公爵令嬢、学校をつくる。 ―学院のない世界に学院を作りますわ!―

鷹 綾

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第4話 名を与える時

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第4話 名を与える時

 最初の子弟が屋敷に集まったのは、初夏のことだった。

 まだ制度とも呼べない、仮の形。

 三家の嫡男と次男、合わせて五人。

 講師は二人。法律と会計。

 場所は公爵家の離れを改装した広間。

 私はその様子を、廊下の影から眺めていた。

「静かに」

 講師の声が響く。

 子弟たちは最初こそ落ち着かなかったが、やがて筆を取り、紙に向かう。

 同じ机に並ぶ姿は、どこか奇妙だった。

 これまで彼らは、家の中で、あるいは限られた家庭教師の前でしか学んでこなかった。

 他家の子弟と並ぶことは、ほとんどない。

 それが今、同じ課題に取り組んでいる。

 競争心が芽生える。

 視線が交差する。

 沈黙が生まれる。

 私はその変化を、胸の奥で感じていた。

「どうだ」

 背後から父の声。

「悪くありません」

 私は振り向かずに答える。

「規律は守られている」

「最初は物珍しさもあるだろう」

「はい」

 だが、問題はその先だ。

 この形が続くかどうか。

 成果が出るかどうか。

 私は父と並び、広間を見下ろした。

「お父様」

「うん」

「名を与えるのは、いつですか」

 父は小さく笑う。

「まだ早い」

「成果が出てから、とおっしゃいました」

「そうだ」

「では、成果とは何を指しますか」

 父は腕を組んだ。

「仕官先の評価だ」

 私はうなずく。

 結局、貴族社会は結果で動く。

 子弟が優秀であれば、文句は減る。

 優秀でなければ、前例がない制度のせいにされる。

「半年は様子を見る」

 父の判断は慎重だ。

 私は焦らない。

 焦れば、潰される。

 日々は淡々と進む。

 講義は次第に整い、時間割が生まれた。

 午前は法律、午後は会計。

 週に一度は討論。

 最初は戸惑っていた子弟たちも、次第に慣れた。

 ある日、討論の様子を聞いて、私は思わず笑った。

「それは違う。税率を上げれば農民が逃げる」

「だが軍費はどうする」

「無駄を削ればよい」

 机を叩き、声を荒げる。

 家庭教師との一対一では生まれなかった議論。

 私は胸が高鳴るのを感じた。

 これだ。

 学びは、他者との中で磨かれる。

 その夜、父の執務室で私は報告した。

「討論の時間を増やしたいと思います」

「ほう」

「他家の子弟と意見を交わすことで、視野が広がります」

「なるほど」

 父は顎に手を当てる。

「だが、衝突も増える」

「衝突は悪ではありません」

 私は静かに言う。

「衝突を経験せずに、統治はできません」

 父はしばらく黙り、それから小さく笑った。

「お前は、すでに統治者の目をしているな」

「私は統治する立場にはありません」

「それは未来が決める」

 未来。

 その言葉は、いつも重い。

 私はまだ、何者にもなっていない。

 ただ、基盤を作っているだけ。

 だが、基盤は確実に形を帯びてきた。

 半年が過ぎた。

 最初の子弟の一人が、王宮の下級官吏試験で好成績を収めた。

 偶然かもしれない。

 だが、他家もざわめいた。

「公爵家で何かしているらしい」

「講師を集めているとか」

 噂は広がる。

 父は動いた。

 主要貴族を集めた会合で、初めてその形を公にした。

「我が家では、子弟教育の効率化を図っている」

 効率化。

 その言葉は安全だ。

「講師を集め、一定期間預かる」

「費用は分散され、講師の負担も減る」

 数字が示される。

 反論は弱い。

「……興味はある」

 ある侯爵が呟いた。

 私は会合の隅で、その様子を見守る。

 父は私を前に出さない。

 まだ早い。

 だが、この瞬間が近いことは分かる。

 会合が終わった夜。

「そろそろだな」

 父が言う。

「名を与える時ですか」

「そうだ」

 私は深く息を吸った。

 学院という言葉。

 胸の奥で温めてきた名。

「名を与えることで、後戻りできなくなる」

 父の声は静かだ。

「承知しています」

「怖くはないか」

「少しだけ」

 私は正直に答える。

「だが、おとぎ話のままでは終わらせたくありません」

 父はゆっくりと立ち上がった。

「では、名を与えよう」

 翌日の会合。

 父は言った。

「我が家では、この新しい教育形態を学院と呼ぶ」

 ざわめきが走る。

 聞き慣れない言葉。

「学院とは、優秀な講師を集め、子弟を一定期間預かり、順序立てて教育する場である」

 私はその場に立ちながら、胸が震えるのを感じた。

 言葉が、形になる。

 空想だったものが、制度になる。

 反発もあった。

「前例がない」

「名ばかりではないか」

 だが、数字と成果が支える。

 完全ではない。

 だが、後戻りはしない。

 夜、私は自室で一人、窓を開けた。

 涼しい風が頬を撫でる。

 学院。

 その名は、今日この国に生まれた。

 まだ小さい。

 まだ脆い。

 けれど確かに存在する。

 私はそっと呟く。

「おとぎ話ではありませんわ」

 未来は、まだ分からない。

 だが、名を与えた以上、進むしかない。

 私は振り返らない。

 学院は、私の手を離れ、社会の中へと歩き始めた。
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