世界の現実は、理不尽で残酷だ――平等など存在しない

鷹 綾

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第三十四話 信用が沈黙する夜

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第三十四話 信用が沈黙する夜

王都の夜は、以前と変わらぬ静けさを取り戻していた。

街路を照らす灯り、巡回する騎士の足音、閉じられた店の扉。そのすべてが、秩序の回復を物語っている。だが、その静けさを「安心」と呼べる者は、もうほとんどいなかった。

誰もが理解している。
これは平穏ではない。
緊張が沈殿しただけだと。

王城では、夜の執務が常態化していた。

新王フィリップは、机に広げられた報告書を一つずつ確認している。地方貴族の動向、交易量の変化、教会からの要望、そして――沈黙。

かつてなら、些細な出来事でも即座に上がってきた情報が、今は途切れがちだった。

「……返事が、遅いな」

独り言のように呟く。

それは不手際ではない。
意図的な沈黙だ。

地方の諸侯は、王家の次の一手を見極めようとしている。積極的に反抗するわけでもなく、全面的に従うわけでもない。ただ、判断を保留している。

それが意味するのは一つ。

――信用が、まだ回復していない。

王は理解していた。信頼とは、宣言で戻るものではない。時間と、積み重ねと、そして失敗しない実績によってしか取り戻せない。

「焦れば、終わる」

それが、彼が自分に課した唯一の戒めだった。

同じ頃、貴族院では非公式の会合が続いていた。

議題に上がるのは、もはや王太子事件そのものではない。その「後始末」が、どこまで終わったのかという点だ。

「聖女の件は、完全に沈静化したと見ていい」

「ええ。だが、“忘れられた”わけではない」

ある侯爵の言葉に、周囲が頷く。

今回の騒動で、最も深く刻まれたのは、怒りでも恐怖でもない。
不信だ。

王家は、感情によって国を揺るがせる。
教会は、奇跡を理由に政治へ踏み込める。
貴族は、いつでも切り捨てられる可能性がある。

その前提が、一度、共有されてしまった。

だからこそ、誰も軽々しく口を開かない。沈黙は、反抗ではなく、警戒の形だった。

一方、エノー公爵領。

アリエノールのもとには、ここ数日で異様な数の書簡が届いていた。正式な同盟提案ではない。問い合わせでも、要望でもない。

「今後の方針について、一度意見を伺えれば」

そういった、曖昧な文面ばかりだ。

彼女はそれらを読み、すぐに返事を出すことはしなかった。

「沈黙は、最も分かりやすい返答ですわ」

側近の言葉に、彼女は軽く頷く。

今、軽率な発言は不要だ。何かを宣言すれば、それ自体が旗印になる。だが、彼女は旗を振るつもりはなかった。

王国を壊す気はない。
だが、守る義務もない。

「選択肢を、相手に考えさせるのです」

アリエノールはそう言った。

沈黙とは、拒絶ではない。
判断を相手に委ねる、最も冷静な態度だ。

修道騎士団領では、ルイスが夜の礼拝を終えて部屋に戻っていた。

かつてなら、夜会や会議で埋まっていた時間だ。今は、沈黙だけがある。

彼は、最近気づいたことがあった。

誰も、自分に何も求めてこない。

命令も、期待も、失望すらない。ただ、放置されている。それが、王太子という地位を失った人間の現実だった。

「……信用って、こういうものだったのか」

失って初めて、その形が分かる。

信用とは、与えられるものではない。常に試され、更新され続けるものだ。肩書きは、その過程を省略してくれるだけに過ぎない。

省略が終わった時、残るのは中身だけだ。

王都、貴族院、公爵領、修道騎士団。

どこでも、同じ空気が流れている。

誰も騒がず、誰も動かない。
だが、全員が考えている。

次に口を開く者は、誰か。
次に沈黙を破るのは、どこか。

そして――
その時、信用を持っている者だけが、発言権を得る。

この夜、王国は静かだった。

それは、嵐の前兆ではない。
選別が始まった音なき時間だった。

誰が残り、誰が消えるのか。
その答えは、もう感情では決まらない。

信用だけが、未来を決める。

王国は、そういう段階に入っていた。
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