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第9話 再び伸びる、王太子の手
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第9話 再び伸びる、王太子の手
ローマン公爵邸に、奇妙な静けさが戻った翌日。
前日の王宮使者の訪問は、思っていた以上に早く王都中へと広まっていた。貴族社会というものは、噂の伝播速度だけは魔法に匹敵する。
「……早すぎない?」
朝食後の談話室で、ナンシーが紅茶をかき混ぜながら呟いた。
「昨日の今日で、もう三通目です」
そう言って、ジョーは封蝋付きの書状を机に並べる。
「どれも、“様子伺い”だな」
アルフレッドが肩をすくめた。
「遠回しに、ミントをどう扱っているのか探ってる」
ミントは、静かに頷いた。
「想定通りです」
「王宮が私の立場を認めた以上、
次に動くのは――」
「王太子殿下、だな」
ジョーが言葉を継いだ。
その名が出た瞬間、室内の空気が一段冷える。
ロードレオン王太子。
かつて、ミントを「年齢が不釣り合い」と切り捨てた人物。
そして――
彼女の価値を、今さら理解し始めた男。
「……来るわね」
ナンシーが低く言った。
「ええ」
ミントは、淡々と答える。
「必ず」
その予想は、外れなかった。
昼前、公爵邸に王宮の紋章を掲げた馬車が到着する。
使用人が慌ただしく動き、正門が開かれた。
「王太子殿下よりの使者です」
その報告に、グレイ・ローマン公爵は眉一つ動かさず頷いた。
「応接室へ」
「同席は?」
「する」
短く告げ、視線をミントへ向ける。
「……どうする」
ミントは、一瞬だけ考えた後、静かに答えた。
「出ます」
「逃げる理由はありません」
応接室に現れたのは、王太子の側近だった。
丁重な態度。
だが、その奥にあるのは明確な“意図”。
「ローマン公爵閣下」
「ミント・マリーベル伯爵令嬢」
深々と頭を下げる。
「本日は、殿下よりの非公式なご提案をお持ちしました」
「非公式?」
ナンシーが、わずかに眉を動かす。
側近は、慎重に言葉を選びながら続けた。
「殿下は」
「先日の王都魔獣騒動に関する報告を精査され」
「また、昨日の王宮使者の報告を受け」
「ミント嬢の能力と立場を、改めて高く評価されました」
ミントは、何も言わない。
「そして」
側近は、核心に踏み込んだ。
「殿下は」
「婚約の再検討を、望んでおられます」
その瞬間。
ジョーが、明確に一歩前に出た。
「それは」
「どの立場からの発言だ?」
側近は、わずかに視線を伏せる。
「……王家として」
「未来を見据えた、柔軟な選択を」
「柔軟?」
アルフレッドが、乾いた笑いを漏らす。
「都合が良すぎない?」
グレイが、低く口を開いた。
「王太子殿下は」
「私の婚約者に、
改めて手を伸ばすと?」
「……はい」
重苦しい沈黙。
ミントは、その中で一歩前に出た。
「お話は、理解しました」
側近の目が、わずかに安堵の色を見せる。
だが。
「ですが」
ミントは、はっきりと言った。
「お断りします」
空気が、凍りつく。
「……理由を、伺っても?」
「理由は、単純です」
ミントは、まっすぐに側近を見る。
「私は」
「“評価が上がったから選ばれる存在”ではありません」
「……」
「必要とされるから」
「便利だから」
「価値があると判断されたから」
その一つひとつを、否定するように。
「それらは、婚約の理由になりません」
側近は、困惑した表情を浮かべる。
「ですが」
「殿下は、
あなたの将来を真剣に――」
「真剣、とは」
ミントは、静かに問い返した。
「不要になった時に切り捨てた相手に、
再び差し出す言葉でしょうか」
痛烈だった。
グレイが、重ねて言う。
「彼女は」
「既に、ローマン公爵家の婚約者だ」
