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第9話: 謎の来客と冷たい瞳
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第9話: 謎の来客と冷たい瞳
開店から十日が過ぎ、『Rose Petal』は下町の女性たちの間で確かな人気を集め始めていた。朝から夕方まで客足が途切れることはなく、常連さんたちが新しい人を連れてきてくれる。今日もカウンターはティーカップと商品の瓶でいっぱいで、店内はラベンダーとローズの優しい香りに包まれている。
午後の陽光が窓から差し込む頃、客足が少し落ち着いた。私は奥の作業スペースで、新しいフェイスパックの試作をしていた。卵白と蜂蜜、少量のローズウォーターを混ぜて、滑らかなペーストにする。前世で見た簡単なレシピだけど、この世界の女性たちには新鮮に違いない。
「これが完成したら、みんな喜んでくれるかな」
独り言を呟きながら、瓶に詰めていると、扉のベルが静かに鳴った。
「いらっしゃいませ」
顔を上げて声をかけると、そこに立っていたのは――明らかにこの下町に似合わない人物だった。
黒い長コートに身を包んだ長身の男性。銀色の髪を後ろで軽く束ね、鋭い青灰色の瞳が店内をゆっくりと見回している。年齢は二十代後半くらい。容姿は整っているが、表情が冷たく、近寄りがたい雰囲気をまとっていた。貴族だ。間違いない。服の生地や仕立て、腰に下げた剣の柄――すべてが高級で、王都の上流階級のものだ。
店内の女性客たちが一瞬ざわつき、視線を向ける。でも、彼は誰にも反応せず、静かにカウンターへ近づいてきた。
私は少し緊張しながら、笑顔を作った。
「ご来店ありがとうございます。何をお探しでしょうか?」
男性は無言で棚を眺め、ハンドクリームの瓶を手に取った。蓋を開け、軽く香りを確かめる。その動作は優雅だが、どこか機械的だ。
「これ、君が作ったのか?」
低く落ち着いた声。初めての言葉に、私は少し驚いた。
「はい、私が作っています。オリーブオイルとハーブで……保湿効果が高いんです。よかったらお試しください」
私は小さな試供皿を差し出した。彼は無言で指先にクリームを取り、手の甲に塗ってみる。しばらく観察した後、頷いた。
「悪くない。香りも自然だ。市販のものより、ずっと上等だな」
褒め言葉なのか、ただの評価なのかわからない。でも、私は嬉しくて頰が緩む。
「ありがとうございます。お連れ様への贈り物ですか?」
彼は軽く首を振った。
「いや、自分で使う。仕事で手を酷使するのでな」
仕事? 貴族の男性が手を酷使? 剣士か、それとも……。私は疑問に思ったが、深くは聞かない。
彼はハンドクリームを二個、リップクリームを一つ、ローズウォーターを一本選んだ。意外にたくさん買ってくれる。
「他に何かおすすめはあるか?」
「今、ティーをお出ししています。カモミールでリラックスできますよ。座ってお飲みになりますか?」
彼は一瞬迷った様子で、店内を見回した。女性客たちが興味深そうにこちらを見ている。彼のような男性客は初めてだ。
「……いや、いい。持ち帰る」
会計を済ませ、紙袋に丁寧に包んで渡す。合計で40銀貨。かなりの金額だ。
「ありがとうございます。またお待ちしています」
彼は袋を受け取り、軽く頭を下げた。その瞬間、初めてまともに私の目を見た。冷たい瞳の奥に、何か――興味のようなものが一瞬だけ閃いた気がした。
「君の名前は?」
「エルカです」
フルネームは言わない。貴族の身分を隠している以上、慎重に。
「エルカ……か。覚えておこう」
彼はそれだけ言って、店を出て行った。扉が閉まる音が響き、店内が再びざわつく。
「今のひと、すごいイケメンだったね」「貴族よね、きっと」「エルカさん、あんなお客さん初めてじゃない?」
