『婚約者に売られましたが、買い戻したのは皇帝でした ――メイド扱いのはずが、なぜか溺愛されています

鷹 綾

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第11話 静かな庇護

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第11話 静かな庇護

 城の朝は、規則正しく始まる。

 鐘の音、衛兵の交代、執務棟へと向かう官吏たちの足音。フェリス・リンクスは、その流れの中に、いつの間にか自然に溶け込んでいた。

 執務補佐としての立場は、正式な官職ではない。だが、誰も彼女を軽んじない。それどころか、必要な書類は彼女を通し、判断に迷えば意見を求めるようになっていた。

(……変わったわね)

 数日前まで、視線の奥にあった探るような色が、消えつつある。

 理由は、はっきりしていた。

 ――皇帝が、はっきりと線を引いたからだ。


---

 午前の執務が一段落した頃、フェリスは情報局の一室へと呼ばれた。

 意外な場所に、一瞬だけ戸惑う。

「失礼いたします」

 扉を開けると、そこにはアーシュ・レーシャー皇帝と、数名の幹部が集まっていた。

「来たか」

 皇帝は、フェリスを一瞥すると、すぐに話を進める。

「これから話す内容は、城内でも限られた者しか知らない。
 君にも聞いてもらう」

 フェリスは、背筋を伸ばした。

「……承知しました」

 情報局長が、書類を広げる。

「バロン男爵の件ですが、裏付けが取れました」

 その名前が出た瞬間、フェリスの胸がわずかに締め付けられる。

「彼は、フェリス・リンクスを借金のかたとして奴隷商人へ引き渡しただけでなく、
 同様の手口で、複数の平民の娘と子供を売り渡していました」

 言葉は淡々としている。だが、その内容は重い。

「直接関与していないように見せるため、息のかかった商人を仲介に使い、
 記録上は“行方不明”や“雇用契約”として処理されています」

 フェリスは、思わず指先に力を入れた。

 ――自分だけでは、なかった。

「現在、証人と物証を揃えています」

 情報局長は、皇帝を見て頷いた。

「動くのは、陛下のご決断次第です」

 室内が、静まり返る。

 アーシュは、少しの間、何も言わなかった。やがて、低い声で告げる。

「……人身売買だ」

 短く、断じる。

「貴族であろうと、例外はない」

 その言葉に、フェリスは胸の奥が熱くなるのを感じた。

「フェリス」

 不意に、名を呼ばれる。

「はい」

「君に確認する」

 皇帝は、視線をまっすぐ向けた。

「この件を、公にする。
 そうなれば、君の過去も表に出る」

 フェリスは、一瞬だけ迷った。

 不義の汚名。
 売られた過去。
 それらが、再び語られることになる。

 だが、答えは決まっていた。

「……構いません」

 はっきりと言い切る。

「私一人のために、罪が闇に埋もれる方が、よほど耐えられません」

 アーシュは、わずかに目を細めた。

「そうか」

 それだけで、十分だった。

「準備を進めろ」

 皇帝の命令に、情報局の者たちは一斉に頭を下げた。


---

 会議の後。

 廊下を歩くフェリスに、皇帝が声をかける。

「無理はするな」

「……はい」

 その言葉は、最近、何度か聞いた気がする。

「君は、守られている」

 アーシュは、淡々と言った。

「それを、忘れるな」

 フェリスは、足を止めた。

「……ありがとうございます」

 感謝の言葉は、もう何度も口にしている。だが、その重みは、毎回違っていた。

 自分は、庇護されている。
 それも、黙って、静かに。


---

 その夜。

 自室で一人、フェリスは窓の外を眺めていた。

 バロン男爵。
 売られた自分。
 そして、他にも犠牲者がいるという事実。

 胸の奥に、怒りと悲しみが混ざり合う。

 だが、不思議と絶望はなかった。

(……もう、一人じゃない)

 誰にも信じてもらえず、切り捨てられたあの日とは違う。

 皇帝は、理由を口にしない。
 私情だとも、情けだとも言わない。

 ただ、必要だと判断し、守っている。

 それが、何よりも心強かった。

 フェリス・リンクスは、まだ気づいていない。

 この「静かな庇護」が、
 やがて誰の目にも明らかな“溺愛”へと姿を変えることを。

 そしてその時、
 帝国はもう、彼女を無関係な存在として扱えなくなっていることを。
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