婚約破棄された有能令嬢ですが、もう誰の役にも立ちません 〜静かな引退と、無口公爵の見守り溺愛〜にも立ちません

鷹 綾

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第17話 決断の刻

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第17話 決断の刻

 返答が届いたのは、夜明け前だった。

 執務棟に駆け込んできた伝令の足音は、いつもよりも重い。廊下を進むごとに、空気が張り詰めていくのが分かる。
 アデリーナ・フォン・グラーフは、机に向かっていた手を止め、静かに顔を上げた。

「王都からです」

 差し出された封書には、王宮の正式な印が押されている。
 これまでの曖昧な文面とは違う。逃げ道のない形だ。

 執務室には、すでにバルトロメウス・フォン・クレイン公爵と側近たちが集まっていた。誰も口を開かない。封を切る音だけが、やけに大きく響いた。

 書簡の内容は、簡潔だった。

 条件を――受け入れる。

 その一文に至るまでの言葉は、慎重で、遠回しで、誇りと不安が入り混じっている。だが、結論だけは明確だった。

「……受けましたね」

 アデリーナは、静かに呟いた。

 公爵は、短く息を吐く。

「選んだ、ということだな」

 選択肢は二つしかなかった。
 主導権を渡し、仕組みを変えるか。
 あるいは、崩れ続けるか。

 王都は、ようやく前者を選んだ。

「支援の範囲は、こちらの条件通りです」

 側近の一人が、確認するように言う。

「補給、配分、現場判断。
 すべて、こちらの方式に合わせる、と」

 アデリーナは頷いた。

「言葉では、そう書いてあります」

 問題は、実行できるかどうかだ。

「準備を始めましょう」

 彼女は、淡々と指示を出す。

「第一陣は、物資ではなく人です。
 管理官、調整役、現場判断ができる者を派遣します」

「物資は」

「後です。
 仕組みが整わなければ、いくら送っても同じことになります」

 その言葉に、誰も異を唱えなかった。

 ここでは、すでに常識だった。

 朝が明ける頃、執務棟は慌ただしく動き始めた。
 選ばれた人員が集められ、指示書が配られる。目的地、権限、判断基準。すべてが明文化されている。

 アデリーナは、その様子を静かに見守っていた。

 王都へ向かう彼らは、彼女の代わりではない。
 彼女が作ったやり方を、そのまま運ぶ存在だ。

 それが、何より重要だった。

 昼前、公爵が声をかける。

「同行はしないのか」

「しません」

 即答だった。

「行けば、また“誰か個人”の問題にされます。
 今回は、仕組みが機能するかを見ます」

 バルトロメウスは、少しだけ口元を緩めた。

「徹底しているな」

「同じ誤りを、繰り返したくありません」

 それだけだった。

 午後、王都から追加の連絡が入る。

 現場は混乱しているが、こちらの指示に従う用意はある、という内容だ。

「用意がある、では足りません」

 アデリーナは、短く言った。

「従う、ではなく、任せる覚悟が必要です」

 返答は、そのままの言葉で送られた。

 遠回しにする必要はない。
 ここまで来た以上、曖昧さは毒になる。

 夕刻。

 第一陣が出発する準備を整えた。

 馬車に積まれるのは、最低限の物資と、分厚い指示書の束。
 兵士たちの表情は引き締まっている。

「必ず、現場で判断してください」

 アデリーナは、派遣される管理官たちに告げた。

「上の顔色は、見る必要はありません。
 基準と状況だけを見てください」

「承知しました」

 彼らの返事に、迷いはなかった。

 それを見送りながら、アデリーナは胸の奥で静かに息を吐く。

 決断の刻は、確かに過ぎた。
 だが、本当の試練は、これからだ。

 王都が、変われるかどうか。
 仕組みに身を委ねられるかどうか。

 夜。

 部屋に戻ったアデリーナは、椅子に腰を下ろしたまま、しばらく動かなかった。

 かつて、自分一人で抱え込んでいた仕事。
 誰にも任せられず、誰にも引き継がれなかったやり方。

 今は違う。

「……やっと、ここまで来ました」

 小さく呟く。

 これは、復讐ではない。
 見返すためでもない。

 ただ、正しい判断を積み重ねた結果だ。

 灯りを落とし、窓の外を見る。

 国境の向こうには、まだ混乱が残っている。
 だが、そこに初めて、秩序の芽が植えられた。

 王都の未来は、今まさに選ばれた。
 そしてその選択の重みを、これから、彼ら自身が背負うことになる。

 アデリーナは、静かに目を閉じた。

 決断は終わった。
 後は、結果が示されるだけだ。
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