婚約破棄された悪役令嬢ですが、英雄にも聖女にもなりません

鷹 綾

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第32話 噂よりも、使われること

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第32話 噂よりも、使われること

 噂は、広がるのが早い。

 そして――
 静かに、しかし確実に、人の行動を縛る。

 翌朝、ギルドの空気は、前日よりも重かった。

「……簡易回復薬、使うのやめた方がいいか?」 「王都の調査官が危険だって……」

 誰かが大声で言ったわけではない。
 だが、そんな小さな囁きが、
 確実に冒険者たちの手を止めていた。

(……来たわね)

 私は、依頼板の前で立ち止まり、
 あえて何も言わない。

 焦って否定すれば、
 噂は“対立”という形を得てしまう。

 それだけは、避けなければならない。

 昼前、
 ギルドの治療室から声が上がった。

「医療担当!
 こっちだ、早く!」

 若い冒険者が、
 仲間に肩を支えられて運び込まれる。

 魔物との小競り合い。
 深手ではないが、出血が多い。

「……正規の回復薬を」

 誰かが言いかけて、言葉を止めた。

 在庫は、限られている。
 しかも、高価だ。

 一瞬の逡巡。

 そのとき、
 治療師が言った。

「簡易回復薬を」

 空気が、ぴたりと止まる。

「……いいのか?」

「止血と体力回復なら、十分だ」

 彼は、迷いなくそう言った。

 薬が使われる。
 淡い光。
 派手さはない。

 だが、血は止まり、
 冒険者の呼吸が落ち着く。

「……動ける」

 その一言で、
 空気が変わった。

 誰かが、ぽつりと呟く。

「……普通に、効くな」

 それだけ。

 称賛も、奇跡もない。

 だが、
 使われた。

 それが、何より強い。

 午後、
 簡易回復薬を作る薬師のもとへ向かうと、
 彼は驚いた顔をした。

「……注文が、増えてます」

「不安は?」

「あります」

 彼は、正直に答える。

「でも……
 使われてるんです」

 私は、小さく頷いた。

「それで、十分です」

 夕方、ルーカスと街外れで合流する。

「……王都の使者が、困惑している」

 彼は、そう報告した。

「危険だと断定する材料が、
 見つからない」

「当然です」

「噂は流せても、
 現場が否定している」

 私は、街の灯りを見つめる。

「噂は、
 使われなくなった時に勝ちます」

「だが、使われ続ければ――」

「ただの音です」

 ルーカスは、苦笑した。

「……強引な策だ」

「地味な策です」

 私は、静かに言う。

「でも、
 これが一番、壊されにくい」

 夜、宿に戻り、
 私はノートを開く。

『噂対策
 説明しない
 反論しない
 使われ続ける』

 正しさを叫ばない。
 敵を作らない。

 ただ、
 今日も、誰かが助かる。

 それだけでいい。

 処刑エンドから始まった人生は、
 今、
 声の大きさではなく、
 積み重ねで進む段階に入っていた。

 私は、灯りを消す。

 噂は、まだ消えない。
 だが――
 もう、怖くはなかった。

 使われる現実は、
 噂より、ずっと強い。
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