公爵令嬢、学校をつくる。 ―学院のない世界に学院を作りますわ!―

鷹 綾

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第1話 誕生と誓い

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第1話 誕生と誓い

 私は、自分が生まれた日のことを知らない。

 けれど、その日のことを何度も聞かされた。

 だからまるで、自分の記憶のように思い出せる。

 重たい扉の向こうで、冬の風が鳴っていたという。トレイルブレイザー公爵家の屋敷は、古く、厚い石壁に囲まれている。嵐の日でも揺らぐことはないが、その日はやけに静かだったと、母は笑って話してくれた。

「あなたが生まれたとき、お父様は少しだけ怖い顔をなさっていたのよ」

 母はそう言って、私の髪を撫でる。

「怖い顔、ですか?」

「ええ。でもね、泣いてはいなかったわ。ただ、真剣だったの」

 私は幼い頃、その意味が分からなかった。

 公爵家の後継として生まれたのなら、喜ばれるのは当然だ。けれど私は女だ。いずれどこかへ嫁ぐ身。家名を継ぐのは別の誰かになる。

 だから真剣だったのだろうか、と幼心に考えたこともある。

 だが本当は違った。

 それを知ったのは、七歳の冬だった。

 暖炉の前で本を読んでいた私の前に、父が腰を下ろした。

「レクチャラー」

 父はいつも穏やかに私の名を呼ぶ。

 ファウンディング・トレイルブレイザー公爵。王国でも有数の実力者。だが屋敷の中では、ただの父だ。

「はい、お父様」

「今日は少し、昔話をしよう」

 父が昔話をする時は、決まって本を閉じる。私は膝の上に乗せていた本をそっと置いた。

「この国にはな、徒弟制度がある」

「職人のところへ弟子入りする制度ですわね」

「そうだ。修道院もある。神の教えを学ぶ場だ」

「はい」

「だが、もう一つの形があったらどう思う」

 私は首を傾げる。

「もう一つ?」

「優秀な教師を一か所に集め、子どもたちを一定期間預かり、順序立てて教える場だ」

 聞いたことのない話だった。

「それは……修道院とは違うのですか?」

「違う。信仰のためではない。統治のためだ」

 統治。

 私はその言葉に小さく息をのんだ。

 父は続ける。

「家ごとに家庭教師を囲うのは非効率だ。優秀な教師は限られている。ならば集めればよい」

「そのような場所は、どこにあるのですか?」

「この国にはない」

 父は笑った。

「遠い世界の話だ」

 遠い世界。

 父は時折、そんな言い方をする。どこか違う場所を見ているような目をすることがある。

「そこでは、それを学院と呼んでいた」

 私はその言葉を繰り返す。

「がくいん」

 舌に乗せると、不思議と響きがよい。

「素敵な響きですわ」

「そうか」

 父は少しだけ目を細めた。

「だがこの世界では、おとぎ話だ」

 おとぎ話。

 その言葉は、私の胸に残った。

 それから何年も経って、私はその話を何度も思い出した。

 徒弟制度は、技を継ぐためのもの。

 修道院は、神のためのもの。

 家庭教師は、家の力を示すもの。

 どれも悪くはない。

 けれど、機会は偏っている。

 優秀な教師に学べるのは、ごく一部の家の子だけ。

 才能があっても、機会がなければ伸びない。

 それは、もったいないと思った。

 その言葉を口にしたのは、十歳の春だった。

「お父様」

 執務室の扉の前で、私は一度だけ深呼吸をした。

 中では、父が書類に目を通している。家臣たちが忙しく行き交う音がする。

 だが私は、躊躇しなかった。

「どうした、レクチャラー」

 父は顔を上げる。

「お時間をいただけますか」

「もちろんだ」

 家臣が一人、静かに退室する。

 私は机の前に立った。

「優秀な教師を一か所に集めます」

 父の眉がわずかに動く。

「子弟を一定期間預かり、順序立てて教えます。科目を定め、規律を定め、成果を測ります」

「ほう」

「家庭教師より安価に。教師にはより高い報酬を」

 父は黙って聞いている。

「今の教育は、家ごとに閉じています。それは非効率です」

 私は続けた。

「優秀な人材は国家の財です。機会の差で埋もれさせるのは損失です」

 執務室が静まる。

 父はしばらく私を見つめ、それからゆっくりと口を開いた。

「それを、何と呼ぶ」

 私は迷わなかった。

「学院、とでも」

 父は小さく息を吐いた。

「この世界でそれを作るのは容易ではないぞ」

「存じています」

「口にしただけで潰される話もある」

「はい」

 私はうなずく。

「ですから、潰されるところからは始めません」

 父の目が、わずかに柔らぐ。

「男子の教育から始めます。国家にとって必要な部分から」

「女子ではなく?」

「はい」

 私は正面から父を見た。

「より多くの者に教育の機会を与えるのが目的です。ですが、いきなり全てを求めれば、何も残りません」

 父は椅子にもたれた。

「段階か」

「はい」

「お前は、自分の代で終わらせるつもりか」

 その問いに、私は一瞬だけ考えた。

「達成されることが目的です」

 自分で終わらせられなくてもいい。

 けれど、必ず到達する。

 父はゆっくりと立ち上がり、私の前に来た。

「世界はまだ、お前を許さない」

 低く、しかし優しい声。

「だから、私を盾にしろ」

 その言葉を聞いたとき、胸の奥が温かくなった。

「お父様が、お父様でなければ」

 私は思わず笑ってしまう。

「お父様に恋をしていたかもしれません」

 父は目を丸くし、それから静かに笑った。

「光栄だね」

「お母様に嫉妬しそうです」

「彼女に自慢してもいいかな」

「恥ずかしいから、やめてください」

「そうだね。やめておこう」

 そのやり取りの向こうで、私ははっきりと理解していた。

 未来は決まっていない。

 学院が成功するかも分からない。

 女子へと広がるかも分からない。

 王家がどう出るかも分からない。

 けれど。

 分からないから、今できることを積み重ねる。

 それが私の役目。

 学院という言葉が、この世界にまだ存在しないのなら。

 まずは、その言葉から始めればいい。

 私は、父の背を見送りながら、静かに決意した。

 これはおとぎ話ではない。

 おとぎ話にしないために、始めるのだ。
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