常連さんたちが口々に言う。私は笑ってごまかしたが、心臓が少し速く鳴っていた。あの人は、ただの客じゃない気がする。
夕方、店を閉めて売上を計算する。今日も好調で、特にあの男性の購入が大きかった。在庫を補充しつつ、試作のフェイスパックを完成させる。
二階の部屋で夕食を食べながら、今日のことを振り返る。あの冷たい瞳。なぜか、印象に残る。
「また来てくれるかな」
そんなことを考えながら、ベッドに入った。
――その夜、王都の貴族街、高級な公爵邸。
ガーラミオ・ド・ヴェルディア公爵家の長男、ガーラミオは自室で手を眺めていた。塗ったハンドクリームの効果が、確かにあった。剣の訓練でできた小さな傷や乾燥が、和らいでいる。
机の上に置かれた紙袋。『Rose Petal』の商品が入っている。
「エルカ、か……」
彼は小さく呟いた。公爵家の情報網で、最近下町に現れた小さな店のこと、そして店主が元エルカミーノ公爵家の令嬢だという噂を耳にしていた。
婚約破棄された令嬢が、一人で店を開いている。興味を引かれたのは、その事実だ。完璧な貴族の娘が、下町で商売を始めるなど、前代未聞。
今日、実際に店を訪れてみた。予想以上に、商品の質が高かった。そして、彼女自身――エルカミーノの表情は、噂のような憔悴したものではなかった。疲れはあるが、瞳に強い光があった。
「面白い女性だ」
ガーラミオは珍しく口元を緩めた。彼は冷徹で知られ、感情を表に出さない性格だ。公爵家を継ぐ者として、常に冷静でなければならない。
だが、あの店とあの女性は、少し気になる。
「もう一度、行ってみるか」
彼はクリームをもう一度手に取り、塗りながら決めた。ビジネス的な興味――そう自分に言い聞かせて。
下町の小さな店と、上流貴族の邸宅。まだ繋がりは薄いが、二人の出会いが、静かに始まった。
私はまだ知らない。あの謎の来客が、私の人生を大きく変える人物だということを。
明日も、店を開ける。新しいお客さんが来てくれるのを、楽しみに。
開店から十日が過ぎ、『Rose Petal』は下町の女性たちの間で確かな人気を集め始めていた。朝から夕方まで客足が途切れることはなく、常連さんたちが新しい人を連れてきてくれる。今日もカウンターはティーカップと商品の瓶でいっぱいで、店内はラベンダーとローズの優しい香りに包まれている。
午後の陽光が窓から差し込む頃、客足が少し落ち着いた。私は奥の作業スペースで、新しいフェイスパックの試作をしていた。卵白と蜂蜜、少量のローズウォーターを混ぜて、滑らかなペーストにする。前世で見た簡単なレシピだけど、この世界の女性たちには新鮮に違いない。
「これが完成したら、みんな喜んでくれるかな」
独り言を呟きながら、瓶に詰めていると、扉のベルが静かに鳴った。
「いらっしゃいませ」
顔を上げて声をかけると、そこに立っていたのは――明らかにこの下町に似合わない人物だった。
黒い長コートに身を包んだ長身の男性。銀色の髪を後ろで軽く束ね、鋭い青灰色の瞳が店内をゆっくりと見回している。年齢は二十代後半くらい。容姿は整っているが、表情が冷たく、近寄りがたい雰囲気をまとっていた。貴族だ。間違いない。服の生地や仕立て、腰に下げた剣の柄――すべてが高級で、王都の上流階級のものだ。
店内の女性客たちが一瞬ざわつき、視線を向ける。でも、彼は誰にも反応せず、静かにカウンターへ近づいてきた。
私は少し緊張しながら、笑顔を作った。
「ご来店ありがとうございます。何をお探しでしょうか?」
男性は無言で棚を眺め、ハンドクリームの瓶を手に取った。蓋を開け、軽く香りを確かめる。その動作は優雅だが、どこか機械的だ。
「これ、君が作ったのか?」
低く落ち着いた声。初めての言葉に、私は少し驚いた。
「はい、私が作っています。オリーブオイルとハーブで……保湿効果が高いんです。よかったらお試しください」
