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第2話 機会という差
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第2話 機会という差
学院という言葉は、まだこの世界に存在しない。
けれど、私はその言葉を胸の奥にしまったまま、何食わぬ顔で日常を送っていた。
表向き、私はトレイルブレイザー公爵家の令嬢だ。
刺繍も嗜む。舞踏の練習もする。礼儀作法も欠かさない。
だが同時に、私は帳簿を読む。
父の執務室に置かれた古い書類を借り、家庭教師の契約金額を並べていく。
一人の優秀な教師を囲うために、どれだけの金が動いているのか。
講義の時間はどれほどか。
子ども一人あたりの教育費は。
数字は嘘をつかない。
「やはり、高すぎますわ」
小さく呟くと、隣で母が微笑んだ。
「何がかしら」
「家庭教師の契約です。優秀な方ほど、数家に囲われている。時間は限られ、移動も多い。非効率です」
母は刺繍枠から顔を上げる。
「けれど、それが貴族の誇りなのでしょう?」
「誇りは否定しません。ただ、機会が偏りすぎています」
私は帳簿を閉じた。
「同じ額を出せる家は限られます。優秀な教師に学べるのは、一部の子弟だけ。才能は血統に比例しませんのに」
母はしばらく私を見つめ、ゆっくりと言った。
「あなたは、優しすぎるのかもしれないわね」
「優しさではありません」
私は首を横に振る。
「損失ですわ」
母は、ふっと笑った。
「お父様に似たのね」
似ているのだろうか。
父は転生者だ。
それは私だけが知っているわけではない。けれど、誰もそれを口にしない。父はただ、異様に先を読む人だということになっている。
ある夜、私は父に尋ねたことがある。
「お父様。才能は、生まれで決まりますか」
父は暖炉の火を見つめながら答えた。
「機会で決まることが多い」
「機会」
「学べるかどうか。試せるかどうか。失敗できるかどうか。それが差になる」
その言葉は、ずっと残っている。
だから私は考える。
徒弟制度は、職人の家に生まれた者しか入れない。
修道院は、神に仕える覚悟のある者だけ。
家庭教師は、金のある家だけ。
どれも間違いではない。
だが、広くはない。
機会が、狭い。
私はまだ子どもだ。
公爵家の令嬢ではあるが、政治に口を出せる立場ではない。
だから、口にはしない。
今はまだ。
けれど、観察はできる。
私は屋敷に出入りする家庭教師たちを見ていた。
ある者は、朝は侯爵家、昼は伯爵家、夜は子爵家へと馬車を走らせる。
疲れは隠しきれない。
授業の質が落ちるのも無理はない。
逆に、ある家は優秀な教師を囲い込み、他家に回さない。
それが家の威信だから。
だが、それは国家の利益とは限らない。
「レクチャラー」
父が声をかける。
私は執務室の端に座り、書類を読んでいた。
「何を見ている」
「家庭教師契約の一覧です」
「ほう」
「この三家、同じ教師を囲っています。時間は重複しています」
父は近づき、書類を覗き込む。
「確かに無理があるな」
「講師を一か所に集めれば、移動時間は不要になります」
「そうだな」
「複数の子弟を同時に教えれば、費用は分散されます」
「理屈は通る」
「では」
私は顔を上げる。
「理屈が通るものは、いずれ通りますか」
父は少し考え、それから静かに答えた。
「通るとは限らない。理屈より慣習が強いこともある」
「慣習は、変わりませんか」
「変わる。だが段階を踏む」
段階。
私はその言葉を噛みしめる。
「いきなり女子から始めれば、潰される」
父は私の心を読んだように言った。
私は苦笑する。
「お見通しですか」
「お前は、目を逸らさないからな」
父は机に腰を預けた。
「まずは男子だ。国家に必要だと誰もが認める部分から」
「はい」
「成功例を作れ。数字で示せ。感情ではなく利益で語れ」
私は深くうなずく。
「機会を広げたいのなら、まず機会を制度にしろ」
父の言葉は、常に具体的だ。
夢物語にはしない。
私はそれが好きだった。
だから私は決めている。
より多くの者に教育の機会を。
だが、その言葉はまだ言わない。
口にしただけで、潰されるようなところからは始めない。
今は基盤づくり。
男子教育の合理化。
それが第一歩。
私は窓の外を見る。
庭では、若い騎士見習いたちが剣の稽古をしている。
彼らは学ぶ機会を持っている。
だが、それは偶然だ。
家に生まれたから。
私はその偶然を、少しでも減らしたい。
自分が終わらせられなくてもいい。
けれど、必ず達成する。
父は盾になってくれる。
母は理解してくれている。
未来は分からない。
分からないからこそ、今は数字を積み重ねる。
学院という言葉は、まだ誰も知らない。
