公爵令嬢、学校をつくる。 ―学院のない世界に学院を作りますわ!―

鷹 綾

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38話 もう一問

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38話 もう一問

 夜も更け、舞踏会は後半へと移っていた。

 人々の頬はわずかに紅潮し、言葉は少しだけ軽くなる。

 だが王太子ウォーク・アロング殿下の動きは、むしろ静かになっていた。

 私の理想の答えを受けてから、彼は三人の令嬢と踊った。

 笑顔は崩さず、礼も完璧。

 けれど、視線の奥で何かを測っているのが分かる。

 そしてついに、彼は再び私の前に立った。

「少しだけ、歩かないか」

 踊りではない。

 私は頷き、広間の縁へと並んで歩く。

 柱と柱の間、視線は届くが声は届きにくい位置。

「先ほどの答えだが」

「はい」

「公爵のような方、と言ったな」

「ええ」

「私はなれない、と受け取ってよいのか」

 率直だ。

 逃げ道を残さない問い。

 私は足を止めないまま答える。

「殿下は殿下です」

「答えになっていない」

「では正直に」

 私は殿下を見る。

「殿下はまだ、誰かの盾になる覚悟を固めておられないように見えます」

 殿下の呼吸がわずかに止まる。

「覚悟がないと?」

「覚悟が揺れている」

 怒らせる可能性のある言葉。

 だが殿下は怒らない。

 ただ、深く息を吸う。

「君のもう一つの返答だが」

「どれでございましょう」

「君の結婚は、政略ではないのだろうね、と問うたとき」

 あの瞬間。

 私は父を盾にした。

「君は、決定権は父にあると言った」

「事実です」

「それが本心か」

 核心だ。

 私はゆっくりと立ち止まる。

 音楽が遠くで流れている。

 煌めく光の中、私たちは影の縁にいる。

「殿下」

「うん」

「この世界では、婚約は家同士の契約です」

「そうだ」

「その決定権は、父である公爵にあります」

「それは知っている」

「ですから」

 私は視線を逸らさずに続ける。

「殿下が望まれるのであれば、父とお話ください」

 沈黙。

 殿下の目に、わずかな苦笑が浮かぶ。

「やはり盾か」

「盾があるから、私は今ここに立てています」

「私では盾になれないのか」

「今は」

 あえて付け加える。

「今は、難しいかと」

 殿下はしばらく黙る。

 怒りはない。

 むしろ、思索。

「君は私を拒絶しているのではないな」

「拒絶ではございません」

「距離を保っている」

「はい」

「なぜだ」

 私は少しだけ視線を落とす。

「学院がまだ、未完成だからです」

「王家に入れば完成が早まる」

「王家のものになります」

 それが核心。

 殿下は理解している。

「君は王家に縛られたくない」

「制度が縛られることを恐れています」

 個人の問題ではない。

 学院は私一人の夢ではない。

 講師がいる。

 生徒がいる。

 女子学院の令嬢たちがいる。

 彼女たちの未来がある。

「私は」

 殿下がゆっくりと言う。

「君を必要としている」

「それは光栄です」

「だが君は、私を必要としていない」

 私は少しだけ微笑む。

「必要とする形が違うのです」

「どう違う」

「殿下が変われば、世界が変わる」

「君は私を変えたいのか」

「いいえ」

 私は首を振る。

「殿下がご自身で選ばれる未来を、観測したいだけです」

 殿下は静かに笑う。

「観測者、か」

「はい」

「君は冷たい」

「よく言われます」

 そのとき、音楽が一区切りつく。

 拍手が広間に響く。

 戻らなければならない。

 殿下は一歩近づく。

「もし私が、公爵を説得できたら」

「それは殿下の力でございます」

「そのとき君は」

 私は少しだけ考える。

 だが答えは決まっている。

「父が決めます」

 殿下は目を閉じ、一瞬だけ息を吐く。

「徹底しているな」

「順序は守らねばなりません」

「順序を守って、世界は変わるのか」

「順序を壊しても、世界は壊れるだけです」

 殿下の瞳が揺れる。

 それは敗北ではない。

 理解の一歩。

「君は強いな」

「強くありません」

「では何だ」

「盾があるだけです」

 殿下は小さく笑う。

「やはり、公爵か」

「はい」

 私たちは再び広間へ戻る。

 視線が集まる。

 何かが決まったかと期待する顔。

 だが何も決まっていない。

 ただ距離が明確になっただけ。

 殿下は形式通りに一礼する。

「今夜はここまでにしよう」

「賢明でございます」

「次は、踊りではなく議論だな」

「望むところです」

 殿下は去る。

 背筋は伸びている。

 崩れてはいない。

 それが、この夜の収穫かもしれない。

 私は静かに息を整える。

 理想を問われ、盾を示し、順序を守った。

 王太子は押し切らなかった。

 理解を選んだ。

 未来はまだ分からない。

 だが今夜、無理な約束は生まれなかった。

 それでいい。

 私は広間を見渡す。

 光はまだ眩しい。

 音楽も続く。

 けれど核心は過ぎた。

 あとは余韻だけ。

 私は静かに立つ。

 揺れない。

 まだ渡らない。

 未来は、私の手の中にある。

 少なくとも、今は。
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