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第11話: 王宮に届く噂と小さな棘
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第11話: 王宮に届く噂と小さな棘
王宮の執務室は、午後の陽光が絨毯を金色に染めていた。ルークスは玉座に近い椅子に座り、側近から届いた報告書をめくっていた。普段ならすぐに目を通す政治や軍事の書類が、今日はなぜか手につかない。
側近の老臣が、控えめに声を掛けた。
「殿下、近頃王都の下町で、少し話題になっている店がございます」
ルークスは顔を上げず、淡々と答える。
「店? どんな店だ」
「コスメやティーを扱う小さな店で、『Rose Petal』という名前のようです。店主は若い女性で、手作りの商品が女性たちに大人気だとか。特に保湿クリームや香りのよい石鹸が評判で、連日客が絶えないそうです」
ルークスは手を止めた。『Rose Petal』――薔薇の花びら。どこかで聞いたような気がする。でも、すぐに興味を失ったふりをする。
「ふん、そんな下町の店が何だというのだ。女性たちの遊びだろう」
側近は少し間を置いて、続けた。
「実は、その店主が……元エルカミーノ公爵家の長女、エルカミーノ様ではないか、という噂がございます」
ルークスの指が、書類を強く握った。紙がくしゃりと音を立てる。
「……エルカミーノが?」
「はい。婚約破棄の後、公爵家を離れ、一人で店を開いたらしいです。貴族の令嬢が下町で商売をするなど前代未聞で、裏で話題になっております。商品の質も相当高いようで、近所の女性だけでなく、中級貴族の奥方たちまでもが通い始めたとか」
ルークスは立ち上がり、窓辺へ歩いた。王都の景色が広がるが、今日はぼんやりとしか見えない。
あのエルカミーノが、一人で店を? 完璧な令嬢だった彼女が、下町で商売を? 想像できない。いや、想像したくない。
婚約破棄の宴の光景が、ふと蘇る。公衆の面前で宣告した時、エルカミーノはただ呆然と立ち尽くしていた。涙一つ見せず、静かに退出した。あの時は、彼女がすぐに実家に戻り、静かに暮らすと思っていた。公爵家がなんとか慰謝料や体裁を整えて、別の縁談を探すだろうと。
なのに、一人で下町へ行き、店を開き、成功している?
「馬鹿な……」
小さな呟きが漏れた。側近が心配そうに見ている。
「殿下?」
「いや、何でもない。報告ご苦労」
ルークスは強引に笑顔を作り、側近を下がらせた。一人になると、苛立ちが胸に広がる。
エルカミーノは、自分がいなくても平気なのか。いや、それどころか、輝いているというのか。彼女の努力は、すべて自分の王太子妃になるためだったはずだ。それがなくなったら、すぐに落ちぶれると思っていたのに。
アルトゥーラの顔が浮かぶ。彼女は今、隣の部屋で休んでいるはず。癒しの力で王国を支えてくれる、運命の相手。でも、最近なぜか、彼女の笑顔を見ても、心が満たされない時がある。
「俺の選択は、正しかったはずだ……」
自分に言い聞かせるように呟く。でも、胸の奥に小さな棘が刺さっている。無視しようとしても、じわじわと痛む。
――その頃、聖女の私室。
アルトゥーラは侍女たちに囲まれ、新しいドレスを試着していた。鏡に映る自分は、美しく、無垢で、完璧な聖女そのもの。
「聖女様、このドレスお似合いですわ! 殿下もきっとお喜びになります」
侍女の言葉に、アルトゥーラは微笑む。
「ありがとう。でも、殿下は最近少しお疲れみたい。もっと癒して差し上げないと」
内心では、別のことを考えていた。
下町の店『Rose Petal』の噂は、彼女の耳にも入っていた。店主がエルカミーノだという話。しかも、かなり繁盛しているらしい。
「ふん……あの女、まだ諦めてなかったのね」
アルトゥーラは鏡の中の自分に、小さく舌を出す。あの宴で、エルカミーノの惨めな顔を見た時は最高だった。完璧な令嬢が、衆人環視の中で捨てられる瞬間。すべて自分の計画通りだった。
