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第24話 触れないまま、触れてしまう
しおりを挟むその日は、雨だった。
城の窓を叩く音が、一定のリズムで続く。
外に出る予定は、すべて中止。
「……今日は、静かですね」 「ああ」
書斎で、同じ机を挟んで座る二人。
書類を広げているが、仕事の密度は低い。
理由は、明白だった。
(……近い)
距離は、きちんとある。
肘も触れない。
肩も重ならない。
それなのに。
(……集中できませんわね)
***
ペンの音。
紙をめくる音。
それだけなのに、
互いの存在が、やけに大きい。
「……セレナ」 「はい」
クロードが、言葉を選ぶように一瞬止まる。
「雨は、嫌いか」 「いいえ」
意外そうな視線。
「嫌いではありません。
……閉じ込められる感じが、少しだけ」
「少しだけ?」 「安心します」
クロードは、ゆっくり頷いた。
「……分かる」
それ以上、言葉は続かない。
だが。
(……通じましたわね) (……通じたな)
***
昼過ぎ。
雷が、遠くで鳴った。
ほんの一瞬、窓が震える。
セレナは、無意識に肩をすくめた。
次の瞬間。
クロードの視線が、鋭く動く。
「……大丈夫か」 「ええ。ただ、少し驚いただけですわ」
彼は、立ち上がりかけ――
そして、止まった。
近づけば、触れる距離。
(……ここで触れたら)
(越えてしまう)
セレナも、それに気づいていた。
だから、微笑んだ。
「大丈夫です。
ここに、いますから」
その言葉に、
クロードの手が、ゆっくり下がる。
だが。
(……触れてないのに) (……支えられている)
***
夕刻。
雨は、さらに強くなった。
外は灰色。
城は、静寂に包まれる。
クロードが、ふと口を開いた。
「……もし」 「はい」 「今、この距離を保てなくなったら」
セレナは、視線を上げる。
「どうしますか」
問いではない。
確認でもない。
“自制の限界”の話だ。
セレナは、少し考えてから答えた。
「逃げません」 「……それは」 「でも、急ぎません」
はっきりと。
「触れない選択も、
今は“一緒にいる”選択ですから」
クロードは、目を閉じた。
(……強すぎる)
この人は、
感情を抑えているのではない。
選んでいる。
***
夜。
雨音が、少し弱まった頃。
書斎を出る前、
二人は、同時に立ち上がった。
近い。
ほんの一歩で、
触れてしまう距離。
だが。
どちらも、動かない。
セレナが、静かに言った。
「……触れていません」 「ああ」
クロードも、低く応じる。
「だが」 「ええ」
二人、同時に。
「――触れてしまいましたね」
言葉の意味は、
確認する必要もない。
心が、
すでに限界に近い。
それでも、踏み込まない。
それは、臆病さではなく――
尊重だった。
***
それぞれの部屋に戻ったあと。
セレナは、ベッドに腰掛け、深く息を吐く。
(……危険ですわね)
(この人のそばは)
クロードも、同じように天井を見つめていた。
(……触れないという選択が、
こんなにも苦しいとは)
白い結婚。
距離。
自制。
それらは、
もはや盾ではない。
互いを壊さないための、
最後の優しさだ。
雨が、止む。
だが。
二人の間に残った熱は、
簡単には冷めそうになかった。
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