公爵令嬢、学校をつくる。 ―学院のない世界に学院を作りますわ!―

鷹 綾

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39話 距離

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39話 距離

 舞曲が終わり、王太子殿下が広間の反対側へと歩み去っていく。

 背筋は伸びている。

 敗北の色はない。

 けれど、近づいても届かない距離があると理解した者の背中だった。

 私は柱の陰に戻り、静かに息を吐く。

 今夜、決定的な何かが起きると期待していた者たちは、肩透かしを食らったような顔をしている。

 婚約の宣言はなかった。

 王太子妃誕生の兆しもなかった。

 ただ、言葉の応酬があっただけ。

 だがそれは、この場にいる者たちにとって十分な出来事だ。

「届かない」

 誰かが小さく囁いた。

 それは私に向けられた言葉ではない。

 状況への総評。

 王太子は欲している。

 公爵令嬢は渡らない。

 その構図が、今夜はっきりした。

 私は視線を上げる。

 殿下は今、老侯爵と話している。

 笑顔は穏やかだ。

 だが視線はどこか遠い。

 考えている。

 無理に押せば、公爵との軋轢が生まれる。

 押さなければ、距離は埋まらない。

 その均衡を。

 私は揺らさなかった。

 父の言葉が蘇る。

 世界はまだお前を許さない。

 許される世界を作れ。

 それまで私を盾にしろ。

 私は、盾を使った。

 それだけだ。

 だが同時に、殿下にも選択を残した。

 押し切るか。

 理解するか。

 今夜、殿下は理解を選んだ。

 それは、無能ではない証。

 私はそれを評価する。

 やがて、母が隣に立つ。

「上手に踊ったわね」

「足を踏まずに済みました」

「言葉の方よ」

 母は穏やかに笑う。

「殿下は、あなたに近づきたい。でもあなたは、まだ渡らない」

「その通りです」

「後悔は」

「ありません」

 母は小さく頷く。

「あなたは、私よりずっと冷静ね」

「お母様は、お父様を選びました」

「ええ」

「私は、まだ選びません」

 それが違いだ。

 母は政略の中で、心を見つけた。

 私はまだ、制度の中にいる。

 広間の中央で、新たな踊りが始まる。

 王太子は別の令嬢と踊っている。

 動きは正確。

 会話も整っている。

 だが、さきほどのような緊張はない。

 期待は、少し薄れた。

 皆が理解し始めている。

 今夜は決まらない。

 婚約は成立しない。

 公爵を越えなければならない。

 その壁は高い。

 私はグラスを持ち、ゆっくりと広間を眺める。

 学院。

 女子学院。

 共通講義。

 すべてが、少しずつ世界を変えている。

 だがその変化は、まだ脆い。

 王家に入れば、守られるかもしれない。

 だが同時に、色が変わる。

 私はまだ、その選択をしない。

 殿下がこちらを見る。

 一瞬、視線が交差する。

 追わない。

 求めない。

 ただ認識する。

 距離。

 それは拒絶ではない。

 今はまだ、届かないという事実。

 それだけ。

 音楽が止まり、舞踏会も終盤へと向かう。

 別れの挨拶が交わされ、貴族たちはそれぞれの思惑を胸に帰路につく。

 私は最後に広間を振り返る。

 煌めく灯り。

 政治と期待と計算の夜。

 何も決まらなかった夜。

 だが何も動かなかったわけではない。

 殿下は理解した。

 私は揺れなかった。

 それだけで十分だ。

 未来はまだ分からない。

 殿下が変わるかもしれない。

 世界が変わるかもしれない。

 あるいは、何も変わらないかもしれない。

 だが今夜、私は自分の立場を守った。

 学院を守った。

 女子たちの未来を守った。

 それでいい。

 私は扇を閉じる。

 距離は、はっきりした。

 届かないと悟った王太子。

 まだ渡らないと決めた私。

 夜は終わる。

 だが物語は、まだ途中だ。
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