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第3話 おとぎ話では終わらせない
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第3話 おとぎ話では終わらせない
学院という言葉を、私はまだ誰にも話していない。
父と私の間だけにある、仮の名。
けれど、名を与えた瞬間から、それはただの空想ではなくなった。
私は毎日のように父の執務室へ通い、書類の山の中から数字を拾い集める。
収穫量、徴税率、商会の利益、家庭教師への支払額。
数字は冷たい。だが、正直だ。
「レクチャラー、また帳簿か」
父は苦笑しながらも、止めない。
「はい。教育費の推移を見ています」
「まだ子どもにする顔ではないな」
「子どもだからこそですわ」
私は顔を上げた。
「私が大人になる頃には、もう遅いかもしれません」
父は静かに目を細める。
「何がだ」
「機会の差が、固定されてしまうことです」
この国は、安定している。
安定しているからこそ、慣習が強い。
徒弟制度は何百年も続いてきた。
修道院も変わらない。
家庭教師制度も、誇りの象徴だ。
誰も疑わない。
疑わないから、変わらない。
「お父様」
「うん」
「学院を作るとすれば、どこから始めますか」
父は椅子にもたれ、腕を組む。
「いきなり制度を作るとは言わない」
「はい」
「まずは相談だ。複数の家に、講師を共同で雇う提案をする」
「共同雇用」
「名目は合理化。負担軽減。国家利益」
私はうなずく。
「学院という言葉は使わない」
「使えば警戒される」
「そうだ」
父は机の上の紙に、いくつかの数字を書き始めた。
「家庭教師を一人囲う場合の年間費用。移動時間を含めた実労働時間。複数家共同の場合の比較」
私はその横に立ち、計算を補う。
「講師側の収入も増えます」
「そうだな」
「優秀な講師ほど、安定を求めるはずです」
父は頷いた。
「だが」
その声が少しだけ低くなる。
「失敗すれば、お前の名が笑われる」
「私の名でやるつもりはありません」
「では、誰の名だ」
私は迷わず答えた。
「トレイルブレイザー公爵家の名です」
父は静かに笑った。
「私を盾にする気だな」
「お父様が盾になってくださるとおっしゃいました」
「言ったな」
「約束です」
父は一瞬だけ遠い目をした。
その表情は、私がまだ知らない世界を見ているようだった。
「おとぎ話だったはずだが」
「おとぎ話は、語られ続ければ現実になります」
「ずいぶん強気だ」
「数字が味方ですもの」
私は紙を差し出す。
「この差を見てください」
父は受け取り、しばらく黙って眺める。
「理屈は完璧だ」
「理屈が通れば、次は慣習を崩します」
「簡単ではない」
「承知しています」
私は父の目をまっすぐ見た。
「だから段階です」
まずは男子教育。
国家にとって必要不可欠な分野から。
統治、会計、法律、軍略。
誰も否定できない科目。
「女子からではないのか」
父があえて聞く。
「いきなり令嬢を集めれば、反発されます」
「それでもやりたいのだろう」
「はい」
私は微笑む。
「ですが、今ではありません」
父は大きく息を吐いた。
「お前は本当に、子どもらしくないな」
「褒め言葉として受け取ります」
父は笑った。
その笑いの奥に、少しだけ安堵が見えた。
「よし。動こう」
その一言で、世界が少しだけ動いた。
最初に声をかけたのは、三つの家だった。
いずれも家庭教師の費用に悩んでいるが、体面上、言い出せない家。
父が表向きに提案する。
「講師を一か所に集め、期間を定めて教育する形はどうか」
最初の反応は慎重だった。
「前例がない」
「子弟を他家と同じ場に置くのか」
「規律はどうなる」
当然の疑問。
私は会議の隅で、黙って聞いていた。
まだ私の出番ではない。
父が答える。
「規律は公爵家が保証する」
「費用は」
「試算を用意している」
数字が示される。
沈黙。
「……悪くない」
誰かが小さく呟く。
その瞬間、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
おとぎ話ではない。
理屈と数字で押せば、道は開く。
会議が終わり、父と廊下を歩く。
「一歩だな」
「はい」
「だが油断するな。成功するまでは、常に疑われる」
「存じています」
私は窓の外を見た。
庭では、若い貴族子弟が剣を振っている。
彼らは知らない。
自分たちが、まもなく新しい制度の最初の生徒になることを。
「お父様」
「うん」
「学院という言葉は、いつ使いますか」
父は立ち止まり、私を見た。
「成果が出た後だ」
「なぜ」
「名を与えるのは、形ができてからだ」
私はうなずく。
言葉は力を持つ。
早すぎれば、潰される。
遅すぎれば、奪われる。
その時を見極める。
それが、今の私にできること。
おとぎ話は、まだ胸の奥にしまっておく。
