婚約破棄された悪役令嬢ですが、英雄にも聖女にもなりません

鷹 綾

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第30話 続けられる現実を作る人

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第30話 続けられる現実を作る人

 翌朝、私はいつもより早く目を覚ました。

 窓の外は、まだ薄暗い。
 街が完全に動き出す前の、静かな時間。

(……考えるなら、今)

 机に向かい、昨夜書いたノートを開く。

『簡易回復薬
 低コスト
 効果限定
 安全性最優先』

 理屈は、単純だ。

 強力な回復薬は、
 どうしても材料も工程も高価になる。

 なら――
 最低限、生き延びるための回復に割り切る。

 止血。
 軽度の骨折補助。
 魔力疲労の緩和。

 “奇跡”を目指さない。
 “日常”を支えるだけ。

(それなら)

(現場は、救われる)

 私は外套を羽織り、
 人目を避けるように裏通りを歩いた。

 向かう先は、
 ギルドではない。

 小さな薬工房。

 かつて、回復薬騒動の余波で
 仕事を失いかけた――
 若い薬師がいる場所だ。

 戸を叩くと、
 中から驚いた顔が覗く。

「……エレナさん?」

「少し、相談があります」

 彼は、戸惑いながらも私を中へ招いた。

 簡素な工房。
 器具は古いが、手入れは行き届いている。

「王都の規制で、
 まともな仕事がなくなってしまって……」

「知っています」

 私は、はっきり言った。

「だからこそ、
 あなたに頼みたい」

 彼は、目を瞬かせる。

「……私に?」

「ええ」

 私は、ノートを開き、
 簡易回復薬の構想を説明した。

 材料。
 工程。
 安全確認。

 どれも、
 派手さのない内容だ。

 しばらく黙って聞いていた彼が、
 ぽつりと言った。

「……儲かりませんよ、これ」

「ええ」

 私は、否定しない。

「でも、続けられます」

 彼は、息を呑んだ。

「高価な材料も、
 怪しい添加も使わない。
 だから、止められにくい」

 沈黙。

 やがて、彼は小さく笑った。

「……王都に、怒られませんか?」

「怒られます」

 私は、即答した。

「でも、“違法”ではありません」

 彼は、しばらく考え込んだあと、
 深く息を吐いた。

「……やります」

 その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなった。

 昼過ぎ、私はギルドへ向かった。

 受付の赤毛の女性が、
 私を見るなり、目を細める。

「……嫌な予感がするわ」

「正解です」

 私は、簡易回復薬の試験配布について説明した。

「冒険者向けに、
 効果限定・低価格で」

「……王都、黙ってないわよ?」

「でしょうね」

 それでも、彼女は書類を受け取った。

「でも……」

 少し間を置いて、彼女は言う。

「現場は、喜ぶ」

 夕方、
 数本の簡易回復薬が、
 試験的に配られた。

「……効くな、これ」 「派手じゃないけど、助かる」

 冒険者たちの反応は、
 予想通りだった。

 歓声はない。
 奇跡の話もない。

 ただ、
 安堵の空気。

 その様子を、
 少し離れた場所から、ルーカスが見ていた。

「……君は」

 彼は、静かに言う。

「英雄には、ならないな」

「なりません」

 私は、即答した。

「英雄は、
 一度きりの奇跡を起こします」

 私は、冒険者たちの背中を見る。

「でも、
 彼らが欲しいのは――
 明日も同じ装備で、
 同じ仕事に行けることです」

 ルーカスは、しばらく黙っていたが、
 やがて、小さく笑った。

「……王都は、どう出る?」

「牽制は、来ます」

 私は、肩をすくめる。

「でも、止める理由がない」

 夜、宿へ戻ると、
 私は椅子に深く腰掛けた。

 派手な勝利はない。
 ざまぁも、ない。

 けれど――
 街は、確実に楽になっている。

 処刑エンドから始まった人生は、
 ここでまた一歩、
 別の方向へ進んだ。

 象徴でもなく、
 英雄でもなく。

 続けられる現実を作る人。

 その役割を、
 私は静かに受け入れる。

「……悪くないわね」

 小さく呟き、
 灯りを落とす。

 明日も、
 この街は回る。

 派手ではないけれど、
 確かに――
 生きていける形で。
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