11 / 40
第11話 嵐の前触れ
しおりを挟む
第11話 嵐の前触れ
王都の空気が、わずかに変わり始めたのは、その日の夕刻だった。
ローマン公爵邸の高台に立つ見張り塔から見下ろす王都は、いつもと変わらぬ喧騒に包まれている。商人の呼び声、馬車の軋む音、人々の笑い声――どれも平和そのものだ。
だが。
「……違和感があります」
ミント・マリーベルは、欄干に手を置き、遠くを見つめていた。
「どのあたりだ?」
隣に立つグレイ・ローマン公爵が、低く尋ねる。
「音、です」
ミントは、静かに答えた。
「人の声は、いつも通りです」
「ですが」
「魔力の流れが、不自然に淀んでいます」
グレイは眉をひそめた。
「結界に異常は?」
「結界そのものは、まだ健在です」
「ただ」
ミントは、視線を王都の外縁――森の方向へ向ける。
「外側から、
押されている感覚があります」
その言葉を裏付けるように、塔の下で待機していた騎士の一人が駆け上がってきた。
「公爵閣下!」
「西門付近の巡回隊より、報告です!」
「魔獣の目撃情報が、複数――」
「数は?」
グレイが即座に問う。
「まだ少数ですが、
通常の生息域を大きく外れています!」
ミントは、静かに目を閉じた。
(……やはり)
(来ますね)
塔の空気が、一段と張り詰める。
「王都防衛の配置を、即座に確認しろ」
グレイの声は、冷静だった。
「騎士団には、警戒レベルを一段階上げるよう伝達」
「ですが、まだ“侵攻”と呼ぶほどでは――」
「十分だ」
グレイは遮った。
「“異常”が出た時点で、
最悪を想定するのが仕事だ」
ミントは、ゆっくりと息を吐き、振り返った。
「公爵様」
「私も、動きます」
グレイは、一瞬だけ彼女を見つめ――
低く言った。
「まだだ」
「今は、準備に徹する」
「……承知しました」
その返答に、迷いはなかった。
夜。
公爵邸の中庭では、騎士たちが慌ただしく行き交っていた。武具の点検、通信魔法の再確認、負傷者収容の準備――すべてが、無言の緊張感の中で進められている。
ミントは、その様子を少し離れた場所から見ていた。
「ヒヒン……」
足元で、ロシナンテが落ち着かない様子で地面を踏み鳴らす。
「……あなたも、感じていますね」
ミントが囁くと、ロシナンテは耳をぴんと立てた。
「ヒヒン」
(意訳:近い)
「やはり」
ミントは、ロシナンテの首元に手を伸ばし、優しく撫でる。
その体温は、いつもより少し高かった。
(……抑えている)
(無理をさせていますね)
ロシナンテ――ペガサスの幼生。
その力は、王都で露見すれば、確実に混乱を招く。だからこそ、今は“ロバ”でいる必要があった。
「もう少しだけ、我慢してください」
「必要な時には――」
言葉を切り、夜空を見上げる。
「必ず、頼ります」
ロシナンテは、静かに鼻を鳴らした。
「ヒヒン」
(意訳:了承)
そのとき。
王都の外から、微かな衝撃が伝わってきた。
――ドン。
地面が、わずかに揺れる。
騎士たちが、一斉に顔を上げた。
「……今のは?」
「爆発音?」
「いや……」
ミントは、即座に判断した。
「魔獣です」
「大型個体が、
結界に触れました」
ほぼ同時に、警鐘が鳴り響く。
低く、重く、王都全体を揺らす音。
「侵攻警報――!」
「西門、南門付近に反応!」
騎士たちが、走り出す。
グレイは、即座に指示を飛ばした。
「第一・第二部隊を、西門へ!」
「第三部隊は、南門の内側で待機!」
「民間人の避難誘導を最優先だ!」
その指示の的確さに、混乱は最小限に抑えられていた。
ミントは、一歩前に出る。
「公爵様」
「……分かっている」
グレイは、低く答えた。
「まだ、前に出るな」
「だが」
一瞬、視線を合わせる。
「必要になれば、許可する」
ミントは、深く頷いた。
「ありがとうございます」
王都の外縁。
結界の向こう側で、複数の影が蠢いている。
闇に紛れて見えにくいが、確実に“数”が増えているのが分かる。
「……思ったより」
ミントは、呟いた。
「集まりが早い」
その瞬間。
ロシナンテが、低く唸るように鳴いた。
「ヒヒン……」
(意訳:空、呼ばれている)
ミントは、ロシナンテを見下ろす。
「……まだ、です」
「今は、耐えてください」
だが。