だが、もう空想ではない。
私は歩き出す。
未来は、まだ分からない。
けれど少なくとも、止まってはいない。
学院という言葉を、私はまだ誰にも話していない。
父と私の間だけにある、仮の名。
けれど、名を与えた瞬間から、それはただの空想ではなくなった。
私は毎日のように父の執務室へ通い、書類の山の中から数字を拾い集める。
収穫量、徴税率、商会の利益、家庭教師への支払額。
数字は冷たい。だが、正直だ。
「レクチャラー、また帳簿か」
父は苦笑しながらも、止めない。
「はい。教育費の推移を見ています」
「まだ子どもにする顔ではないな」
「子どもだからこそですわ」
私は顔を上げた。
「私が大人になる頃には、もう遅いかもしれません」
父は静かに目を細める。
「何がだ」
「機会の差が、固定されてしまうことです」
この国は、安定している。
安定しているからこそ、慣習が強い。
徒弟制度は何百年も続いてきた。
修道院も変わらない。
家庭教師制度も、誇りの象徴だ。
誰も疑わない。
疑わないから、変わらない。
「お父様」
「うん」
「学院を作るとすれば、どこから始めますか」
父は椅子にもたれ、腕を組む。
「いきなり制度を作るとは言わない」
「はい」
「まずは相談だ。複数の家に、講師を共同で雇う提案をする」
「共同雇用」
「名目は合理化。負担軽減。国家利益」
私はうなずく。
「学院という言葉は使わない」
「使えば警戒される」
「そうだ」
父は机の上の紙に、いくつかの数字を書き始めた。
「家庭教師を一人囲う場合の年間費用。移動時間を含めた実労働時間。複数家共同の場合の比較」
私はその横に立ち、計算を補う。
「講師側の収入も増えます」
「そうだな」
「優秀な講師ほど、安定を求めるはずです」
父は頷いた。
「だが」
その声が少しだけ低くなる。
「失敗すれば、お前の名が笑われる」
「私の名でやるつもりはありません」
「では、誰の名だ」
私は迷わず答えた。
「トレイルブレイザー公爵家の名です」
父は静かに笑った。
「私を盾にする気だな」
「お父様が盾になってくださるとおっしゃいました」
「言ったな」
「約束です」
父は一瞬だけ遠い目をした。
その表情は、私がまだ知らない世界を見ているようだった。
「おとぎ話だったはずだが」
「おとぎ話は、語られ続ければ現実になります」
「ずいぶん強気だ」
「数字が味方ですもの」
私は紙を差し出す。
「この差を見てください」
父は受け取り、しばらく黙って眺める。
「理屈は完璧だ」
「理屈が通れば、次は慣習を崩します」
「簡単ではない」
「承知しています」
私は父の目をまっすぐ見た。
「だから段階です」
まずは男子教育。
国家にとって必要不可欠な分野から。
統治、会計、法律、軍略。
誰も否定できない科目。
「女子からではないのか」
父があえて聞く。
「いきなり令嬢を集めれば、反発されます」
「それでもやりたいのだろう」
「はい」
私は微笑む。
「ですが、今ではありません」
父は大きく息を吐いた。
「お前は本当に、子どもらしくないな」
「褒め言葉として受け取ります」
父は笑った。
その笑いの奥に、少しだけ安堵が見えた。
「よし。動こう」
その一言で、世界が少しだけ動いた。
最初に声をかけたのは、三つの家だった。
いずれも家庭教師の費用に悩んでいるが、体面上、言い出せない家。
父が表向きに提案する。
「講師を一か所に集め、期間を定めて教育する形はどうか」
最初の反応は慎重だった。
「前例がない」
「子弟を他家と同じ場に置くのか」
「規律はどうなる」
当然の疑問。
私は会議の隅で、黙って聞いていた。
まだ私の出番ではない。
父が答える。
「規律は公爵家が保証する」
「費用は」
「試算を用意している」
数字が示される。
沈黙。
「……悪くない」
誰かが小さく呟く。
その瞬間、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
おとぎ話ではない。
理屈と数字で押せば、道は開く。
会議が終わり、父と廊下を歩く。
「一歩だな」
「はい」
「だが油断するな。成功するまでは、常に疑われる」
「存じています」
私は窓の外を見た。
庭では、若い貴族子弟が剣を振っている。
彼らは知らない。
自分たちが、まもなく新しい制度の最初の生徒になることを。
「お父様」
「うん」
「学院という言葉は、いつ使いますか」
父は立ち止まり、私を見た。
「成果が出た後だ」
「なぜ」
「名を与えるのは、形ができてからだ」
私はうなずく。
言葉は力を持つ。
早すぎれば、潰される。
遅すぎれば、奪われる。
その時を見極める。
それが、今の私にできること。
おとぎ話は、まだ胸の奥にしまっておく。
だが、もう空想ではない。
私は歩き出す。
未来は、まだ分からない。
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