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第26話 役割を手放す者、拾う者
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第26話 役割を手放す者、拾う者
王都からの報告に、「王太子」という単語がほとんど出てこなくなってから、数日が経っていた。
それは、意図的に伏せられているわけではない。
必要がないから、書かれていないだけだ。
アデリーナ・フォン・グラーフは、その事実を冷静に受け止めていた。
朝の連絡室は、いつも通りの静けさだった。
管理官たちは、それぞれの持ち場で書類を整理し、次の判断に備えている。
「王都南区、配給計画の見直しが完了しました」
「問題は」
「ありません。基準に沿って、現場判断で調整済みです」
そのやり取りに、誰の名前も出てこない。
かつてなら、
最終的な承認者として、王太子の名が添えられていたはずの箇所だ。
だが今は、違う。
責任は、現場にある。
判断も、現場にある。
そして、それで回っている。
「……拾われていますね」
側近の一人が、小さく言った。
「何が、ですか」
「役割が」
アデリーナは、報告書から目を上げ、室内を見渡した。
それぞれが、自分の判断範囲を理解し、
越えてはならない線も、きちんと分かっている。
「ええ」
彼女は、静かに頷いた。
「誰かが手放した役割は、
空白のままにはなりません」
人は、必要があれば、自然と拾う。
肩書きがなくても、命令がなくても。
午後、王宮から久しぶりに長めの報告が届いた。
内容は、内部体制の再編について。
部局ごとの権限整理、責任範囲の明確化、
そして、王太子の関与を前提としない運用案。
「……完全に、前提から外していますね」
側近の声には、もはや驚きはなかった。
「はい」
アデリーナは、淡々と答える。
「これは、排除ではありません。
適応です」
組織は、生き物だ。
不要になった前提は、自然と削ぎ落とされる。
それが、誰であっても。
夕刻、バルトロメウス・フォン・クレイン公爵が、少し考え込んだ様子で口を開いた。
「王太子は……どうなる」
「分かりません」
アデリーナは、正直に答えた。
「彼が何を拾うか次第です」
「拾う、か」
「はい」
彼女は、言葉を選びながら続ける。
「人は、役割を失ったとき、
初めて“自分が何をしたいのか”を考えます」
王太子という立場は、
考える余地を、ほとんど与えない。
生まれた瞬間から、
やるべきことも、期待も、敷かれた道も決まっている。
それを失った今、
彼は初めて、自由と向き合わされているのだ。
夜。
アデリーナは、窓辺に立ち、王都の方角を見ていた。
あの場所で、
今も誰かが仕事をし、判断をし、責任を負っている。
彼女がいなくても、
王太子がいなくても。
「……拾う者は、強いですね」
小さく呟く。
奪われたのではない。
空いた場所に、手を伸ばしただけ。
それは、野心ではなく、必要から生まれる行為だ。
かつての自分も、そうだった。
誰かがやらなかったから、拾った。
誰もやらないなら、自分がやるしかなかった。
だが今は違う。
拾う者は、一人ではない。
それぞれが、
自分の分だけ拾い、
自分の分だけ背負っている。
アデリーナは、ゆっくりと息を吐いた。
役割を手放す者。
役割を拾う者。
どちらが正しい、という話ではない。
ただ、世界は、
拾う者の方へ、静かに傾いていく。
それが、
止めようのない流れだということを、
彼女は、もうよく知っていた。
明日もまた、
誰かが役割を拾い、
誰かが役割を手放す。
その積み重ねの先に、
新しい日常が、当たり前のように続いていく。
アデリーナは、灯りを落とし、部屋を後にした。
彼女自身は、もう拾わない。
拾わなくても、世界が回る場所に、辿り着いたのだから。
王都からの報告に、「王太子」という単語がほとんど出てこなくなってから、数日が経っていた。
それは、意図的に伏せられているわけではない。
必要がないから、書かれていないだけだ。
アデリーナ・フォン・グラーフは、その事実を冷静に受け止めていた。
朝の連絡室は、いつも通りの静けさだった。
管理官たちは、それぞれの持ち場で書類を整理し、次の判断に備えている。
「王都南区、配給計画の見直しが完了しました」
「問題は」
「ありません。基準に沿って、現場判断で調整済みです」
そのやり取りに、誰の名前も出てこない。
かつてなら、
最終的な承認者として、王太子の名が添えられていたはずの箇所だ。
だが今は、違う。
責任は、現場にある。
判断も、現場にある。
そして、それで回っている。
「……拾われていますね」
側近の一人が、小さく言った。
「何が、ですか」
「役割が」
アデリーナは、報告書から目を上げ、室内を見渡した。
それぞれが、自分の判断範囲を理解し、
越えてはならない線も、きちんと分かっている。
「ええ」
彼女は、静かに頷いた。
「誰かが手放した役割は、
空白のままにはなりません」
人は、必要があれば、自然と拾う。
肩書きがなくても、命令がなくても。
午後、王宮から久しぶりに長めの報告が届いた。
内容は、内部体制の再編について。
部局ごとの権限整理、責任範囲の明確化、
そして、王太子の関与を前提としない運用案。
「……完全に、前提から外していますね」
側近の声には、もはや驚きはなかった。
「はい」
アデリーナは、淡々と答える。
「これは、排除ではありません。
適応です」
組織は、生き物だ。
不要になった前提は、自然と削ぎ落とされる。
それが、誰であっても。
夕刻、バルトロメウス・フォン・クレイン公爵が、少し考え込んだ様子で口を開いた。
「王太子は……どうなる」
「分かりません」
アデリーナは、正直に答えた。
「彼が何を拾うか次第です」
「拾う、か」
「はい」
彼女は、言葉を選びながら続ける。
「人は、役割を失ったとき、
初めて“自分が何をしたいのか”を考えます」
王太子という立場は、
考える余地を、ほとんど与えない。
生まれた瞬間から、
やるべきことも、期待も、敷かれた道も決まっている。
それを失った今、
彼は初めて、自由と向き合わされているのだ。
夜。
アデリーナは、窓辺に立ち、王都の方角を見ていた。
あの場所で、
今も誰かが仕事をし、判断をし、責任を負っている。
彼女がいなくても、
王太子がいなくても。
「……拾う者は、強いですね」
小さく呟く。
奪われたのではない。
空いた場所に、手を伸ばしただけ。
それは、野心ではなく、必要から生まれる行為だ。
かつての自分も、そうだった。
誰かがやらなかったから、拾った。
誰もやらないなら、自分がやるしかなかった。
だが今は違う。
拾う者は、一人ではない。
それぞれが、
自分の分だけ拾い、
自分の分だけ背負っている。
アデリーナは、ゆっくりと息を吐いた。
役割を手放す者。
役割を拾う者。
どちらが正しい、という話ではない。
ただ、世界は、
拾う者の方へ、静かに傾いていく。
それが、
止めようのない流れだということを、
彼女は、もうよく知っていた。
明日もまた、
誰かが役割を拾い、
誰かが役割を手放す。
その積み重ねの先に、
新しい日常が、当たり前のように続いていく。
アデリーナは、灯りを落とし、部屋を後にした。
彼女自身は、もう拾わない。
拾わなくても、世界が回る場所に、辿り着いたのだから。
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