婚約破棄された有能令嬢ですが、もう誰の役にも立ちません 〜静かな引退と、無口公爵の見守り溺愛〜にも立ちません

鷹 綾

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第15話 揺るがぬ判断

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第15話 揺るがぬ判断

 夜明け前、執務棟の灯りはすでに入っていた。

 クレイン公爵邸では、異変が起きたときほど、朝が早い。
 誰かが声を荒げることも、走り回ることもない。ただ、必要な者が必要な場所に集まり、淡々と準備を進める。

 アデリーナ・フォン・グラーフは、厚手の外套を腕にかけ、執務室へ向かっていた。

 昨夜届いた報告が、頭から離れなかったからだ。

 王都南部、補給完全停止。
 それは、もはや一時的な混乱ではない。

 執務室に入ると、すでにバルトロメウス・フォン・クレイン公爵と側近たちが揃っていた。机の上には地図と報告書が広げられ、赤と青の印が複雑に交差している。

「最新の状況です」

 側近の一人が口を開いた。

「王都周辺で、物資の買い占めが発生しています。
 南部からの流通が止まり、都市部へ不安が波及しています」

 アデリーナは、地図を一瞥した。

「……典型的な連鎖反応ですね」

「はい。
 今朝方、王宮から近隣諸侯へ協力要請が出されました」

 その言葉に、室内の空気がわずかに動く。

 協力要請。
 それは、事実上の非常事態宣言に近い。

「こちらにも、要請が来る可能性は高い」

 側近が続ける。

 アデリーナは、静かに息を吐いた。

「来ますね。必ず」

 それは予測ではなく、確信だった。

 王都は、すでに自力で立て直す選択肢を失っている。
 だからこそ、周囲に頼らざるを得ない。

 バルトロメウスは、アデリーナを見た。

「意見を聞こう」

 彼女は、一歩前に出た。

「要請が来た場合、即時の支援は行うべきではありません」

 側近の数人が、わずかに表情を引き締める。

「理由は」

「支援を出せば、王都は“助かった”と認識します。
 原因を直視せず、同じ構造を温存したままです」

 淡々とした言葉だったが、内容は重い。

「では、放置するのですか」

 側近の一人が問う。

「いいえ」

 アデリーナは、首を横に振った。

「条件付きで行います」

 机の地図を指し示す。

「支援物資の配分、管理、決裁を、こちらの方式に合わせること。
 現場判断を認め、命令の一元化をやめること」

「……王都が、それを受け入れるとは」

「受け入れなければ、支援はありません」

 きっぱりと言い切る。

「人道的な観点から、最低限の窓口は設けます。
 ですが、主導権はこちらが持ちます」

 室内に、短い沈黙が落ちた。

 それは冷酷な判断にも見える。
 だが、実際には、最も多くを救う選択だった。

 バルトロメウスは、数秒だけ考え、頷いた。

「その方針でいく」

 即断だった。

 側近たちは、一斉に動き出す。
 通達案の作成、想定ルートの確認、倉庫の点検。

 すでに、次の段階へ進んでいる。

 昼前。

 予想通り、王宮からの正式な要請が届いた。
 文面は丁寧だが、行間には焦りが滲んでいる。

「……条件を付ける、ということで」

 側近が確認する。

「はい」

 アデリーナは、静かに頷いた。

「それ以外の選択肢は、王都自身が捨てました」

 返書は、その日のうちに送られた。

 支援の可能性は示す。
 だが、無条件ではない。

 判断を変える覚悟があるなら、手を差し伸べる。
 ないなら、これ以上の介入はしない。

 夕刻、返答が届く。

 王都は、即答できずにいた。

 当然だろう。

 これまで握っていた主導権を、手放すことになる。
 それは、政治的にも、感情的にも、容易ではない。

「……迷っていますね」

 側近が呟く。

「迷う余地があるのは、まだ余裕がある証拠です」

 アデリーナは、淡々と答えた。

「本当に追い込まれれば、答えは一つしかなくなります」

 その夜、執務を終えたアデリーナは、部屋に戻った。

 椅子に腰を下ろし、今日一日の判断を振り返る。

 揺らぐ要素は、いくつもあった。
 王都への感情、過去のしがらみ、無関係ではいられない人々。

 それでも、判断は揺れなかった。

「……私は、もう選んでいる」

 小さく呟く。

 感情で動けば、楽になる場面はある。
 だが、それでは、同じ過ちを繰り返す。

 ここで求められているのは、優しさではなく、責任だ。

 灯りを落とし、窓の外を見る。

 国境の夜は、今日も静かだ。
 だが、その静けさの向こうで、王都は揺れている。

 選択の時は、近い。

 そして、その選択が何であれ、
 アデリーナの判断が揺らぐことは、もうなかった。
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