結界が、再び大きく揺れた。
今度は、明確に“割れる”音が混じっている。
「……っ」
騎士の一人が、叫んだ。
「結界、耐久値低下!」
「このままでは――!」
ミントは、グレイを振り返った。
「公爵様」
その目には、恐れはない。
ただ、覚悟だけがあった。
「前に出る準備は、整っています」
グレイは、一瞬だけ目を閉じ――
次に開いたとき、その瞳には決断が宿っていた。
「……まだ命令は出さない」
「だが」
「その時が来たら、迷わず行け」
ミントは、静かに微笑んだ。
「はい」
王都の夜空は、雲に覆われ始めている。
嵐は、もう目の前だ。
そしてその嵐の中心へ向かう道は――
確実に、ミントの足元へと伸びていた。
王都の空気が、わずかに変わり始めたのは、その日の夕刻だった。
ローマン公爵邸の高台に立つ見張り塔から見下ろす王都は、いつもと変わらぬ喧騒に包まれている。商人の呼び声、馬車の軋む音、人々の笑い声――どれも平和そのものだ。
だが。
「……違和感があります」
ミント・マリーベルは、欄干に手を置き、遠くを見つめていた。
「どのあたりだ?」
隣に立つグレイ・ローマン公爵が、低く尋ねる。
「音、です」
ミントは、静かに答えた。
「人の声は、いつも通りです」
「ですが」
「魔力の流れが、不自然に淀んでいます」
グレイは眉をひそめた。
「結界に異常は?」
「結界そのものは、まだ健在です」
「ただ」
ミントは、視線を王都の外縁――森の方向へ向ける。
「外側から、
押されている感覚があります」
その言葉を裏付けるように、塔の下で待機していた騎士の一人が駆け上がってきた。
「公爵閣下!」
「西門付近の巡回隊より、報告です!」
「魔獣の目撃情報が、複数――」
「数は?」
グレイが即座に問う。
「まだ少数ですが、
通常の生息域を大きく外れています!」
ミントは、静かに目を閉じた。
(……やはり)
(来ますね)
塔の空気が、一段と張り詰める。
「王都防衛の配置を、即座に確認しろ」
グレイの声は、冷静だった。
「騎士団には、警戒レベルを一段階上げるよう伝達」
「ですが、まだ“侵攻”と呼ぶほどでは――」
「十分だ」
グレイは遮った。
「“異常”が出た時点で、
最悪を想定するのが仕事だ」
ミントは、ゆっくりと息を吐き、振り返った。
「公爵様」
「私も、動きます」
グレイは、一瞬だけ彼女を見つめ――
低く言った。
「まだだ」
「今は、準備に徹する」
「……承知しました」
その返答に、迷いはなかった。
夜。
公爵邸の中庭では、騎士たちが慌ただしく行き交っていた。武具の点検、通信魔法の再確認、負傷者収容の準備――すべてが、無言の緊張感の中で進められている。
ミントは、その様子を少し離れた場所から見ていた。
「ヒヒン……」
足元で、ロシナンテが落ち着かない様子で地面を踏み鳴らす。
「……あなたも、感じていますね」
ミントが囁くと、ロシナンテは耳をぴんと立てた。
「ヒヒン」
(意訳:近い)
「やはり」
ミントは、ロシナンテの首元に手を伸ばし、優しく撫でる。
その体温は、いつもより少し高かった。
(……抑えている)
(無理をさせていますね)
ロシナンテ――ペガサスの幼生。
その力は、王都で露見すれば、確実に混乱を招く。だからこそ、今は“ロバ”でいる必要があった。
「もう少しだけ、我慢してください」
「必要な時には――」
言葉を切り、夜空を見上げる。
「必ず、頼ります」
ロシナンテは、静かに鼻を鳴らした。
「ヒヒン」
(意訳:了承)
そのとき。
王都の外から、微かな衝撃が伝わってきた。
――ドン。
地面が、わずかに揺れる。
騎士たちが、一斉に顔を上げた。
「……今のは?」
「爆発音?」
「いや……」
ミントは、即座に判断した。
「魔獣です」
「大型個体が、
結界に触れました」
ほぼ同時に、警鐘が鳴り響く。
低く、重く、王都全体を揺らす音。
「侵攻警報――!」
「西門、南門付近に反応!」
騎士たちが、走り出す。
グレイは、即座に指示を飛ばした。
「第一・第二部隊を、西門へ!」
「第三部隊は、南門の内側で待機!」
「民間人の避難誘導を最優先だ!」
その指示の的確さに、混乱は最小限に抑えられていた。
ミントは、一歩前に出る。
「公爵様」
「……分かっている」
