姉の婚約者を奪った義妹は、偽金まみれの恋と一緒に断罪されました

鷹 綾

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13話 もっと使いたい

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13話 もっと使いたい

オルフィナは、一度知ってしまった秘密を忘れなかった。

忘れられるはずもなかった。

ヴォルゼック伯爵家の奥で見た、あの机の上の金貨。型。薬液。低く交わされていた声。ゼルカインの、あまりに冷たい評価。

――金を見せておけば、それで十分だ。

あの言葉は、いまも時折、夢の中で耳に蘇る。

本来なら、それで怯えて離れるべきだったのかもしれない。

普通の娘ならそうしただろう。

けれどオルフィナは、普通の娘ではなかった。少なくとも、自分ではそう思っていた。

だって、知ってしまったのだ。

ただ高価な宝石を贈られて喜ぶだけの女ではなく、その宝石がどこから来るのか、どんな秘密の上に輝いているのかを知る側に、自分は立っている。

そう考えると、恐怖は少しずつ別の熱へ変わっていった。

怖い。

けれど、特別。

危うい。

けれど、誰より上。

それがたまらなく甘かった。

その日もオルフィナは、朝から鏡の前で髪を結わせながら、次に買う品のことを考えていた。

「今日は何色のドレスがよろしいでしょう」

侍女が布見本を差し出す。

オルフィナは退屈そうに眺め、それから首を振った。

「もう少し華やかなものがいいわ。最近、皆似たような色ばかりでつまらないもの」

「では、濃い紅か、紫でしょうか」

「そうねえ……」

口ではそう言いながら、オルフィナの視線は別のところにあった。

机の上に置かれた、昨夜ゼルカインから届いた小箱だ。

中には新しい耳飾りが入っていた。細かな金細工に、深い青の石。王都ではまだほとんど見ない意匠だった。

あの人は分かっている。

何を贈れば自分が喜ぶのかを。

それだけで十分ではないか、とオルフィナは思う。

たとえあの言葉が少し冷たかったとしても。

たとえ自分が全部を愛されているわけではなかったとしても。

いま手の中にあるのは、現実の輝きだ。

姉にはないもの。

誰もが羨むもの。

それなら、少しくらい目をつぶってもいいではないか。

「オルフィナ様?」

侍女に呼ばれ、オルフィナは我に返る。

「ああ、ええ。紫にするわ。けれど刺繍はもっと多くして。そうね、銀糸ではなく金糸で」

「かしこまりました」

侍女が下がった後も、オルフィナはしばらく小箱を見つめていた。

そしてふと、昨夜の夜会で見た令嬢たちの顔を思い出す。

羨望。

嫉妬。

媚びるような笑み。

あの視線を浴びる瞬間が、最近のオルフィナはたまらなく好きだった。

以前は違った。

姉の影に隠れ、皆がまずルヴェリアを見て、そのあとで「妹さんも可愛らしいのね」とつけ足すように言うのが普通だった。

いかにもついでに思い出したような褒め方。

それがどれほど腹立たしかったか。

それなのに今は違う。

皆が自分を見る。

自分のドレスを見る。

自分の宝石を見る。

そして、自分の後ろにあるヴォルゼック伯爵家の財を思い浮かべる。

それは最高の気分だった。

「もっと……」

思わず、声が漏れた。

もっと欲しい。

もっと驚かせたい。

もっと羨ましがられたい。

ただ宝石をひとつ贈られるだけでは足りない。

ただ夜会を一度成功させるだけでも足りない。

もっと大きく、もっと派手に、自分が“選ばれた女”であることを見せつけたい。

その思いは日に日に強くなっていた。

昼過ぎ、オルフィナはヴォルゼック伯爵家からの使いが持ってきた請求控えを眺めていた。

先日の夜会に使われた費用の一覧だ。

楽師、料理、酒、花、飾り布、贈答品。

かなりの額だったが、使いの男は眉一つ動かさずに言った。

「ゼルカイン様より、気になさらずにとのことです」

「もちろん気になどしませんわ」

オルフィナはすぐに答える。

だがその胸の内では、別の感情が膨らんでいた。

これだけ使っても、平然としている。

だったら、もっと使ってもいいのではないか。

これくらいで危ういと思う方が、かえって間違っているのではないか。

あの日見たものは確かに怖かった。だが伯爵家の側は、いまも普段通りに動いている。王都の空気は少しざわついているが、オルフィナ自身は何も失っていない。

むしろ前より持っている。

だったら大丈夫だ。

そう思うと、理屈はどんどん都合よく並び始めた。

使いの男が控えめに尋ねる。

「追加で、何かご入用でしょうか」

その言葉を待っていたかのように、オルフィナは顔を上げた。

「そうね。新しい馬車を見たいわ」

男が一瞬だけ目を細める。

「馬車、でございますか」

