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第12話 最前線へ
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第12話 最前線へ
王都全体に鳴り響く警鐘は、夜の静寂を完全に引き裂いていた。
低く、重く、絶え間なく続くその音は、人々に「逃げろ」と告げる音であり、同時に「戦え」と命じる音でもある。
「西門、第二防衛線に魔獣接近!」
「南門付近、結界の亀裂拡大!」
「民間人の避難、想定より遅れています!」
伝令の声が、執務棟の臨時指揮室に飛び交う。
地図の前に立つグレイ・ローマン公爵は、冷静に状況を見極めていた。王都防衛の総指揮を任されている以上、一つの判断ミスが数百、数千の命に直結する。
「……西門は持つ」
短く告げる。
「だが、南門は時間の問題だ」
「大型個体が混じっています!」
「結界に耐性を持つ種です!」
グレイは、わずかに歯を噛みしめた。
「……厄介だな」
その少し後ろで、ミント・マリーベルは静かに立っていた。
小さな身体。
十歳の少女。
だが、その視線は、誰よりも戦場を正確に捉えている。
「公爵様」
ミントは、地図の南門付近を指さした。
「この地点」
「結界の亀裂に、魔力が集中しています」
「放置すれば、突破は確実です」
「分かっている」
グレイは即答した。
「だが、今は騎士団を――」
「間に合いません」
ミントの声は、淡々としていた。
「騎士団が到着する前に、
結界が破られます」
室内の空気が、一気に張り詰める。
参謀役の騎士が、躊躇いがちに口を開いた。
「……公爵閣下」
「例の件を……?」
グレイは、ミントを見た。
その視線には、迷いと、葛藤と、責任が混じっている。
「……ミント」
「本当に、行くつもりか」
ミントは、はっきりと頷いた。
「はい」
「ここで止めなければ、
王都に被害が出ます」
「私なら」
一拍置いて。
「最小限で、終わらせられます」
その言葉は、決して驕りではなかった。
事実を述べているだけだ。
グレイは、深く息を吸い、そして――決断した。
「……許可する」
室内が、静まり返る。
「ローマン公爵家の婚約者としてではない」
「王都防衛の戦力として」
「前に出ろ」
ミントは、胸に手を当て、深く一礼した。
「命令、拝命します」
次の瞬間。
彼女は踵を返し、指揮室を後にした。
中庭。
ロシナンテが、すでにミントを待っていた。
その様子は、いつもののんびりしたロバとは明らかに違う。蹄が地面を踏み鳴らし、全身から抑えきれない魔力が微かに漏れ出している。
「……待たせました」
ミントが声をかけると、ロシナンテは低く鳴いた。
「ヒヒン……!」
(意訳:やっとだ)
「まだ、姿は変えません」
ミントは、そっと言い聞かせる。
「王都の中です」
「空は、外で使いましょう」
ロシナンテは一瞬、不満そうに耳を伏せたが、すぐに頷くように首を振った。
「ヒヒン」
(意訳:了解)
ミントは、軽やかにその背に乗る。
その光景を見た騎士の一人が、思わず目を見開いた。
「……ロ、ロバに乗って最前線へ?」
「気にするな!」
別の騎士が叫ぶ。
「公爵閣下直々の命令だ!」
「道を開けろ!」
門が開かれ、ミントとロシナンテは夜の王都へと駆け出した。
石畳を蹴る蹄の音は軽く、しかし迷いがない。
「……速い」
「馬並みだ……いや、それ以上か?」
周囲の騎士たちが驚愕する中、ロシナンテは一直線に南門へ向かう。
そして――
南門前。
結界の亀裂から、黒い影が溢れ出そうとしていた。
牙を剥く魔獣たち。
空気を震わせる咆哮。
恐怖に顔を歪める兵士たち。
「……間に合った」
ミントは、静かに呟いた。
ロシナンテが足を止める。
「ヒヒン」
(意訳:ここだな)