私は小さな試供皿を差し出した。彼は無言で指先にクリームを取り、手の甲に塗ってみる。しばらく観察した後、頷いた。
「悪くない。香りも自然だ。市販のものより、ずっと上等だな」
褒め言葉なのか、ただの評価なのかわからない。でも、私は嬉しくて頰が緩む。
「ありがとうございます。お連れ様への贈り物ですか?」
彼は軽く首を振った。
「いや、自分で使う。仕事で手を酷使するのでな」
仕事? 貴族の男性が手を酷使? 剣士か、それとも……。私は疑問に思ったが、深くは聞かない。
彼はハンドクリームを二個、リップクリームを一つ、ローズウォーターを一本選んだ。意外にたくさん買ってくれる。
「他に何かおすすめはあるか?」
「今、ティーをお出ししています。カモミールでリラックスできますよ。座ってお飲みになりますか?」
彼は一瞬迷った様子で、店内を見回した。女性客たちが興味深そうにこちらを見ている。彼のような男性客は初めてだ。
「……いや、いい。持ち帰る」
会計を済ませ、紙袋に丁寧に包んで渡す。合計で40銀貨。かなりの金額だ。
「ありがとうございます。またお待ちしています」
彼は袋を受け取り、軽く頭を下げた。その瞬間、初めてまともに私の目を見た。冷たい瞳の奥に、何か――興味のようなものが一瞬だけ閃いた気がした。
「君の名前は?」
「エルカです」
フルネームは言わない。貴族の身分を隠している以上、慎重に。
「エルカ……か。覚えておこう」
彼はそれだけ言って、店を出て行った。扉が閉まる音が響き、店内が再びざわつく。
「今のひと、すごいイケメンだったね」「貴族よね、きっと」「エルカさん、あんなお客さん初めてじゃない?」
常連さんたちが口々に言う。私は笑ってごまかしたが、心臓が少し速く鳴っていた。あの人は、ただの客じゃない気がする。
夕方、店を閉めて売上を計算する。今日も好調で、特にあの男性の購入が大きかった。在庫を補充しつつ、試作のフェイスパックを完成させる。
二階の部屋で夕食を食べながら、今日のことを振り返る。あの冷たい瞳。なぜか、印象に残る。
「また来てくれるかな」
そんなことを考えながら、ベッドに入った。
――その夜、王都の貴族街、高級な公爵邸。
ガーラミオ・ド・ヴェルディア公爵家の長男、ガーラミオは自室で手を眺めていた。塗ったハンドクリームの効果が、確かにあった。剣の訓練でできた小さな傷や乾燥が、和らいでいる。
机の上に置かれた紙袋。『Rose Petal』の商品が入っている。
「エルカ、か……」
彼は小さく呟いた。公爵家の情報網で、最近下町に現れた小さな店のこと、そして店主が元エルカミーノ公爵家の令嬢だという噂を耳にしていた。
婚約破棄された令嬢が、一人で店を開いている。興味を引かれたのは、その事実だ。完璧な貴族の娘が、下町で商売を始めるなど、前代未聞。
今日、実際に店を訪れてみた。予想以上に、商品の質が高かった。そして、彼女自身――エルカミーノの表情は、噂のような憔悴したものではなかった。疲れはあるが、瞳に強い光があった。
「面白い女性だ」
ガーラミオは珍しく口元を緩めた。彼は冷徹で知られ、感情を表に出さない性格だ。公爵家を継ぐ者として、常に冷静でなければならない。
だが、あの店とあの女性は、少し気になる。
「もう一度、行ってみるか」
彼はクリームをもう一度手に取り、塗りながら決めた。ビジネス的な興味――そう自分に言い聞かせて。
下町の小さな店と、上流貴族の邸宅。まだ繋がりは薄いが、二人の出会いが、静かに始まった。
私はまだ知らない。あの謎の来客が、私の人生を大きく変える人物だということを。
明日も、店を開ける。新しいお客さんが来てくれるのを、楽しみに。
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