『やりたくないからやらないだけ 〜自分のために働かない選択をした元貴族令嬢の静かな失踪〜』

鷹 綾

文字の大きさ
5 / 40

5話 何も起きない日々

しおりを挟む
5話 何も起きない日々

 山の朝は、静かだった。

 鳥の声で目が覚めることもあれば、何も聞こえず、ただ明るくなった気配で目を開けることもある。決まった時刻はない。必要もない。

 ファーファは、起きたいときに起きた。

 寝台から出て、窓を開ける。冷たい空気が入り込み、頭が少しだけ冴える。深呼吸をしてから、扉の外を見る。

 今日も、箱が置かれていた。

 大きくもなく、小さくもない。持ち上げるのに困らない重さ。中身は、見なくてもだいたい分かる。

「……相変わらず、正確ね」

 独り言を落とし、箱を中に運ぶ。

 中身は保存食と乾燥肉、豆、塩。季節に合わせた衣類と、薬草の包み。それと、紅茶。

 豪華ではない。
 不足もない。

 狩りに出る必要はなかった。
 罠を仕掛ける必要もない。
 畑を耕す計画も、立てていない。

 ファーファは、棚に物資を収めると、湯を沸かした。紅茶を淹れ、椅子に腰掛ける。

 静かだ。

 王都にいた頃は、静けさは「隙」として扱われた。何もしていない時間は、怠惰と呼ばれ、説明を求められた。

 ここでは違う。

 何も起きない時間は、ただの時間だった。

 本を開く。
 数頁読んで、閉じる。
 また開く。

 集中しているわけでもない。だが、焦りもない。

 昼になり、簡単な食事を取る。量は少なめでいい。誰に見せるわけでもないのだから、見栄も要らない。

 食べ終え、皿を洗い、また座る。

 ――退屈かと聞かれたら、どうだろう。

 ファーファは少し考えた。

 退屈という言葉は、何かを期待している人間のためのものだ。ここでは、期待する相手も、される相手もいない。

 だから、退屈は存在しない。

 午後、外に出る。
 散歩というほどの距離でもない。ただ、家の周囲を一回りするだけ。

 山は、何も要求してこない。
 話しかけてもこない。
 役割も与えない。

 それが、心地よかった。

 夕方、雲が流れ、日が傾く。
 ファーファは、薪を少しだけ足し、火を整える。

 生活は、回っていた。
 誰かに支えられている感覚もない。

「支援物資……」

 ふと、思い出したように呟く。

「まあ……年金みたいなものよね」

 すでに終えた役割への清算。
 すでに払われた対価。

 借りはない。
 返す義務もない。

 だから、気持ちが楽だった。

 夜、本を閉じ、ランプを消す。
 寝台に横になり、目を閉じる。

 今日も、何も起きなかった。
 問題も、事件も、誰かの感情も。

 それでいい。

 王都では今頃、誰かが焦り、誰かが噂し、誰かが後悔しているかもしれない。だが、それはもう、ファーファの世界ではない。

 ここには、静かな山と、変わらない日々があるだけだ。

 ファーファ・ノクティスは、その中で、何もせず、何も望まず、ただ眠りについた。

 ――何も起きない。

 それが、この生活の、いちばんの価値だった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。

潮海璃月
ファンタジー
幼くして辺境伯の地位を継いだレナータは、女性であるがゆえに舐められがちであった。そんな折、社交場で伯爵令嬢にいわれのない罪を着せられてしまう。そんな彼女に隣国皇子カールハインツが手を差し伸べた──かと思いきや、ほとんど初対面で婚姻を申し込み、暇さえあれば口説き、しかもやたらレナータのことを知っている。怪しいほど親切なカールハインツと共に、レナータは事態の収拾方法を模索し、やがて伯爵一家への復讐を決意する。

婚約破棄された令嬢は、幸せになると決めました~追放先で出会った冷徹公爵が、なぜか溺愛してくる件~

sika
恋愛
名家の令嬢・アイリスは、婚約者の王太子から「平凡すぎる」と婚約破棄を突きつけられる。全てを奪われ、家からも冷たく追放された彼女がたどり着いたのは、戦場帰りの冷徹公爵・レオンの領地だった。誰にも期待しないようにしていたアイリスだったが、無愛想な彼の優しさに少しずつ心を開いていく。 やがて、笑顔を取り戻した彼女の前に、あの王太子が後悔と共に現れて——。 「すまない、戻ってきてくれ」 「もう、あなたの令嬢ではありません」 ざまぁと溺愛が交錯する、幸福への再生ストーリー。

【完結】婚約者はお譲りします!転生悪役令嬢は世界を救いたい!