「ええ」
ミントは、ゆっくりと背から降り、前に出た。
小さな背中が、南門の最前線に立つ。
「……子ども?」
「何をしている、下がれ!」
兵士たちの叫びが飛ぶ。
だが、次の瞬間。
ミントの足元に、巨大な魔法陣が展開された。
夜を照らす、圧倒的な光。
「な……っ」
「詠唱、なし……!?」
ミントは、静かに手を掲げる。
「対象、魔獣群」
「範囲、南門前方」
「……殲滅ではありません」
彼女の声は、戦場にありながら、驚くほど冷静だった。
「排除します」
次の瞬間。
結界に触れていた魔獣たちの身体が、内側から崩れ始める。
爆発はない。
血も飛ばない。
ただ、魔力構造が解かれ、存在そのものが“ほどけて”いく。
「……消えた?」
「嘘だろ……」
前線の兵士たちは、呆然と立ち尽くすしかなかった。
だが、それで終わりではない。
亀裂から漏れ出していた魔力の奔流に、ミントは視線を向けた。
「……これが、原因ですね」
彼女は、さらに魔法陣を重ねる。
複雑で、しかし完璧に制御された構成。
「結界補強……いいえ」
「再構築」
光が収束し、亀裂がゆっくりと閉じていく。
まるで、最初から傷などなかったかのように。
沈黙。
南門前にいた全員が、言葉を失っていた。
「……終わった?」
誰かが、かすれた声で呟く。
ミントは、小さく息を吐いた。
「はい」
「ここは、もう安全です」
その瞬間。
張り詰めていた緊張が一気に解け、膝をつく兵士が続出した。
「……助かった」
「本当に……」
ミントは、振り返り、ロシナンテのもとへ戻る。
「行きましょう」
「次は、西門です」
ロシナンテは、嬉しそうに鼻を鳴らした。
「ヒヒン!」
(意訳:次だ!)
その背に再び跨り、ミントは夜の王都を駆ける。
ロバに見えるその存在が、
実は“空を駆ける獣”であることを、
この時、知る者はまだいない。
だが。
王都防衛の最前線に立つ小さな影は、
確実に――
戦況を塗り替え始めていた。
嵐は、すでに始まっている。
王都全体に鳴り響く警鐘は、夜の静寂を完全に引き裂いていた。
低く、重く、絶え間なく続くその音は、人々に「逃げろ」と告げる音であり、同時に「戦え」と命じる音でもある。
「西門、第二防衛線に魔獣接近!」
「南門付近、結界の亀裂拡大!」
「民間人の避難、想定より遅れています!」
伝令の声が、執務棟の臨時指揮室に飛び交う。
地図の前に立つグレイ・ローマン公爵は、冷静に状況を見極めていた。王都防衛の総指揮を任されている以上、一つの判断ミスが数百、数千の命に直結する。
「……西門は持つ」
短く告げる。
「だが、南門は時間の問題だ」
「大型個体が混じっています!」
「結界に耐性を持つ種です!」
グレイは、わずかに歯を噛みしめた。
「……厄介だな」
その少し後ろで、ミント・マリーベルは静かに立っていた。
小さな身体。
十歳の少女。
だが、その視線は、誰よりも戦場を正確に捉えている。
「公爵様」
ミントは、地図の南門付近を指さした。
「この地点」
「結界の亀裂に、魔力が集中しています」
「放置すれば、突破は確実です」
「分かっている」
グレイは即答した。
「だが、今は騎士団を――」
「間に合いません」
ミントの声は、淡々としていた。
「騎士団が到着する前に、
結界が破られます」
室内の空気が、一気に張り詰める。
参謀役の騎士が、躊躇いがちに口を開いた。
「……公爵閣下」
「例の件を……?」
グレイは、ミントを見た。
その視線には、迷いと、葛藤と、責任が混じっている。
「……ミント」
「本当に、行くつもりか」
ミントは、はっきりと頷いた。
「はい」
「ここで止めなければ、
王都に被害が出ます」
「私なら」
一拍置いて。
「最小限で、終わらせられます」
その言葉は、決して驕りではなかった。
事実を述べているだけだ。
グレイは、深く息を吸い、そして――決断した。
「……許可する」
室内が、静まり返る。
「ローマン公爵家の婚約者としてではない」
「王都防衛の戦力として」
「前に出ろ」
ミントは、胸に手を当て、深く一礼した。
「命令、拝命します」
次の瞬間。
彼女は踵を返し、指揮室を後にした。
中庭。
ロシナンテが、すでにミントを待っていた。
その様子は、いつもののんびりしたロバとは明らかに違う。蹄が地面を踏み鳴らし、全身から抑えきれない魔力が微かに漏れ出している。
「……待たせました」
ミントが声をかけると、ロシナンテは低く鳴いた。
「ヒヒン……!」
(意訳:やっとだ)
「まだ、姿は変えません」
ミントは、そっと言い聞かせる。
「王都の中です」
「空は、外で使いましょう」
ロシナンテは一瞬、不満そうに耳を伏せたが、すぐに頷くように首を振った。
「ヒヒン」
(意訳:了解)
ミントは、軽やかにその背に乗る。
その光景を見た騎士の一人が、思わず目を見開いた。
「……ロ、ロバに乗って最前線へ?」
「気にするな!」
別の騎士が叫ぶ。
「公爵閣下直々の命令だ!」
「道を開けろ!」
門が開かれ、ミントとロシナンテは夜の王都へと駆け出した。
石畳を蹴る蹄の音は軽く、しかし迷いがない。
「……速い」
「馬並みだ……いや、それ以上か?」
周囲の騎士たちが驚愕する中、ロシナンテは一直線に南門へ向かう。
そして――
南門前。
結界の亀裂から、黒い影が溢れ出そうとしていた。
牙を剥く魔獣たち。
空気を震わせる咆哮。
恐怖に顔を歪める兵士たち。
「……間に合った」
ミントは、静かに呟いた。
ロシナンテが足を止める。
「ヒヒン」
(意訳:ここだな)
「ええ」
ミントは、ゆっくりと背から降り、前に出た。
小さな背中が、南門の最前線に立つ。
「……子ども?」
「何をしている、下がれ!」
兵士たちの叫びが飛ぶ。
だが、次の瞬間。
ミントの足元に、巨大な魔法陣が展開された。
夜を照らす、圧倒的な光。
「な……っ」
「詠唱、なし……!?」
ミントは、静かに手を掲げる。
「対象、魔獣群」
「範囲、南門前方」
「……殲滅ではありません」
彼女の声は、戦場にありながら、驚くほど冷静だった。
「排除します」
次の瞬間。
結界に触れていた魔獣たちの身体が、内側から崩れ始める。
爆発はない。
血も飛ばない。
ただ、魔力構造が解かれ、存在そのものが“ほどけて”いく。
「……消えた?」
「嘘だろ……」
前線の兵士たちは、呆然と立ち尽くすしかなかった。
だが、それで終わりではない。
亀裂から漏れ出していた魔力の奔流に、ミントは視線を向けた。
「……これが、原因ですね」
彼女は、さらに魔法陣を重ねる。
複雑で、しかし完璧に制御された構成。
「結界補強……いいえ」
「再構築」
光が収束し、亀裂がゆっくりと閉じていく。
まるで、最初から傷などなかったかのように。
沈黙。
南門前にいた全員が、言葉を失っていた。
「……終わった?」
誰かが、かすれた声で呟く。
ミントは、小さく息を吐いた。
「はい」
「ここは、もう安全です」
その瞬間。
張り詰めていた緊張が一気に解け、膝をつく兵士が続出した。
「……助かった」
「本当に……」
ミントは、振り返り、ロシナンテのもとへ戻る。
「行きましょう」
「次は、西門です」
ロシナンテは、嬉しそうに鼻を鳴らした。
「ヒヒン!」
(意訳:次だ!)
その背に再び跨り、ミントは夜の王都を駆ける。
ロバに見えるその存在が、
実は“空を駆ける獣”であることを、
この時、知る者はまだいない。
だが。
王都防衛の最前線に立つ小さな影は、
確実に――
戦況を塗り替え始めていた。
嵐は、すでに始まっている。
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