「王家の都合で動く立場ではない」
側近は、完全に言葉を失っていた。
「……それでも」
「殿下は、直接お話ししたいと」
ミントは、首を横に振る。
「不要です」
「私の意思は、ここで十分に伝わります」
「それに」
一拍置く。
「私は、今の婚約を“防波堤”としてではなく、
“選択”として受け入れています」
その言葉に、ジョーたちは息を呑んだ。
ナンシーが、静かに微笑む。
「……言い切ったわね」
ミントは、続ける。
「ローマン公爵は」
「私を必要になったから迎えたのではありません」
「私の意思を尊重し」
「責任を引き受ける覚悟を示してくださいました」
「それ以上の理由は、ありません」
側近は、深く頭を下げた。
「……殿下には」
「そのように、伝えます」
使者が去った後、応接室には長い沈黙が残った。
アルフレッドが、最初に口を開く。
「……完全に」
「切ったな」
「はい」
ミントは、静かに頷いた。
「迷いはありません」
ジョーは、腕を組み、深く息を吐く。
「……王太子殿下」
「本気で、後悔するだろうな」
ナンシーは、窓の外を見ながら言った。
「遅すぎたのよ」
そのとき。
庭から、「ヒヒン」という声が聞こえた。
ロシナンテが、のんびりと歩いてくる。
「……見てた?」
ミントが尋ねると、ロシナンテは耳を揺らした。
「ヒヒン」
(意訳:当然)
ミントは、小さく微笑む。
「これで」
「王家との距離も、はっきりしました」
グレイは、静かに言った。
「……覚悟はいいか」
「はい」
ミントは、迷いなく答える。
「王太子殿下が動いた以上」
「次は、もっと大きな波が来るでしょう」
「ですが」
視線を上げる。
「私は、逃げません」
その姿を見て、グレイは確信した。
――この少女は、
もう誰にも“奪われる存在”ではない。
こうして。
王太子の伸ばした手は、
明確に、そして静かに拒まれた。
だが同時に。
それは、
王都という舞台で
本当の対立が始まったことを
意味していた。
嵐は、確実に近づいている。
ローマン公爵邸に、奇妙な静けさが戻った翌日。
前日の王宮使者の訪問は、思っていた以上に早く王都中へと広まっていた。貴族社会というものは、噂の伝播速度だけは魔法に匹敵する。
「……早すぎない?」
朝食後の談話室で、ナンシーが紅茶をかき混ぜながら呟いた。
「昨日の今日で、もう三通目です」
そう言って、ジョーは封蝋付きの書状を机に並べる。
「どれも、“様子伺い”だな」
アルフレッドが肩をすくめた。
「遠回しに、ミントをどう扱っているのか探ってる」
ミントは、静かに頷いた。
「想定通りです」
「王宮が私の立場を認めた以上、
次に動くのは――」
「王太子殿下、だな」
ジョーが言葉を継いだ。
その名が出た瞬間、室内の空気が一段冷える。
ロードレオン王太子。
かつて、ミントを「年齢が不釣り合い」と切り捨てた人物。
そして――
彼女の価値を、今さら理解し始めた男。
「……来るわね」
ナンシーが低く言った。
「ええ」
ミントは、淡々と答える。
「必ず」
その予想は、外れなかった。
昼前、公爵邸に王宮の紋章を掲げた馬車が到着する。
使用人が慌ただしく動き、正門が開かれた。
「王太子殿下よりの使者です」
その報告に、グレイ・ローマン公爵は眉一つ動かさず頷いた。
「応接室へ」
「同席は?」
「する」
短く告げ、視線をミントへ向ける。
「……どうする」
ミントは、一瞬だけ考えた後、静かに答えた。
「出ます」
「逃げる理由はありません」
応接室に現れたのは、王太子の側近だった。
丁重な態度。
だが、その奥にあるのは明確な“意図”。
「ローマン公爵閣下」
「ミント・マリーベル伯爵令嬢」
深々と頭を下げる。
「本日は、殿下よりの非公式なご提案をお持ちしました」
「非公式?」
ナンシーが、わずかに眉を動かす。
側近は、慎重に言葉を選びながら続けた。
