39 / 41
第38話 期待の外側で
しおりを挟む
第38話 期待の外側で
夜明け前の村は、ひどく静かだった。
遠くで咳き込む音。
薪がはぜる小さな音。
眠れぬまま朝を待つ人々の気配が、薄い霧のように漂っている。
ミリエラは、簡素な宿舎の窓を開け、外の空気を吸い込んだ。
冷たい。
けれど、澄んでいる。
◇
「……聖女さま、ですよね?」
背後から、ためらう声がした。
振り返ると、十代半ばほどの少女が立っている。
昨夜、母親を看病していた子だ。
ミリエラは、すぐに答えなかった。
少しだけ、時間を置いてから――
首を横に振る。
「違います」
少女は、目を見開いた。
◇
「でも……
昨日から、皆、落ち着いてきて……」
「医師の方々のおかげです」
ミリエラは、きっぱりと言う。
「私は、
水を運んだだけですよ」
少女は、納得できない顔をしたまま、
それでも黙り込んだ。
◇
午前中、医師団の診察は続いた。
病は、時間と衛生の問題が大きいと分かり、
隔離と消毒の指示が出される。
奇跡は、不要だった。
必要なのは、手間と忍耐。
ミリエラは、
患者の名と症状を記録し、
家族の話を聞き、
医師の指示を伝えて回った。
◇
昼頃。
広場の片隅で、
数人の村人が集まり、
小声で話しているのが聞こえた。
「……祈らないのか?」
「聖女なら、
もっと、こう……」
期待。
失望。
戸惑い。
それらは、
かつて何度も向けられた視線だった。
◇
ミリエラは、足を止めた。
だが、
振り返らない。
説明もしない。
弁解もしない。
◇
夕方、
一人の老人が声をかけてきた。
「……あんたは、
不思議な人だな」
ミリエラは、首をかしげる。
「そうですか?」
「聖女みたいで、
聖女じゃない」
老人は、しわだらけの顔で笑った。
◇
「……期待を、
置いていく人だ」
その言葉に、
ミリエラは、少しだけ目を見開いた。
◇
「置いていく……ですか」
「そうだ。
背負わない。
持って帰らない」
老人は、空を見上げる。
「だがな、
それで助かる人間も、いる」
◇
その夜。
容体が悪化していた患者が、
峠を越えた。
医師が安堵の息をつき、
家族が泣いて礼を言う。
視線が、
一瞬、ミリエラに集まる。
◇
彼女は、
ゆっくりと一歩下がった。
「……医師に、
お礼を」
それだけ告げる。
◇
部屋に戻り、
灯りを落とす。
胸の奥に、
わずかな痛みがあった。
期待の外側に立つということは、
感謝の輪からも、
一歩外れるということ。
◇
それでも。
その痛みは、
彼女を縛らなかった。
◇
“聖女なら、こうすべき”
“象徴なら、応えるべき”
その言葉の外に立ち、
それでも、人の役に立つ。
◇
ミリエラは、
静かに布団に身を沈める。
「……これで、いい」
誰かの声ではない。
自分の声だ。
◇
期待の外側には、
孤独もある。
だが同時に、
誰にも奪われない距離がある。
ミリエラは、
その距離を抱えたまま、
ゆっくりと目を閉じた。
村の夜は、
昨日より、
ほんの少しだけ、
静かだった。
夜明け前の村は、ひどく静かだった。
遠くで咳き込む音。
薪がはぜる小さな音。
眠れぬまま朝を待つ人々の気配が、薄い霧のように漂っている。
ミリエラは、簡素な宿舎の窓を開け、外の空気を吸い込んだ。
冷たい。
けれど、澄んでいる。
◇
「……聖女さま、ですよね?」
背後から、ためらう声がした。
振り返ると、十代半ばほどの少女が立っている。
昨夜、母親を看病していた子だ。
ミリエラは、すぐに答えなかった。
少しだけ、時間を置いてから――
首を横に振る。
「違います」
少女は、目を見開いた。
◇
「でも……
昨日から、皆、落ち着いてきて……」
「医師の方々のおかげです」
ミリエラは、きっぱりと言う。
「私は、
水を運んだだけですよ」
少女は、納得できない顔をしたまま、
それでも黙り込んだ。
◇
午前中、医師団の診察は続いた。
病は、時間と衛生の問題が大きいと分かり、
隔離と消毒の指示が出される。
奇跡は、不要だった。
必要なのは、手間と忍耐。
ミリエラは、
患者の名と症状を記録し、
家族の話を聞き、
医師の指示を伝えて回った。
◇
昼頃。
広場の片隅で、
数人の村人が集まり、
小声で話しているのが聞こえた。
「……祈らないのか?」
「聖女なら、
もっと、こう……」
期待。
失望。
戸惑い。
それらは、
かつて何度も向けられた視線だった。
◇
ミリエラは、足を止めた。
だが、
振り返らない。
説明もしない。
弁解もしない。
◇
夕方、
一人の老人が声をかけてきた。
「……あんたは、
不思議な人だな」
ミリエラは、首をかしげる。
「そうですか?」
「聖女みたいで、
聖女じゃない」
老人は、しわだらけの顔で笑った。
◇
「……期待を、
置いていく人だ」
その言葉に、
ミリエラは、少しだけ目を見開いた。
◇
「置いていく……ですか」
「そうだ。
背負わない。
持って帰らない」
老人は、空を見上げる。
「だがな、
それで助かる人間も、いる」
◇
その夜。
容体が悪化していた患者が、
峠を越えた。
医師が安堵の息をつき、
家族が泣いて礼を言う。
視線が、
一瞬、ミリエラに集まる。
◇
彼女は、
ゆっくりと一歩下がった。
「……医師に、
お礼を」
それだけ告げる。
◇
部屋に戻り、
灯りを落とす。
胸の奥に、
わずかな痛みがあった。
期待の外側に立つということは、
感謝の輪からも、
一歩外れるということ。
◇
それでも。
その痛みは、
彼女を縛らなかった。
◇
“聖女なら、こうすべき”
“象徴なら、応えるべき”
その言葉の外に立ち、
それでも、人の役に立つ。
◇
ミリエラは、
静かに布団に身を沈める。
「……これで、いい」
誰かの声ではない。
自分の声だ。
◇
期待の外側には、
孤独もある。
だが同時に、
誰にも奪われない距離がある。
ミリエラは、
その距離を抱えたまま、
ゆっくりと目を閉じた。
村の夜は、
昨日より、
ほんの少しだけ、
静かだった。
0
あなたにおすすめの小説
婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです
藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。
家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。
その“褒賞”として押しつけられたのは――
魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。
けれど私は、絶望しなかった。
むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。
そして、予想外の出来事が起きる。
――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。
「君をひとりで行かせるわけがない」
そう言って微笑む勇者レオン。
村を守るため剣を抜く騎士。
魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。
物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。
彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。
気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き――
いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。
もう、誰にも振り回されない。
ここが私の新しい居場所。
そして、隣には――かつての仲間たちがいる。
捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。
これは、そんな私の第二の人生の物語。
政略結婚の意味、理解してますか。
章槻雅希
ファンタジー
エスタファドル伯爵家の令嬢マグノリアは王命でオルガサン侯爵家嫡男ペルデルと結婚する。ダメな貴族の見本のようなオルガサン侯爵家立て直しが表向きの理由である。しかし、命を下した国王の狙いはオルガサン家の取り潰しだった。
マグノリアは仄かな恋心を封印し、政略結婚をする。裏のある結婚生活に楽しみを見出しながら。
全21話完結・予約投稿済み。
『小説家になろう』(以下、敬称略)・『アルファポリス』・『pixiv』・自サイトに重複投稿。
虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても
千堂みくま
恋愛
「この卑しい娘め、おまえはただの身代わりだろうが!」 ケルホーン伯爵家に生まれたシーナは、ある理由から義理の家族に虐げられていた。シーナは姉のルターナと瓜二つの顔を持ち、背格好もよく似ている。姉は病弱なため、義父はシーナに「ルターナの代わりに、婚約者のレクオン王子と面会しろ」と強要してきた。二人はなんとか支えあって生きてきたが、とうとうある冬の日にルターナは帰らぬ人となってしまう。「このお金を持って、逃げて――」ルターナは最後の力で屋敷から妹を逃がし、シーナは名前を捨てて別人として暮らしはじめたが、レクオン王子が迎えにやってきて……。○第15回恋愛小説大賞に参加しています。もしよろしければ応援お願いいたします。
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
【完結】陛下、花園のために私と離縁なさるのですね?
紺
ファンタジー
ルスダン王国の王、ギルバートは今日も執務を妻である王妃に押し付け後宮へと足繁く通う。ご自慢の後宮には3人の側室がいてギルバートは美しくて愛らしい彼女たちにのめり込んでいった。
世継ぎとなる子供たちも生まれ、あとは彼女たちと後宮でのんびり過ごそう。だがある日うるさい妻は後宮を取り壊すと言い出した。ならばいっそ、お前がいなくなれば……。
ざまぁ必須、微ファンタジーです。
学園首席の私は魔力を奪われて婚約破棄されたけど、借り物の魔力でいつまで調子に乗っているつもり?
今川幸乃
ファンタジー
下級貴族の生まれながら魔法の練習に励み、貴族の子女が集まるデルフィーラ学園に首席入学を果たしたレミリア。
しかし進級試験の際に彼女の実力を嫉妬したシルヴィアの呪いで魔力を奪われ、婚約者であったオルクには婚約破棄されてしまう。
が、そんな彼女を助けてくれたのはアルフというミステリアスなクラスメイトであった。
レミリアはアルフとともに呪いを解き、シルヴィアへの復讐を行うことを決意する。
レミリアの魔力を奪ったシルヴィアは調子に乗っていたが、全校生徒の前で魔法を披露する際に魔力を奪い返され、醜態を晒すことになってしまう。
※3/6~ プチ改稿中
(完結)モブ令嬢の婚約破棄
あかる
恋愛
ヒロイン様によると、私はモブらしいです。…モブって何でしょう?
攻略対象は全てヒロイン様のものらしいです?そんな酷い設定、どんなロマンス小説にもありませんわ。
お兄様のように思っていた婚約者様はもう要りません。私は別の方と幸せを掴みます!
緩い設定なので、貴族の常識とか拘らず、さらっと読んで頂きたいです。
完結してます。適当に投稿していきます。
王太子妃に興味はないのに
藤田菜
ファンタジー
眉目秀麗で芸術的才能もある第一王子に比べ、内気で冴えない第二王子に嫁いだアイリス。周囲にはその立場を憐れまれ、第一王子妃には冷たく当たられる。しかし誰に何と言われようとも、アイリスには関係ない。アイリスのすべきことはただ一つ、第二王子を支えることだけ。
その結果誰もが羨む王太子妃という立場になろうとも、彼女は何も変わらない。王太子妃に興味はないのだ。アイリスが興味があるものは、ただ一つだけ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる