25 / 41
第26話 名が独り歩きする日
しおりを挟む
第26話 名が独り歩きする日
朝の市場は、いつもより騒がしかった。
フェリス・リンクスが領主館の窓から見下ろすと、人の流れが微妙に滞っているのが分かる。誰もこちらを直接見ない。だが――視線は、確実に集まっていた。
(……来たわね)
それは、予感ではなく、必然だった。
---
「領主様」
侍女が、慎重な口調で告げる。
「帝都の新聞が、町に出回り始めています」
差し出された紙面を、フェリスは静かに受け取った。
大きな見出し。
> 『人身売買網、帝国全域で摘発開始
― 発端は地方領主フェリス・リンクス』
紙を持つ指に、力が入る。
内容は、事実だ。
誇張も、虚偽もない。
だが――
名前が前に出過ぎている。
---
「……これは」
侍女が言葉を選ぶ。
「英雄視、ですね」
「ええ」
フェリスは、即座に理解した。
「そして同時に――
反感も、集めます」
改革を歓迎する者。
既得権を失った者。
沈黙していたが、立場を揺さぶられた者。
名が広まるということは、
敵の輪郭も、はっきりするということだ。
---
昼前。
急ぎの面会申請が、いくつも届いた。
「近隣領主からの視察要請です」
「商会連合からの協議依頼も」
「……帝都の貴族からも、手紙が」
フェリスは、すべてに目を通し、整理する。
「今は、受けません」
即断だった。
「理由は?」
「こちらの都合で」
それだけで、十分だ。
今、必要なのは社交ではない。
足元の安定だ。
---
午後。
フェリスは、あえて町を歩いた。
護衛は最小限。
隠れない。
すると、声が飛んでくる。
「領主様!」 「新聞、読みました!」
若い男が、興奮気味に話しかけてくる。
「本当に、あんな大きなことを……!」
フェリスは、足を止めた。
「一人でやったわけではありません」
はっきりと、言う。
「監察局も、兵も、
そして、証言してくれた人たちがいた」
周囲が、静かに聞き入る。
「私の名が出ていますが」
フェリスは、視線を巡らせる。
「功績は、皆のものです」
その言葉に、ざわめきが起こる。
---
その夜。
執務室で、フェリスは深く息を吐いた。
「……疲れましたか」
侍女が、湯を差し出す。
「少し」
正直な答えだった。
「名が広まるのは、
剣を持つのと同じですね」
侍女が言う。
「振るう覚悟が、要ります」
「ええ」
フェリスは、湯気の向こうを見つめた。
「でも」
小さく、しかし確かに言う。
「もう、名を隠す必要はありません」
売られた少女の名でもない。
追放された令嬢の名でもない。
これは――
自分で築いた名だ。
---
深夜。
帝都から、短い私信が届く。
> 名が出たな。
それは、矢面に立った証だ。
だが覚えておけ。
名を守るのは、
剣ではなく、積み重ねだ。
署名――アーシュ・レーシャー。
フェリスは、静かに紙を畳んだ。
(……分かっています)
フェリス・リンクスは、この日、理解した。
戦いは、
血と炎だけではない。
名をどう使い、どう背負うか――
それもまた、
領主としての戦いなのだと。
そしてその戦いは、
今、確かに始まったばかりなのだと。
朝の市場は、いつもより騒がしかった。
フェリス・リンクスが領主館の窓から見下ろすと、人の流れが微妙に滞っているのが分かる。誰もこちらを直接見ない。だが――視線は、確実に集まっていた。
(……来たわね)
それは、予感ではなく、必然だった。
---
「領主様」
侍女が、慎重な口調で告げる。
「帝都の新聞が、町に出回り始めています」
差し出された紙面を、フェリスは静かに受け取った。
大きな見出し。
> 『人身売買網、帝国全域で摘発開始
― 発端は地方領主フェリス・リンクス』
紙を持つ指に、力が入る。
内容は、事実だ。
誇張も、虚偽もない。
だが――
名前が前に出過ぎている。
---
「……これは」
侍女が言葉を選ぶ。
「英雄視、ですね」
「ええ」
フェリスは、即座に理解した。
「そして同時に――
反感も、集めます」
改革を歓迎する者。
既得権を失った者。
沈黙していたが、立場を揺さぶられた者。
名が広まるということは、
敵の輪郭も、はっきりするということだ。
---
昼前。
急ぎの面会申請が、いくつも届いた。
「近隣領主からの視察要請です」
「商会連合からの協議依頼も」
「……帝都の貴族からも、手紙が」
フェリスは、すべてに目を通し、整理する。
「今は、受けません」
即断だった。
「理由は?」
「こちらの都合で」
それだけで、十分だ。
今、必要なのは社交ではない。
足元の安定だ。
---
午後。
フェリスは、あえて町を歩いた。
護衛は最小限。
隠れない。
すると、声が飛んでくる。
「領主様!」 「新聞、読みました!」
若い男が、興奮気味に話しかけてくる。
「本当に、あんな大きなことを……!」
フェリスは、足を止めた。
「一人でやったわけではありません」
はっきりと、言う。
「監察局も、兵も、
そして、証言してくれた人たちがいた」
周囲が、静かに聞き入る。
「私の名が出ていますが」
フェリスは、視線を巡らせる。
「功績は、皆のものです」
その言葉に、ざわめきが起こる。
---
その夜。
執務室で、フェリスは深く息を吐いた。
「……疲れましたか」
侍女が、湯を差し出す。
「少し」
正直な答えだった。
「名が広まるのは、
剣を持つのと同じですね」
侍女が言う。
「振るう覚悟が、要ります」
「ええ」
フェリスは、湯気の向こうを見つめた。
「でも」
小さく、しかし確かに言う。
「もう、名を隠す必要はありません」
売られた少女の名でもない。
追放された令嬢の名でもない。
これは――
自分で築いた名だ。
---
深夜。
帝都から、短い私信が届く。
> 名が出たな。
それは、矢面に立った証だ。
だが覚えておけ。
名を守るのは、
剣ではなく、積み重ねだ。
署名――アーシュ・レーシャー。
フェリスは、静かに紙を畳んだ。
(……分かっています)