「殿下は」
「先日の王都魔獣騒動に関する報告を精査され」
「また、昨日の王宮使者の報告を受け」
「ミント嬢の能力と立場を、改めて高く評価されました」
ミントは、何も言わない。
「そして」
側近は、核心に踏み込んだ。
「殿下は」
「婚約の再検討を、望んでおられます」
その瞬間。
ジョーが、明確に一歩前に出た。
「それは」
「どの立場からの発言だ?」
側近は、わずかに視線を伏せる。
「……王家として」
「未来を見据えた、柔軟な選択を」
「柔軟?」
アルフレッドが、乾いた笑いを漏らす。
「都合が良すぎない?」
グレイが、低く口を開いた。
「王太子殿下は」
「私の婚約者に、
改めて手を伸ばすと?」
「……はい」
重苦しい沈黙。
ミントは、その中で一歩前に出た。
「お話は、理解しました」
側近の目が、わずかに安堵の色を見せる。
だが。
「ですが」
ミントは、はっきりと言った。
「お断りします」
空気が、凍りつく。
「……理由を、伺っても?」
「理由は、単純です」
ミントは、まっすぐに側近を見る。
「私は」
「“評価が上がったから選ばれる存在”ではありません」
「……」
「必要とされるから」
「便利だから」
「価値があると判断されたから」
その一つひとつを、否定するように。
「それらは、婚約の理由になりません」
側近は、困惑した表情を浮かべる。
「ですが」
「殿下は、
あなたの将来を真剣に――」
「真剣、とは」
ミントは、静かに問い返した。
「不要になった時に切り捨てた相手に、
再び差し出す言葉でしょうか」
痛烈だった。
グレイが、重ねて言う。
「彼女は」
「既に、ローマン公爵家の婚約者だ」
「王家の都合で動く立場ではない」
側近は、完全に言葉を失っていた。
「……それでも」
「殿下は、直接お話ししたいと」
ミントは、首を横に振る。
「不要です」
「私の意思は、ここで十分に伝わります」
「それに」
一拍置く。
「私は、今の婚約を“防波堤”としてではなく、
“選択”として受け入れています」
その言葉に、ジョーたちは息を呑んだ。
ナンシーが、静かに微笑む。
「……言い切ったわね」
ミントは、続ける。
「ローマン公爵は」
「私を必要になったから迎えたのではありません」
「私の意思を尊重し」
「責任を引き受ける覚悟を示してくださいました」
「それ以上の理由は、ありません」
側近は、深く頭を下げた。
「……殿下には」
「そのように、伝えます」
使者が去った後、応接室には長い沈黙が残った。
アルフレッドが、最初に口を開く。
「……完全に」
「切ったな」
「はい」
ミントは、静かに頷いた。
「迷いはありません」
ジョーは、腕を組み、深く息を吐く。
「……王太子殿下」
「本気で、後悔するだろうな」
ナンシーは、窓の外を見ながら言った。
「遅すぎたのよ」
そのとき。
庭から、「ヒヒン」という声が聞こえた。
ロシナンテが、のんびりと歩いてくる。
「……見てた?」
ミントが尋ねると、ロシナンテは耳を揺らした。
「ヒヒン」
(意訳:当然)
ミントは、小さく微笑む。
「これで」
「王家との距離も、はっきりしました」
グレイは、静かに言った。
「……覚悟はいいか」
「はい」
ミントは、迷いなく答える。
「王太子殿下が動いた以上」
「次は、もっと大きな波が来るでしょう」
「ですが」
視線を上げる。
「私は、逃げません」
その姿を見て、グレイは確信した。
――この少女は、
もう誰にも“奪われる存在”ではない。
こうして。
王太子の伸ばした手は、
明確に、そして静かに拒まれた。
だが同時に。
それは、
王都という舞台で
本当の対立が始まったことを
意味していた。
嵐は、確実に近づいている。
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