白雨 音
恋愛
公爵令嬢アラベラは、階段から転落した際、前世を思い出し、 この世界が、前世で好きだった乙女ゲームの世界に似ている事に気付いた。 自分に与えられた役は《悪役令嬢》、このままでは破滅だが、避ける事は出来ない。 ゲームのヒロインは、聖女となり世界を救う《予言》をするのだが、 それは、白竜への生贄として《アラベラ》を捧げる事だった___ 「この世界を救う為、悪役令嬢に徹するわ!」と決めたアラベラは、 トゥルーエンドを目指し、ゲーム通りに進めようと、日々奮闘! そんな彼女を見つめるのは…? 異世界転生:恋愛 (※婚約者の王子とは結ばれません) 《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆

気付けば名も知らぬ悪役令嬢に憑依して、見知らぬヒロインに手をあげていました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
私が憑依した身体の持ちは不幸のどん底に置かれた悪役令嬢でした ある日、妹の部屋で見つけた不思議な指輪。その指輪をはめた途端、私は見知らぬ少女の前に立っていた。目の前には赤く腫れた頬で涙ぐみ、こちらをじっと見つめる可憐な美少女。そして何故か右手の平が痛む私。もしかして・・今私、この少女を引っ叩いたの?!そして何故か頭の中で響き渡る謎の声の人物と心と体を共存することになってしまう。憑依した身体の持ち主はいじめられっ娘の上に悪役令嬢のポジションに置かれている。見るに見かねた私は彼女を幸せにする為、そして自分の快適な生活を手に入れる為に自ら身体を張って奮闘する事にした―。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています。

転生令嬢は捨てられた元婚約者に微笑む~悪役にされたけど、今さら愛されてももう遅い~

exdonuts
恋愛
前世で酷く裏切られ、婚約破棄された伯爵令嬢リリアーナ。涙の最期を迎えたはずが、気づけば婚約破棄より三年前の自分に転生していた。 今度こそもう誰にも傷つけられない——そう誓ったリリアーナは、静かに運命を書き換えていく。かつて彼女を見下し利用した人々が、ひとり、またひとりと破滅していく中……。 「リリアーナ、君だけを愛している」 元婚約者が涙ながらに悔やんでも、彼女の心はもう戻らない。 傷ついた令嬢が笑顔で世界を制す、ざまぁ&溺愛の王道転生ロマンス!

婚約破棄された令嬢は平凡な青年に拾われて、今さら後悔した公爵様に知らん顔されても困ります

exdonuts
恋愛
婚約者に裏切られ、社交界から笑い者にされた侯爵令嬢セシリア。すべてを失い途方に暮れる中、彼女を救ったのは町外れのパン屋で働く青年リアムだった。 「もう無理に頑張らなくていい」――そう言って微笑む彼の優しさに、凍りついていた心が溶けていく。 しかし、幸せが訪れた矢先、かつての婚約者が突然彼女の前に現れて……? これは、失われた令嬢が本当の愛と尊厳を取り戻す、ざまぁと溺愛の物語。

『「君は飾りだ」と言われた公爵令嬢、契約通りに王太子を廃嫡へ導きました』

ふわふわ
恋愛
「君は優秀だが、王妃としては冷たい。正直に言えば――飾りとしては十分だった」 そう言って婚約者である王太子に公然と切り捨てられた、公爵令嬢アデルフィーナ。 さらに王太子は宣言する。 「王家は外部信用に頼らない」「王家が条文だ」と。 履行履歴も整えず、契約も軽視し、 新たな婚約者と共に“強い王家”を演出する王太子。 ――ですが。 契約は宣言では動きません。 信用は履歴の上にしか立ちません。 王命が止まり、出荷が止まり、資材が止まり、 やがて止まったのは王太子の未来でした。 自ら押した承認印が、 自らの継承権を奪うことになるとも知らずに。 公然侮辱から始まる、徹底的な強ザマァ。 救済なし。 やり直しなし。 契約通りに処理しただけですのに―― なぜか王太子が廃嫡されました。

お前との婚約は、ここで破棄する!

ねむたん
恋愛
「公爵令嬢レティシア・フォン・エーデルシュタイン! お前との婚約は、ここで破棄する!」  華やかな舞踏会の中心で、第三王子アレクシス・ローゼンベルクがそう高らかに宣言した。  一瞬の静寂の後、会場がどよめく。  私は心の中でため息をついた。

処理中です...