『泣きながら婚約破棄されたので了承しました ――なぜ婚約破棄した側の殿下が取り乱しているのですか? 捨てられたのは私では?――』

鷹 綾

文字の大きさ
2 / 40

第2話 国家のためだった

しおりを挟む
第2話 国家のためだった

 婚約破棄の場から去った後、デネブは自室に戻っていた。
 扉を閉めた瞬間、張り詰めていた空気がふっと緩む――ことはなかった。

 胸の奥は、不思議なほど静かだ。
 悲しみも怒りも、すでに通り過ぎた後のようだった。

(……やはり、そういうことでしたのね)

 王太子アークトゥルスが泣きながら口にした言葉。
 国家の方針。
 側近たちの声。
 次期王妃は聖女であるべきだという、王宮の総意。

 政治的理由としては、分かりやすい。
 そして同時に、あまりにも典型的だった。

 ほどなくして、侍女が遠慮がちに声をかけてくる。

「デネブ様……王太子殿下が、お話をしたいと……」

 デネブは少しだけ考え、頷いた。

「……お通しして」

 しばらくして現れたアークトゥルスは、先ほどよりは落ち着いていた。
 だが、目元は赤く腫れ、どこか怯えたような表情をしている。

「デネブ……」

「殿下。ご用件を」

 距離を取ったままのその言い方に、彼は一瞬、言葉に詰まった。

「……さっきは……その……本当に、仕方なかったんだ」

 やはり、その言葉だった。

「国家が……王宮が……。
 僕が拒めば、もっと大きな混乱になるって……」

 必死に説明しようとするその姿を、デネブは黙って見つめる。

「僕は王太子だ。
 個人の感情より、国を優先しなきゃいけない立場なんだよ……」

 どこか、言い聞かせるような口調だった。

「だから……あれは……君を捨てたわけじゃない。
 国家のための、選択だったんだ」

 デネブは、静かに息を吐いた。

「殿下」

 彼女は椅子に腰掛けたまま、穏やかに問いかける。

「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」

「な、何だい……?」

「殿下は、国家のためであれば、
 ご自身の判断を放棄してもよいとお考えなのですか?」

「……え?」

「反対意見を述べることも、
 別の選択肢を提示することもなさらず、
 “仕方なかった”と受け入れることが、
 王太子としての責務だと?」

 アークトゥルスは、視線を泳がせた。

「……でも……皆がそう言ったから……」

「“皆”とは、どなたです?」

「……側近や、重臣たちが……」

「殿下ご自身は?」

 その問いに、彼は答えられなかった。

 沈黙が落ちる。

「国家の判断と、殿下ご自身の覚悟は、別のものです」

 デネブは、はっきりと告げた。

「国家のために決断することと、
 国家を理由に責任を他者へ預けることは、同じではありません」

「デネブ……」

「私は、殿下が国家を選んだことを責めているのではございません」

 ゆっくりと、言葉を選ぶ。

「ただ――
 国家の圧力を前にして、
 それを跳ね返すことも、背負うこともできない方と、
 生涯を共にする覚悟は持てませんでした」

 それは、非難ではなかった。
 事実の確認に過ぎない。

 アークトゥルスは、拳を握りしめる。

「……君は……冷たいな……」

 デネブは、微笑まなかった。

「そう思われても構いません」

 静かな声で、きっぱりと。

「私は、
 “仕方なかった”と言う方の隣で、
 一生を納得することはできませんので」

 それ以上、言葉を交わす必要はなかった。

 王太子が去った後、部屋には静けさだけが残る。

 デネブは窓の外を見つめながら、心の中で確認した。

(……やはり、正しい選択でしたわ)

 これは失恋ではない。
 価値観の違いが、はっきりしただけのこと。

 彼女はもう、振り返らない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』

鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

花嫁に「君を愛することはできない」と伝えた結果

藍田ひびき
恋愛
「アンジェリカ、君を愛することはできない」 結婚式の後、侯爵家の騎士のレナード・フォーブズは妻へそう告げた。彼は主君の娘、キャロライン・リンスコット侯爵令嬢を愛していたのだ。 アンジェリカの言葉には耳を貸さず、キャロラインへの『真実の愛』を貫こうとするレナードだったが――。 ※ 他サイトにも投稿しています。

【完結】愛され公爵令嬢は穏やかに微笑む

綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
恋愛
「シモーニ公爵令嬢、ジェラルディーナ! 私はお前との婚約を破棄する。この宣言は覆らぬと思え!!」 婚約者である王太子殿下ヴァレンテ様からの突然の拒絶に、立ち尽くすしかありませんでした。王妃になるべく育てられた私の、存在価値を否定するお言葉です。あまりの衝撃に意識を手放した私は、もう生きる意味も分からなくなっていました。 婚約破棄されたシモーニ公爵令嬢ジェラルディーナ、彼女のその後の人生は思わぬ方向へ転がり続ける。優しい彼女の功績に助けられた人々による、恩返しが始まった。まるで童話のように、受け身の公爵令嬢は次々と幸運を手にしていく。 ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2022/10/01  FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、二次選考通過 2022/07/29  FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、一次選考通過 2022/02/15  小説家になろう 異世界恋愛(日間)71位 2022/02/12  完結 2021/11/30  小説家になろう 異世界恋愛(日間)26位 2021/11/29  アルファポリス HOT2位 2021/12/03  カクヨム 恋愛(週間)6位

【完結】旦那様、わたくし家出します。

さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。 溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。 名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。 名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。 登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*) 第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中

傷付いた騎士なんて要らないと妹は言った~残念ながら、変わってしまった関係は元には戻りません~

キョウキョウ
恋愛
ディアヌ・モリエールの妹であるエレーヌ・モリエールは、とてもワガママな性格だった。 両親もエレーヌの意見や行動を第一に優先して、姉であるディアヌのことは雑に扱った。 ある日、エレーヌの婚約者だったジョセフ・ラングロワという騎士が仕事中に大怪我を負った。 全身を包帯で巻き、1人では歩けないほどの重症だという。 エレーヌは婚約者であるジョセフのことを少しも心配せず、要らなくなったと姉のディアヌに看病を押し付けた。 ついでに、婚約関係まで押し付けようと両親に頼み込む。 こうして、出会うことになったディアヌとジョセフの物語。

悪女として処刑されたはずが、処刑前に戻っていたので処刑を回避するために頑張ります!

ゆずこしょう
恋愛
「フランチェスカ。お前を処刑する。精々あの世で悔いるが良い。」 特に何かした記憶は無いのにいつの間にか悪女としてのレッテルを貼られ処刑されたフランチェスカ・アマレッティ侯爵令嬢(18) 最後に見た光景は自分の婚約者であったはずのオルテンシア・パネットーネ王太子(23)と親友だったはずのカルミア・パンナコッタ(19)が寄り添っている姿だった。 そしてカルミアの口が動く。 「サヨナラ。かわいそうなフランチェスカ。」 オルテンシア王太子に見えないように笑った顔はまさしく悪女のようだった。 「生まれ変わるなら、自由気ままな猫になりたいわ。」 この物語は猫になりたいと願ったフランチェスカが本当に猫になって戻ってきてしまった物語である。

処理中です...