「ええ。今のでは少し普通すぎるもの。次の外出では、ひと目で分かるくらい華やかなものがいいわ」

「……ゼルカイン様にお伝えいたします」

「それだけじゃなくてよ」

オルフィナは指先で請求控えの端をなぞった。

「別邸の食器も総入れ替えしたいの。あと庭園に、珍しい南方の花を植えさせるわ。香油も前の倍は欲しいし、新しく専属の仕立て職人も必要ね」

男は黙った。

顔には出ない。だが空気がわずかに硬くなる。

それでもオルフィナは気づかないふりをした。

いや、本当は気づいていたのかもしれない。

けれど止めなかった。

止まれなかった。

ここで遠慮したら、自分の方が負けた気がしたのだ。

秘密を知って震えただけの女ではなく、それでもなお、この金を使いこなせる女であることを、自分自身に証明したかった。

「ゼルカイン様なら、分かってくださるわ」

オルフィナがそう言うと、男は深く頭を下げた。

「……承知いたしました」

男が去ったあと、オルフィナは満足げに椅子へ深く腰かけた。

胸が熱い。

少しだけ、ひどく気分がいい。

危うい橋の上で踊っているような興奮があった。

そこへ義母が現れた。

「まあ、楽しそうね」

「お母様」

義母は机の上の控えを覗き込み、目を丸くする。

「まあまあ。こんなに?」

「大したことありませんわ」

「でも、立派なものねえ。ヴォルゼック伯爵家は本当に羽振りがいいのね」

その言い方に、オルフィナは内心でほっとした。

義母も疑っていない。

少なくとも表向きには、ただの金持ちの気前のよさで通っている。

なら大丈夫だ。

王宮が少し騒いだところで、結局、誰も決定的なものは掴めないのだろう。

そう思いたかった。

義母はうっとりした顔で続ける。

「次は何をお願いするの?」

「馬車ですわ」

「まあ!」

「あと、別邸の内装も。もっと目立つものにしたいの」

義母は楽しそうに笑った。

「いいじゃない。どうせなら王都中が噂するくらいにしなさいな。あの子にだって見せつけておやりなさい」

あの子――ルヴェリアのことだ。

オルフィナの唇が自然と歪む。

そうだ。

もっと見せつけてやればいい。

婚約者を奪われただけではない。財でも、華やかさでも、これほど差がついたのだと。

あの澄ました顔を、いつか本当に歪ませてやりたい。

その欲がまた、オルフィナの中の理性を一段押し流す。

「ええ、そうしますわ」

彼女は立ち上がり、鏡の前へ行った。

耳に新しい飾りを当ててみる。

青い石が、金の細工の中で揺れる。

きれい。

もっと欲しい。

もっと。

もっと。

その日の夕方、ヴォルゼック伯爵家の屋敷では、使いの男がゼルカインに報告していた。

「オルフィナ様が、追加のご要望を」

ゼルカインは書類から目を上げる。

「今度は何だ」

「馬車。別邸の内装変更。香油の増量。庭園の改装。食器の総入れ替え。ほかにも、仕立て職人を専属にと」

数秒の沈黙が落ちた。

執務机の向かいに座っていた年配の男が、露骨に顔をしかめる。

「だから言ったのだ。あの娘は使いすぎる」

ゼルカインは椅子の背へ体を預けたまま、感情の薄い声で言う。

「予想はしていた」

「予想していたなら止めろ」

「止めて聞く相手なら、最初からこんなに便利ではない」

年配の男の目が険しくなる。

「便利、だと?」

「目立ちたがりで、金に酔いやすく、しかも自分が愛されていると信じている。使うには最適だろう」

男は低く吐き捨てる。

「このままでは、あれはいずれ自分から火の中へ飛び込むぞ」

「その時は」

ゼルカインは淡く笑った。

「その時に考えればいい」

あまりにも冷たい声だった。

けれど、その冷たさこそが今の伯爵家の本音だった。

オルフィナはもう、必要だから飼われている。

だが同時に、危険でもある。

使えば使うほど偽金は王都へ広がる。だが、目立てば目立つほど、いずれ目印にもなる。

便利で、危うい。

まるで火をつけた松明を、絹の上で振り回しているようなものだった。

一方その頃、オルフィナはそんな空気を知らぬまま、寝室で新しい布見本を眺めていた。

色とりどりの絹。

金糸。

刺繍見本。

その全部が、彼女には未来のように見えた。

不安がまったく消えたわけではない。

時折、あの日の冷たい声を思い出して胸がざわつくこともある。

けれどそのたびに、彼女は自分に言い聞かせた。

怖がる必要なんてない。

私は選ばれている。

こんなに与えられているのだから。

そしてその言い聞かせは、ますます彼女を大胆にした。

恐怖を塗りつぶすように。

不安を見ないふりするように。

オルフィナはさらに金を求めるようになっていく。

それが自分の首を絞める綱になりつつあることにも、まだ気づかないまま。
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