グレイは、低く答えた。
「まだ、前に出るな」
「だが」
一瞬、視線を合わせる。
「必要になれば、許可する」
ミントは、深く頷いた。
「ありがとうございます」
王都の外縁。
結界の向こう側で、複数の影が蠢いている。
闇に紛れて見えにくいが、確実に“数”が増えているのが分かる。
「……思ったより」
ミントは、呟いた。
「集まりが早い」
その瞬間。
ロシナンテが、低く唸るように鳴いた。
「ヒヒン……」
(意訳:空、呼ばれている)
ミントは、ロシナンテを見下ろす。
「……まだ、です」
「今は、耐えてください」
だが。
結界が、再び大きく揺れた。
今度は、明確に“割れる”音が混じっている。
「……っ」
騎士の一人が、叫んだ。
「結界、耐久値低下!」
「このままでは――!」
ミントは、グレイを振り返った。
「公爵様」
その目には、恐れはない。
ただ、覚悟だけがあった。
「前に出る準備は、整っています」
グレイは、一瞬だけ目を閉じ――
次に開いたとき、その瞳には決断が宿っていた。
「……まだ命令は出さない」
「だが」
「その時が来たら、迷わず行け」
ミントは、静かに微笑んだ。
「はい」
王都の夜空は、雲に覆われ始めている。
嵐は、もう目の前だ。
そしてその嵐の中心へ向かう道は――
確実に、ミントの足元へと伸びていた。
8
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
敗戦国の元王子へ 〜私を追放したせいで貴国は我が帝国に負けました。私はもう「敵国の皇后」ですので、頭が高いのではないでしょうか?〜
六角
恋愛
「可愛げがないから婚約破棄だ」 王国の公爵令嬢コーデリアは、その有能さゆえに「鉄の女」と疎まれ、無邪気な聖女を選んだ王太子によって国外追放された。
極寒の国境で凍える彼女を拾ったのは、敵対する帝国の「氷の皇帝」ジークハルト。 「私が求めていたのは、その頭脳だ」 皇帝は彼女の才能を高く評価し、なんと皇后として迎え入れた!
コーデリアは得意の「物流管理」と「実務能力」で帝国を黄金時代へと導き、氷の皇帝から極上の溺愛を受けることに。 一方、彼女を失った王国はインフラが崩壊し、経済が破綻。焦った元婚約者は戦争を仕掛けてくるが、コーデリアの完璧な策の前に為す術なく敗北する。
和平交渉の席、泥まみれで土下座する元王子に対し、美しき皇后は冷ややかに言い放つ。 「頭が高いのではないでしょうか? 私はもう、貴国を支配する帝国の皇后ですので」
これは、捨てられた有能令嬢が、最強のパートナーと共に元祖国を「実務」で叩き潰し、世界一幸せになるまでの爽快な大逆転劇。
白い結婚を告げようとした王子は、冷遇していた妻に恋をする
夏生 羽都
恋愛
ランゲル王国の王太子ヘンリックは結婚式を挙げた夜の寝室で、妻となったローゼリアに白い結婚を宣言する、
……つもりだった。
夫婦の寝室に姿を見せたヘンリックを待っていたのは、妻と同じ髪と瞳の色を持った見知らぬ美しい女性だった。
「『愛するマリーナのために、私はキミとは白い結婚とする』でしたか? 早くおっしゃってくださいな」
そう言って椅子に座っていた美しい女性は悠然と立ち上がる。
「そ、その声はっ、ローゼリア……なのか?」
女性の声を聞いた事で、ヘンリックはやっと彼女が自分の妻となったローゼリアなのだと気付いたのだが、驚きのあまり白い結婚を宣言する事も出来ずに逃げるように自分の部屋へと戻ってしまうのだった。
※こちらは「裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。」のIFストーリーです。
ヘンリック(王太子)が主役となります。
また、上記作品をお読みにならなくてもお楽しみ頂ける内容となっております。
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
あなたのことなんて、もうどうでもいいです
もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。
元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる