『婚約者に売られましたが、買い戻したのは皇帝でした ――メイド扱いのはずが、なぜか溺愛されています

鷹 綾

文字の大きさ
12 / 41

第12話 罪が照らされる前夜

しおりを挟む
第12話 罪が照らされる前夜

 帝都は、静かにざわめいていた。

 噂は、形を変えて広がる。
 根拠のない中傷は消え、代わりに「調査が進んでいるらしい」「皇帝が直々に動いている」という、確度の高い囁きが、貴族たちの間を巡り始めていた。

 フェリス・リンクスは、その空気の変化を、執務室の窓越しに感じていた。

 官吏たちの動きが速い。
 書類の回りが異様に正確で、無駄な会話がない。

 ――嵐の前だ。

「……これで、よろしいでしょうか」

 フェリスが差し出した文書を、アーシュ・レーシャー皇帝は受け取る。内容を一瞥し、静かに頷いた。

「十分だ」

 その一言で、胸の奥が少しだけ軽くなる。

 ここ数日、フェリスは通常の補佐業務に加え、調査に関わる書類の整理を任されていた。証言の時系列、取引記録の齟齬、商人たちの資金の流れ――どれも、彼女が最も得意とする分野だ。

「……一つ、気になる点があります」

 フェリスは、ためらいながら口を開いた。

「何だ」

「バロン男爵が使っていた仲介商人ですが……表向きは合法取引のみを扱っているように見えます。ですが、裏帳簿の動きが不自然です」

 アーシュは、わずかに目を細めた。

「続けろ」

「奴隷商人へ直接繋がる資金の流れを、三段階に分けて隠しています。
 もし、ここを突けば――」

「逃げ道を塞げる」

 皇帝が、言葉を継いだ。

 フェリスは、小さく息を呑む。

「……はい」

 沈黙。

 アーシュは、しばらく書類を見つめてから、低く告げた。

「よく見ているな」

 その評価は、簡潔だが重い。

「私は、ただ……」

「謙遜は不要だ」

 淡々とした口調だが、否定の余地はなかった。

「君がいなければ、調査はここまで早く進まなかった」

 フェリスは、思わず視線を落とす。

 認められることに、まだ慣れていない。


---

 その日の夕刻、情報局から正式な報告が入った。

「証人は、全員確保しました」

 責任者の声は、硬い。

「平民の娘二名、少年一名。
 いずれも、バロン男爵の債務整理を名目に引き渡されています」

 フェリスの胸が、きゅっと縮む。

 ――子供まで。

「証言内容は一致しています。
 『雇用』『奉公』と説明され、実際には拘束されたと」

 室内の空気が、冷えた。

 アーシュは、立ち上がる。

「……十分だ」

 その声に、迷いはなかった。

「明日、貴族院臨時会を開く」

 一瞬、場がざわつく。

 臨時会。
 それは、もはや水面下の話では済まないことを意味していた。

「陛下」

 情報局長が、確認する。

「フェリス・リンクスの件も――」

「隠さない」

 即答だった。

「事実は、すべて示す」

 フェリスは、静かに拳を握る。

 怖くないわけではない。
 だが、逃げるつもりもなかった。


---

 会議が終わり、人が去った執務室で、フェリスは皇帝に向き直った。

「……陛下」

「何だ」

「明日、私は……」

「出席する」

 アーシュは、当然のように言った。

「当事者として、証言を求める者もいるだろう」

 フェリスは、深く息を吸う。

「……承知しました」

 声は、震えていなかった。

「不安か?」

 唐突な問い。

 フェリスは、正直に答えた。

「少しだけ」

「それでいい」

 皇帝は、淡々と告げる。

「恐れを感じない者は、判断を誤る」

 その言葉に、フェリスは小さく頷いた。

「だが」

 アーシュは、はっきりと言う。

「君を、誰にも踏みにじらせない」

 それは、約束ではない。
 命令でもない。

 決定だった。


---

 夜。

 自室で、フェリスは明日のために服を整えていた。華美ではないが、格式を失わない装い。リンクス家の紋章は、あえて身に着けない。

(……私は、もう“誰かの娘”ではない)

