婚約破棄された令嬢の華麗なる逆転劇 ~王太子の後悔と私の新しい恋~」

鷹 綾

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第4話: 内なる決意と最初の小さな一歩

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第4話: 内なる決意と最初の小さな一歩

部屋の窓から差し込む午後の陽光が、床に長い影を落としていた。私は机に向かい、昨夜から書き始めたメモをもう一度見つめ直す。そこには、前世の記憶から蘇ったアイデアがびっしりと並んでいる。

・ハーブを使った保湿リップクリーム  
・ローズウォーターと蜂蜜のフェイスマスク  
・ラベンダーとカモミールのリラックスティー  
・シンプルな石鹸の香り付け  

どれも現代日本では当たり前のものだが、この王国ではほとんど存在しない。高価な香水や化粧品は貴族しか手に入れられないし、下級貴族や平民の女性たちは、肌荒れや乾燥に悩んでいるのを何度も見てきた。もし、これを安価で手軽に作れたら――。

私は深呼吸をして、立ち上がった。まずは行動だ。屋敷に閉じこもっているだけでは、何も変わらない。

部屋の隅にある小さな薬草棚を開ける。母上が趣味で育てているハーブが、少しだけ残っている。ミント、ローズマリー、ラベンダー。少ないけど、試作には十分だ。キッチンに忍び込んで、蜂蜜とオリーブオイルを少し拝借する。使用人たちは私を見ても、目を伏せて何も言わない。婚約破棄の噂が、彼らにも重くのしかかっているのだろう。

自室に戻り、小さな鍋とガラス瓶を並べる。火は魔法の暖炉で調整できる。前世でYouTubeやブログで見た手作りコスメのレシピを思い出しながら、慎重に材料を混ぜていく。

まず、オリーブオイルを弱火で温め、みつろうを溶かす。そこにラベンダーの乾燥花を加えて、香りを移す。しばらく置いてから濾し、蜂蜜を少量混ぜて冷ます。固まってきたところで、小さな瓶に流し込む。

完成したリップクリームを指にとって、唇に塗ってみる。しっとりとして、ラベンダーの優しい香りが広がる。悪くない。いや、かなりいい。

「これ……売れるかも」

独り言が漏れた。胸の奥に、久しぶりに小さな興奮が芽生える。

その夜、夕食の席でも父上は私に冷たい視線を向けたままだった。母上だけが、時折心配そうに私を見る。食事が終わると、私はすぐに部屋に戻った。もう家族の顔を見るのも辛い。期待を裏切った娘として、見られるのが耐えられない。

ベッドに横になりながら、考える。この屋敷にいる限り、私は「婚約破棄された可哀想な令嬢」でしかない。父上の言う通り、恥さらしだ。でも、外に出れば――違う人生が待っているかもしれない。

前世の私は、誰かの期待に応えるために生きてはいなかった。自分の好きなことを、少しずつ楽しんでいた。コスメを買うとき、カフェで新しいドリンクを試すとき、誰にも縛られず、自分のために時間を使っていた。あの自由が、今すごく恋しい。

「……出て行こう」

小さな声で呟いた。決意が、静かに固まっていく。

この屋敷を出て、自分の力で生きる。王都のどこかで、小さな店を借りて、コスメやティーを売る。貴族の身分は隠して、普通の女性として。失敗してもいい。誰も知らないところで、這い上がればいい。

でも、簡単じゃない。お金はどうする? 貴族の令嬢が一人で店を出すなんて、前代未聞だ。父上に頼れば、きっと反対される。いや、頼むつもりはない。

私は枕元に置いてあった小さな宝石箱を開けた。中には、母上が昔くれたサファイアのネックレスや、殿下からもらった――いや、もう思い出したくない――小さな指輪が入っている。これらを売れば、しばらくの生活費と店を借りる資金になるはずだ。

指輪を見た瞬間、胸が締めつけられた。でも、私は迷わずそれを箱に戻した。売る。過去は、すべて手放す。

翌朝、私はいつものドレスではなく、シンプルなワンピースに着替えた。髪も結わず、自然に下ろす。鏡を見て、頷く。これでいい。完璧な令嬢じゃなくていい。

マリアに声をかけ、屋敷の庭を散歩するふりをして、外へ出た。使用人たちは不思議そうに見ていたが、誰も止めなかった。父上には「気分転換に」と伝えてある。

王都の中心街へ向かう。馬車ではなく、歩きで。貴族の令嬢が一人で歩くのは珍しいが、フード付きのマントを羽織れば、目立たない。

街はいつも通り賑やかだった。商人たちの呼び声、パンの焼ける香り、馬車の車輪の音。でも、今日はすべてが新鮮に見える。私は市場の隅にある薬草店に入り、ハーブの値段を聞いた。次に、空き店舗の情報を聞きに、不動産を扱う商会へ。

「若いお嬢さん、一人で店を? 珍しいねぇ」商会のおじさんが笑う。

「ええ、趣味の延長で。小さなものでいいんです」私は平静を装って答えた。

いくつか候補を教えてもらい、一番安くて小さな店を決めた。家賃は宝石を売れば払える。契約は偽名で――いや、本名でもいい。もう隠す必要はない。

帰り道、初めての自由を感じた。誰にも監視されず、自分の足で歩く。風が心地いい。

屋敷に戻ると、父上が書斎から出てきた。私を見て、眉をひそめる。

「どこへ行っていた?」

「少し散歩を、父上」

「ふん。無駄な真似はよせ。お前はここにいるべきだ」

私は黙って頭を下げた。でも、心の中ではもう決まっていた。

――あと数日で、出ていく。

夜、再び試作を続ける。今度はローズウォーター。庭の薔薇を摘み、蒸留の真似事をする。香りが部屋に広がり、心が落ち着く。

ルークス殿下の顔が、ふと浮かんだ。あの冷たい目。アルトゥーラの勝ち誇った笑み。でも、もう怒りより、虚しさが勝る。

「あなたたちには、もう関係ない」

私は呟いた。私は私の道を進む。復讐なんて、したくない。ただ、幸せになるだけ。

小さな瓶にローズウォーターを詰め、ラベルを貼る。手書きで「Rose Mist」と書いた。これが、私の最初の商品。

窓の外、月が綺麗だった。明日から、本格的に準備を始める。お金の手配、材料の仕入れ、店の掃除。

孤独はまだ胸にある。でも、その隣に、小さな希望が灯っていた。

私はもう、婚約破棄された令嬢じゃない。これからは、エルカミーノ――ただの、私。

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