けれど私は知っている。
機会という差が、いずれ形になることを。
そしてその形を、私は作る。
学院という言葉は、まだこの世界に存在しない。
けれど、私はその言葉を胸の奥にしまったまま、何食わぬ顔で日常を送っていた。
表向き、私はトレイルブレイザー公爵家の令嬢だ。
刺繍も嗜む。舞踏の練習もする。礼儀作法も欠かさない。
だが同時に、私は帳簿を読む。
父の執務室に置かれた古い書類を借り、家庭教師の契約金額を並べていく。
一人の優秀な教師を囲うために、どれだけの金が動いているのか。
講義の時間はどれほどか。
子ども一人あたりの教育費は。
数字は嘘をつかない。
「やはり、高すぎますわ」
小さく呟くと、隣で母が微笑んだ。
「何がかしら」
「家庭教師の契約です。優秀な方ほど、数家に囲われている。時間は限られ、移動も多い。非効率です」
母は刺繍枠から顔を上げる。
「けれど、それが貴族の誇りなのでしょう?」
「誇りは否定しません。ただ、機会が偏りすぎています」
私は帳簿を閉じた。
「同じ額を出せる家は限られます。優秀な教師に学べるのは、一部の子弟だけ。才能は血統に比例しませんのに」
母はしばらく私を見つめ、ゆっくりと言った。
「あなたは、優しすぎるのかもしれないわね」
「優しさではありません」
私は首を横に振る。
「損失ですわ」
母は、ふっと笑った。
「お父様に似たのね」
似ているのだろうか。
父は転生者だ。
それは私だけが知っているわけではない。けれど、誰もそれを口にしない。父はただ、異様に先を読む人だということになっている。
ある夜、私は父に尋ねたことがある。
「お父様。才能は、生まれで決まりますか」
父は暖炉の火を見つめながら答えた。
「機会で決まることが多い」
「機会」
「学べるかどうか。試せるかどうか。失敗できるかどうか。それが差になる」
その言葉は、ずっと残っている。
だから私は考える。
徒弟制度は、職人の家に生まれた者しか入れない。
修道院は、神に仕える覚悟のある者だけ。
家庭教師は、金のある家だけ。
どれも間違いではない。
だが、広くはない。
機会が、狭い。
私はまだ子どもだ。
公爵家の令嬢ではあるが、政治に口を出せる立場ではない。
だから、口にはしない。
今はまだ。
けれど、観察はできる。
私は屋敷に出入りする家庭教師たちを見ていた。
ある者は、朝は侯爵家、昼は伯爵家、夜は子爵家へと馬車を走らせる。
疲れは隠しきれない。
授業の質が落ちるのも無理はない。
逆に、ある家は優秀な教師を囲い込み、他家に回さない。
それが家の威信だから。
だが、それは国家の利益とは限らない。
「レクチャラー」
父が声をかける。
私は執務室の端に座り、書類を読んでいた。
「何を見ている」
「家庭教師契約の一覧です」
「ほう」
「この三家、同じ教師を囲っています。時間は重複しています」
父は近づき、書類を覗き込む。
「確かに無理があるな」
「講師を一か所に集めれば、移動時間は不要になります」
「そうだな」
「複数の子弟を同時に教えれば、費用は分散されます」
「理屈は通る」
「では」
私は顔を上げる。
「理屈が通るものは、いずれ通りますか」
父は少し考え、それから静かに答えた。
「通るとは限らない。理屈より慣習が強いこともある」
「慣習は、変わりませんか」
「変わる。だが段階を踏む」
段階。
私はその言葉を噛みしめる。
「いきなり女子から始めれば、潰される」
父は私の心を読んだように言った。
私は苦笑する。
「お見通しですか」
「お前は、目を逸らさないからな」
父は机に腰を預けた。
「まずは男子だ。国家に必要だと誰もが認める部分から」
「はい」
「成功例を作れ。数字で示せ。感情ではなく利益で語れ」
私は深くうなずく。
「機会を広げたいのなら、まず機会を制度にしろ」
父の言葉は、常に具体的だ。
夢物語にはしない。
私はそれが好きだった。
だから私は決めている。
より多くの者に教育の機会を。
だが、その言葉はまだ言わない。
口にしただけで、潰されるようなところからは始めない。
今は基盤づくり。
男子教育の合理化。
それが第一歩。
私は窓の外を見る。
庭では、若い騎士見習いたちが剣の稽古をしている。
彼らは学ぶ機会を持っている。
だが、それは偶然だ。
家に生まれたから。
私はその偶然を、少しでも減らしたい。
自分が終わらせられなくてもいい。
けれど、必ず達成する。
父は盾になってくれる。
母は理解してくれている。
未来は分からない。
分からないからこそ、今は数字を積み重ねる。
学院という言葉は、まだ誰も知らない。
けれど私は知っている。
機会という差が、いずれ形になることを。
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