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第25話 一線を越えない、という約束
しおりを挟む雨上がりの朝は、澄んでいた。
昨夜の熱を、洗い流すような空気。
だが――
(……消えていませんわね)
セレナは、カップに紅茶を注ぎながら思った。
触れていないのに、残っている感覚。
逃げ場のない、静かな余韻。
***
朝食の席。
二人は、向かい合って座っていた。
距離は、いつも通り。
視線も、逸らしすぎない。
それが、逆に――
昨夜の続きを、思い出させる。
「……セレナ」 「はい」
クロードが、珍しく先に口を開いた。
「昨夜のことだが」 「ええ」
彼は、一度、言葉を飲み込んだ。
「――話しておきたい」
逃げない。
誤魔化さない。
それは、二人の共通認識だった。
***
場所を移し、応接室。
朝の光が、床に落ちる。
座らず、立ったまま。
「触れなかった」 「ええ」 「だが――」
クロードは、はっきり言った。
「越えそうになった」
セレナは、目を伏せない。
「私もです」
沈黙。
だが、重くはない。
「だから、決めておきたい」 「……何を?」
「一線だ」
彼の声は、低く、しかし揺れていない。
「越えない線を、
言葉で引く」
セレナは、少しだけ考え――
そして、頷いた。
「必要ですわね」
***
二人は、向き合った。
「触れない」 「ええ」
「感情を、奪わない」 「はい」
「相手の人生を、
“今”縛らない」 「……大切ですわ」
クロードは、続ける。
「だが」 「……?」
「逃げない」 「ええ」
セレナが、静かに言葉を重ねる。
「向き合う」 「……ああ」
「必要なら、待つ」 「はい」
「そして」 「……?」
セレナは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「この約束を、
破りたくなった時は――
必ず、相談する」
クロードは、息を呑んだ。
「……それは」 「衝動で越えないための、
約束ですわ」
彼は、ゆっくり頷いた。
「……分かった」
それは、契約ではない。
命令でもない。
信頼だ。
***
応接室を出る前。
クロードが、足を止めた。
「セレナ」 「はい」
「……ありがとう」 「何が、ですか」 「私を、
“危険な存在”にしなかった」
セレナは、首を横に振る。
「あなたは、最初からそうではありません」
そして、静かに付け加えた。
「私が、選んだ人ですから」
クロードの胸が、強く打つ。
(……ああ)
(これは、
一線を越えない約束であって――)
(離れる約束ではない)
***
その日から。
二人は、以前と変わらない距離で過ごした。
触れない。
だが、避けない。
視線は、正面から。
言葉は、選んで。
そして――
線があるからこそ、
安心して近づけることを、知った。
夜。
セレナは、窓辺で空を見上げた。
(……一線を越えない、という約束)
(それは、
“越える可能性がある”と
認めた、約束でもありますわね)
クロードも、同じ空を見ていた。
(……待てる)
(この距離を、
守れる限り)
白い結婚。
その言葉は、
もはや“制限”ではない。
選び続けるための、
静かなルールだった。
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