 窓の外、帝都の灯りが揺れる。

 明日、罪は白日の下に晒される。
 バロン男爵の嘘も、
 不義の汚名も、
 売られた者たちの苦しみも。

 胸の奥で、恐怖と決意が、静かに並んでいた。

 フェリス・リンクスは、この夜、理解していた。

 これは復讐ではない。
 裁きだ。

 そしてその裁きは、
 彼女一人の人生だけでなく、
 帝国のあり方そのものを問うものになる。

 罪が照らされる、その前夜に。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」 豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。 しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。

選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ

暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】 5歳の時、母が亡くなった。 原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。 そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。 これからは姉と呼ぶようにと言われた。 そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。 母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。 私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。 たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。 でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。 でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ…… 今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。 でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。 私は耐えられなかった。 もうすべてに……… 病が治る見込みだってないのに。 なんて滑稽なのだろう。 もういや…… 誰からも愛されないのも 誰からも必要とされないのも 治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。 気付けば私は家の外に出ていた。 元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。 特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。 私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。 これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

ヴェルセット公爵家令嬢クラリッサはどこへ消えた?

ルーシャオ
恋愛
完璧な令嬢であれとヴェルセット公爵家令嬢クラリッサは期待を一身に受けて育ったが、婚約相手のイアムス王国デルバート王子はそんなクラリッサを嫌っていた。挙げ句の果てに、隣国の皇女を巻き込んで婚約破棄事件まで起こしてしまう。長年の王子からの嫌がらせに、ついにクラリッサは心が折れて行方不明に——そして約十二年後、王城の古井戸でその白骨遺体が発見されたのだった。 一方、隣国の法医学者エルネスト・クロードはロロベスキ侯爵夫人ことマダム・マーガリーの要請でイアムス王国にやってきて、白骨死体のスケッチを見てクラリッサではないと看破する。クラリッサは行方不明になって、どこへ消えた? 今はどこにいる? 本当に死んだのか? イアムス王国の人々が彼女を惜しみ、探そうとしている中、クロードは情報収集を進めていくうちに重要参考人たちと話をして——?

手放してみたら、けっこう平気でした。

朝山みどり
恋愛
エリザ・シスレーは伯爵家の後継として、勉強、父の手伝いと努力していた。父の親戚の婚約者との仲も良好で、結婚する日を楽しみしていた。 そんなある日、父が急死してしまう。エリザは学院をやめて、領主の仕事に専念した。 だが、領主として努力するエリザを家族は理解してくれない。彼女は家族のなかで孤立していく。

氷の王妃は跪かない ―褥(しとね)を拒んだ私への、それは復讐ですか?―

柴田はつみ
恋愛
亡国との同盟の証として、大国ターナルの若き王――ギルベルトに嫁いだエルフレイデ。 しかし、結婚初夜に彼女を待っていたのは、氷の刃のように冷たい拒絶だった。 「お前を抱くことはない。この国に、お前の居場所はないと思え」 屈辱に震えながらも、エルフレイデは亡き母の教え―― 「己の誇り(たましい)を決して売ってはならない」――を胸に刻み、静かに、しかし凛として言い返す。 「承知いたしました。ならば私も誓いましょう。生涯、あなたと褥を共にすることはございません」 愛なき結婚、冷遇される王妃。 それでも彼女は、逃げも嘆きもせず、王妃としての務めを完璧に果たすことで、己の価値を証明しようとする。 ――孤独な戦いが、今、始まろうとしていた。

愛があれば、何をしてもいいとでも?

篠月珪霞
恋愛
「おいで」と優しく差し伸べられた手をとってしまったのが、そもそもの間違いだった。 何故、あのときの私は、それに縋ってしまったのか。 生まれ変わった今、再びあの男と対峙し、後悔と共に苦い思い出が蘇った。 「我が番よ、どうかこの手を取ってほしい」 過去とまったく同じ台詞、まったく同じ、焦がれるような表情。 まるであのときまで遡ったようだと錯覚させられるほどに。

処理中です...