癒しの力は、少しだけ本物。でも、ほとんどは演技と薬草の知識。平民出身の自分が、王太子を魅了するのは簡単だった。ルークスは単純で、特別扱いされるとすぐに落ちる。
エルカミーノさえいなければ、自分は今頃王妃だ。
「でも、ちょっと邪魔ね」
アルトゥーラはドレスの裾を翻し、侍女に命じた。
「下町のその店のこと、もっと詳しく調べてちょうだい。どんな商品を売ってるのか、誰が通ってるのか」
侍女が驚いた顔をする。
「聖女様、どうしてそんな……」
「ただの好奇心よ。女性の店が流行ってるなら、私も行ってみたいわ」
表向きはそう言いながら、心の中では別の計画を練っていた。エルカミーノが成功しているなら、潰せばいい。ルークスに少し囁けば、王太子の権力で簡単に税務調査くらい入れられる。
「あなたはもう、過去の人よ。殿下の心に、二度と戻らせないわ」
アルトゥーラは鏡に向かって、勝ち誇った笑みを浮かべた。
――下町、『Rose Petal』。
私は夕方の店じまいをしながら、今日の売上を数えていた。また過去最高。もう、来月には従業員を一人雇えるかもしれない。
常連のエマさんが、帰り際に言った言葉が頭に残っている。
「エルカさん、最近貴族のお奥様らしき人も来てるわよ。噂が上の方まで広がってるみたい」
貴族の人が? 少し不安だけど、嬉しい。でも、身分を隠している以上、目立たないようにしなくちゃ。
ガーラミオ様の顔も浮かぶ。最近、三度目にまた来てくれた。いつもたくさん買ってくれて、短いけど商品について質問してくれる。冷たい人だけど、誠実な感じがする。
王宮のことは、もう考えない。ルークス殿下もアルトゥーラも、遠い世界の人。
私の世界はここだ。小さな店と、笑顔のお客さんたち。
胸の奥にあった痛みは、もうほとんどない。代わりに、未来への希望が満ちている。
小さな棘は、王宮に刺さっている。私はもう、自由だ。
明日も、たくさんのお客さんが来てくれるように。
私は鍵をかけ、満足げに二階の部屋へ上がった。
王宮の執務室は、午後の陽光が絨毯を金色に染めていた。ルークスは玉座に近い椅子に座り、側近から届いた報告書をめくっていた。普段ならすぐに目を通す政治や軍事の書類が、今日はなぜか手につかない。
側近の老臣が、控えめに声を掛けた。
「殿下、近頃王都の下町で、少し話題になっている店がございます」
ルークスは顔を上げず、淡々と答える。
「店? どんな店だ」
「コスメやティーを扱う小さな店で、『Rose Petal』という名前のようです。店主は若い女性で、手作りの商品が女性たちに大人気だとか。特に保湿クリームや香りのよい石鹸が評判で、連日客が絶えないそうです」
ルークスは手を止めた。『Rose Petal』――薔薇の花びら。どこかで聞いたような気がする。でも、すぐに興味を失ったふりをする。
「ふん、そんな下町の店が何だというのだ。女性たちの遊びだろう」
側近は少し間を置いて、続けた。
「実は、その店主が……元エルカミーノ公爵家の長女、エルカミーノ様ではないか、という噂がございます」
ルークスの指が、書類を強く握った。紙がくしゃりと音を立てる。
「……エルカミーノが?」
「はい。婚約破棄の後、公爵家を離れ、一人で店を開いたらしいです。貴族の令嬢が下町で商売をするなど前代未聞で、裏で話題になっております。商品の質も相当高いようで、近所の女性だけでなく、中級貴族の奥方たちまでもが通い始めたとか」
ルークスは立ち上がり、窓辺へ歩いた。王都の景色が広がるが、今日はぼんやりとしか見えない。
あのエルカミーノが、一人で店を? 完璧な令嬢だった彼女が、下町で商売を? 想像できない。いや、想像したくない。
婚約破棄の宴の光景が、ふと蘇る。公衆の面前で宣告した時、エルカミーノはただ呆然と立ち尽くしていた。涙一つ見せず、静かに退出した。あの時は、彼女がすぐに実家に戻り、静かに暮らすと思っていた。公爵家がなんとか慰謝料や体裁を整えて、別の縁談を探すだろうと。
なのに、一人で下町へ行き、店を開き、成功している?
