働かない令嬢は、すでに幸せです  ――婚約破棄? それより紅茶の時間をください

鷹 綾

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第29話 何もしない令嬢、責任だけ拾う

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第29話 何もしない令嬢、責任だけ拾う

 朝の光が、カーテン越しにやわらかく差し込んでいた。
 私はベッドの中で少しだけ目を開け、すぐに閉じる。

(……起きたくない)

 だが、起きなくても勝手に一日は始まる。
 それが、今のアーデルハイド公爵家だった。

 廊下の先で人の気配が動く。
 誰かが指示を出し、誰かが判断し、誰かが実行する。
 私が声をかけなくても、すべてが滞りなく進んでいく。

(理想的ね)

 ようやく起き上がり、窓辺へ向かう。
 庭では使用人たちが剪定を行い、指示を出す声も落ち着いている。
 誰も私の様子をうかがっていない。
 それだけで、心が軽くなる。

 そこへ、控えめなノック。

「お嬢様」

 マーガレットだった。

「なに?」

「本日は、基本的に問題はございません。ただ……」

「“ただ”がつく時点で、問題はあるのよね」

 マーガレットは少し困ったように微笑む。

「倉庫の帳簿に、軽微な不整合が見つかりました」

「被害は?」

「ありません。
 数量差もごく僅かで、原因は入力時の認識違いかと」

 私は紅茶を一口飲み、考えた。

(つまり――誰も悪くない)

「関係者は?」

「皆、自分の責任だと思っております」

 それは、あまり良くない兆候だった。

「……帳簿、持ってきて」

 応接室に広げられた帳簿は、確かに少しだけ数字がずれている。
 だが、そこに悪意はなく、むしろ皆が“良かれと思って”動いた結果だと分かる。

 私はペンを取り、短く記した。

『本件は仕組み上の問題であり、個人の責任は問わない』

 それだけ。

 ロバートが、思わず声を上げた。

「お嬢様、原因究明を先に……」

「するわ。でも、順番が逆よ」

「逆、ですか?」

「責任追及が先に来ると、
 皆、次から“動かなくなる”もの」

 私は顔を上げ、穏やかに続けた。

「失敗しても大丈夫だって空気がないと、
 “何もしない”は成立しないの」

 午後、関係者を集めた。

 皆、どこか硬い表情をしている。
 叱責を覚悟しているのが分かった。

「今回は、誰も悪くありません」

 一瞬、空気が止まる。

「ただ、仕組みが合っていなかっただけ。
 だから直します」

 私は最低限の変更だけを告げた。

・報告窓口は一本化
・判断は現場で完結
・迷ったら止めていい

「以上です。解散してください」

 誰もが拍子抜けしたように立ち上がり、
 深く頭を下げて部屋を出ていった。

 夕方、父が執務室で言った。

「結局、
 お前が“責任”を拾ったな」

「うん」

「それでも、
 何もしない主義か?」

 私は少し考えて答えた。

「普段はね。
 でも、落ちているものを
 踏み越える趣味はないわ」

 父は、静かに笑った。

「なるほど……
 それが、お前の線引きか」

 夜。

 私は日記を開いた。

『今日は、
 責任だけ拾った。
 働いた実感はない。
 でも、放置するより
 心は軽かった』

 ペンを置き、天井を見る。

 何もしない。
 けれど、逃げない。
 すべてを背負わない代わりに、
 必要なところだけ受け止める。

(……案外、悪くない)

 私は布団に潜り込み、目を閉じた。

 ――明日も、基本は何もしない。
 ただし、
 落ちている責任だけは拾う。

 それが、
 私なりの“働かない流儀”だった。
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