り着いたのは、
 特別な存在であり続けることではない。

 何者でもない時間を、
 恐れずに受け入れられる強さ。

 
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