「馬鹿な……」
小さな呟きが漏れた。側近が心配そうに見ている。
「殿下?」
「いや、何でもない。報告ご苦労」
ルークスは強引に笑顔を作り、側近を下がらせた。一人になると、苛立ちが胸に広がる。
エルカミーノは、自分がいなくても平気なのか。いや、それどころか、輝いているというのか。彼女の努力は、すべて自分の王太子妃になるためだったはずだ。それがなくなったら、すぐに落ちぶれると思っていたのに。
アルトゥーラの顔が浮かぶ。彼女は今、隣の部屋で休んでいるはず。癒しの力で王国を支えてくれる、運命の相手。でも、最近なぜか、彼女の笑顔を見ても、心が満たされない時がある。
「俺の選択は、正しかったはずだ……」
自分に言い聞かせるように呟く。でも、胸の奥に小さな棘が刺さっている。無視しようとしても、じわじわと痛む。
――その頃、聖女の私室。
アルトゥーラは侍女たちに囲まれ、新しいドレスを試着していた。鏡に映る自分は、美しく、無垢で、完璧な聖女そのもの。
「聖女様、このドレスお似合いですわ! 殿下もきっとお喜びになります」
侍女の言葉に、アルトゥーラは微笑む。
「ありがとう。でも、殿下は最近少しお疲れみたい。もっと癒して差し上げないと」
内心では、別のことを考えていた。
下町の店『Rose Petal』の噂は、彼女の耳にも入っていた。店主がエルカミーノだという話。しかも、かなり繁盛しているらしい。
「ふん……あの女、まだ諦めてなかったのね」
アルトゥーラは鏡の中の自分に、小さく舌を出す。あの宴で、エルカミーノの惨めな顔を見た時は最高だった。完璧な令嬢が、衆人環視の中で捨てられる瞬間。すべて自分の計画通りだった。
癒しの力は、少しだけ本物。でも、ほとんどは演技と薬草の知識。平民出身の自分が、王太子を魅了するのは簡単だった。ルークスは単純で、特別扱いされるとすぐに落ちる。
エルカミーノさえいなければ、自分は今頃王妃だ。
「でも、ちょっと邪魔ね」
アルトゥーラはドレスの裾を翻し、侍女に命じた。
「下町のその店のこと、もっと詳しく調べてちょうだい。どんな商品を売ってるのか、誰が通ってるのか」
侍女が驚いた顔をする。
「聖女様、どうしてそんな……」
「ただの好奇心よ。女性の店が流行ってるなら、私も行ってみたいわ」
表向きはそう言いながら、心の中では別の計画を練っていた。エルカミーノが成功しているなら、潰せばいい。ルークスに少し囁けば、王太子の権力で簡単に税務調査くらい入れられる。
「あなたはもう、過去の人よ。殿下の心に、二度と戻らせないわ」
アルトゥーラは鏡に向かって、勝ち誇った笑みを浮かべた。
――下町、『Rose Petal』。
私は夕方の店じまいをしながら、今日の売上を数えていた。また過去最高。もう、来月には従業員を一人雇えるかもしれない。
常連のエマさんが、帰り際に言った言葉が頭に残っている。
「エルカさん、最近貴族のお奥様らしき人も来てるわよ。噂が上の方まで広がってるみたい」
貴族の人が? 少し不安だけど、嬉しい。でも、身分を隠している以上、目立たないようにしなくちゃ。
ガーラミオ様の顔も浮かぶ。最近、三度目にまた来てくれた。いつもたくさん買ってくれて、短いけど商品について質問してくれる。冷たい人だけど、誠実な感じがする。
王宮のことは、もう考えない。ルークス殿下もアルトゥーラも、遠い世界の人。
私の世界はここだ。小さな店と、笑顔のお客さんたち。
胸の奥にあった痛みは、もうほとんどない。代わりに、未来への希望が満ちている。
小さな棘は、王宮に刺さっている。私はもう、自由だ。
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私は鍵をかけ、満足げに二階の部屋へ上がった。
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