フェリス・リンクスは、この日、理解した。
戦いは、
血と炎だけではない。
名をどう使い、どう背負うか――
それもまた、
領主としての戦いなのだと。
そしてその戦いは、
今、確かに始まったばかりなのだと。
0
あなたにおすすめの小説
私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?
きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。
しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ
暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】
5歳の時、母が亡くなった。
原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。
そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。
これからは姉と呼ぶようにと言われた。
そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。
母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。
私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。
たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。
でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。
でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ……
今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。
でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。
私は耐えられなかった。
もうすべてに………
病が治る見込みだってないのに。
なんて滑稽なのだろう。
もういや……
誰からも愛されないのも
誰からも必要とされないのも
治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。
気付けば私は家の外に出ていた。
元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。
特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。
私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。
これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
ヴェルセット公爵家令嬢クラリッサはどこへ消えた?
ルーシャオ
恋愛
完璧な令嬢であれとヴェルセット公爵家令嬢クラリッサは期待を一身に受けて育ったが、婚約相手のイアムス王国デルバート王子はそんなクラリッサを嫌っていた。挙げ句の果てに、隣国の皇女を巻き込んで婚約破棄事件まで起こしてしまう。長年の王子からの嫌がらせに、ついにクラリッサは心が折れて行方不明に——そして約十二年後、王城の古井戸でその白骨遺体が発見されたのだった。
一方、隣国の法医学者エルネスト・クロードはロロベスキ侯爵夫人ことマダム・マーガリーの要請でイアムス王国にやってきて、白骨死体のスケッチを見てクラリッサではないと看破する。クラリッサは行方不明になって、どこへ消えた? 今はどこにいる? 本当に死んだのか? イアムス王国の人々が彼女を惜しみ、探そうとしている中、クロードは情報収集を進めていくうちに重要参考人たちと話をして——?
手放してみたら、けっこう平気でした。
朝山みどり
恋愛
エリザ・シスレーは伯爵家の後継として、勉強、父の手伝いと努力していた。父の親戚の婚約者との仲も良好で、結婚する日を楽しみしていた。
そんなある日、父が急死してしまう。エリザは学院をやめて、領主の仕事に専念した。
だが、領主として努力するエリザを家族は理解してくれない。彼女は家族のなかで孤立していく。
氷の王妃は跪かない ―褥(しとね)を拒んだ私への、それは復讐ですか?―
柴田はつみ
恋愛
亡国との同盟の証として、大国ターナルの若き王――ギルベルトに嫁いだエルフレイデ。
しかし、結婚初夜に彼女を待っていたのは、氷の刃のように冷たい拒絶だった。
「お前を抱くことはない。この国に、お前の居場所はないと思え」
屈辱に震えながらも、エルフレイデは亡き母の教え――
「己の誇り(たましい)を決して売ってはならない」――を胸に刻み、静かに、しかし凛として言い返す。
「承知いたしました。ならば私も誓いましょう。生涯、あなたと褥を共にすることはございません」
愛なき結婚、冷遇される王妃。
それでも彼女は、逃げも嘆きもせず、王妃としての務めを完璧に果たすことで、己の価値を証明しようとする。
――孤独な戦いが、今、始まろうとしていた。
愛があれば、何をしてもいいとでも?
篠月珪霞
恋愛
「おいで」と優しく差し伸べられた手をとってしまったのが、そもそもの間違いだった。
何故、あのときの私は、それに縋ってしまったのか。
生まれ変わった今、再びあの男と対峙し、後悔と共に苦い思い出が蘇った。
「我が番よ、どうかこの手を取ってほしい」
過去とまったく同じ台詞、まったく同じ、焦がれるような表情。
まるであのときまで遡ったようだと錯覚させられるほどに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる