『婚約破棄された公爵令嬢は、線を引く』――戻れない場所で、判断する席に座りました

鷹 綾

文字の大きさ
12 / 39

第十二話 選ばれる理由

しおりを挟む
第十二話 選ばれる理由

 クロイツ公爵家の朝は、穏やかだった。
 だがその静けさの中で、エヴァリーナは確かに変化を感じ取っていた。

 書斎の机に並べられた資料は、これまでとは質が違う。
 王城向けの報告書でも、社交界用の覚書でもない。
 隣国が実際に抱えている問題、その内情を示す、生々しい数字と状況説明。

「……隠さないのですね」

 独り言のように呟き、ページをめくる。

 財政赤字の内訳。
 通商路の停滞。
 一部貴族の既得権益が改革を阻んでいる現状。

 どれも、王城では最後まで見せてもらえなかった類の情報だ。
 “判断に不要”という名目で、伏せられていたもの。

 そこへ、執事が来客を告げた。

「お嬢様、アイゼンリッター卿がお見えです」

「……どうぞ」

 応接室に現れたマティアス・フォン・アイゼンリッターは、昨日と変わらぬ落ち着いた様子だった。
 無駄な挨拶はなく、席に着くなり、静かに口を開く。

「結論を急かすために来たわけではありません」

「承知しております」

「ですが、ひとつだけ伝えておきたいことがあります」

 マティアスは、資料の束に軽く手を置いた。

「あなたを招いた理由です」

 エヴァリーナは視線を上げ、黙って続きを待つ。

「多くの者は、あなたを“有能な補佐”だと評価しています。
 王城でも、社交界でも」

 その言葉に、彼女の表情は動かない。

「ですが、我々が評価したのは、そこではありません」

 マティアスは、はっきりと言った。

「あなたは、判断を他人に委ねません。
 最終的に責任を負う覚悟で、全体を組み立てる」

 エヴァリーナの指が、わずかに止まる。

「それは、王太子の役目だったはずですわ」

「名目上は」

 即答だった。

「ですが、実際に“王国がどう動くか”を決めていたのは、あなたでした」

 沈黙が落ちる。

 それは、非難ではない。
 ましてや、皮肉でもない。

 ただの事実確認だ。

「……その立場は、望んだものではありません」

 エヴァリーナは、静かに答えた。

「求められた役目を果たしただけです」

「それができる人間は、そう多くありません」

 マティアスは、わずかに視線を細めた。

「多くは、判断を上に投げます。
 責任を避けるために」

 彼女は、反論しなかった。
 それが事実だからだ。

「我々が用意した席は、“補佐”ではありません」

 マティアスは、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「あなた自身が決め、動かし、結果に名を刻む席です」

 その言葉に、エヴァリーナの胸の奥で、何かがはっきりと形を成した。

 ――それは、誘いではない。
 期待でも、依存でもない。

 対等な提示だ。

「……なぜ、わたくしなのですか」

 彼女は、初めてそう問うた。

「他にも、優秀な人材はいるはずです」

 マティアスは、少しだけ考え、答える。

「あなたは、“戻らない”選択をした」

 エヴァリーナの瞳が、わずかに揺れた。

「多くの者は、捨てられても、いつか呼び戻されることを期待します。
 ですが、あなたは境界を引いた」

 その言葉は、正確だった。

「それは、自分の価値を理解している証拠です」

 沈黙の中で、エヴァリーナは思い出していた。

 王城での日々。
 当然のように仕事を抱え、当然のように成果を渡し、
 評価は常に“誰かのもの”だった。

「……即答はできませんわ」

 彼女は、はっきりと言った。

「構いません」

 マティアスは立ち上がる。

「ただ、覚えておいてください。
 この席は、“あなたが戻るまで空けておく”ものではありません」

 エヴァリーナは、顔を上げる。

「……どういう意味ですか」

「選ぶのは、あなたですが」

 彼は、淡々と告げた。

「席は、動いています。
 世界は、止まって待ってはくれません」

 去り際、マティアスは振り返った。

「ですが――あなたが座るなら、そこは最も安定する」

 扉が閉じ、室内に静けさが戻る。

 エヴァリーナは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

「……選ばれる理由、ですか」

 王太子妃候補だった理由。
 それは、家柄と教育と、都合。

 だが今、示された理由は違う。

 自分が選び、引いた線そのもの。

 その夜、エヴァリーナは初めて、王城の未来を考えなかった。
 代わりに考えていたのは――

「……わたくし自身は、どこに座りたいのか」

 答えは、まだ出ない。

 だが一つだけ、はっきりしている。

 今度は、
 選ばれる側ではなく、選ぶ側なのだということを。

 そしてその事実が、
 彼女の心を、静かに、しかし確かに前へ押していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『婚約破棄された公爵令嬢は、王と交わらない道を選ぶ』

ふわふわ
恋愛
婚約者である王太子アルベルトから、一方的に婚約破棄を告げられた公爵令嬢エレノア。 だが彼女は、涙も復讐も選ばなかった。 「婚約は、役目でしたもの。終わったのなら、それで結構ですわ」 王宮を去ったエレノアは、領地に戻り、 干渉しない・依存しない・無理をしない ただそれだけを軸に、静かに領地運営を始める。 一方、王となったアルベルトもまた、 彼女に頼らないことを選び、 「一人の判断に依存しない国」を作るための統治に身を投じていた。 復縁もしない。 恋にすがらない。 それでも、二人の選択は確かに国を安定へと導いていく。 これは、 交わらないことを選んだ二人が、 それぞれの場所で“続けられる世界”を完成させる物語。 派手なざまぁも、甘い溺愛もない。 けれど、静かに積み重なる判断と選択が、 やがて「誰にも壊せない秩序」へと変わっていく――。 婚約破棄から始まる、 大人のための静かなざまぁ恋愛ファンタジー

記憶喪失の婚約者は私を侍女だと思ってる

きまま
恋愛
王家に仕える名門ラングフォード家の令嬢セレナは王太子サフィルと婚約を結んだばかりだった。 穏やかで優しい彼との未来を疑いもしなかった。 ——あの日までは。 突如として王都を揺るがした 「王太子サフィル、重傷」の報せ。 駆けつけた医務室でセレナを待っていたのは、彼女を“知らない”婚約者の姿だった。 ※本作品は別サイトにて掲載中です

逆行した悪女は婚約破棄を待ち望む~他の令嬢に夢中だったはずの婚約者の距離感がおかしいのですか!?

魚谷
恋愛
目が覚めると公爵令嬢オリヴィエは学生時代に逆行していた。 彼女は婚約者である王太子カリストに近づく伯爵令嬢ミリエルを妬み、毒殺を図るも失敗。 国外追放の系に処された。 そこで老商人に拾われ、世界中を見て回り、いかにそれまで自分の世界が狭かったのかを痛感する。 新しい人生がこのまま謳歌しようと思いきや、偶然滞在していた某国の動乱に巻き込まれて命を落としてしまう。 しかし次の瞬間、まるで夢から目覚めるように、オリヴィエは5年前──ミリエルの毒殺を図った学生時代まで時を遡っていた。 夢ではないことを確信したオリヴィエはやり直しを決意する。 ミリエルはもちろん、王太子カリストとも距離を取り、静かに生きる。 そして学校を卒業したら大陸中を巡る! そう胸に誓ったのも束の間、次々と押し寄せる問題に回帰前に習得した知識で対応していたら、 鬼のように恐ろしかったはずの王妃に気に入られ、回帰前はオリヴィエを疎ましく思っていたはずのカリストが少しずつ距離をつめてきて……? 「君を愛している」 一体なにがどうなってるの!?

第一王子様が選んだのは、妹ではなく私でした!

睡蓮
恋愛
姉妹であるクレアとミリア、しかしその仲は決していいと言えるものではなかった。妹のミリアはずる賢く、姉のクレアの事を悪者に仕立て上げて自分を可愛く見せる事に必死になっており、二人の両親もまたそんなミリアに味方をし、クレアの事を冷遇していた。そんなある日の事、二人のもとにエバー第一王子からの招待状が届けられる。これは自分に対する好意に違いないと確信したミリアは有頂天になり、それまで以上にクレアの事を攻撃し始める。…しかし、エバー第一王子がその心に決めていたのはミリアではなく、クレアなのだった…!

何も決めなかった王国は、静かに席を失う』

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、 表には立たず、裏で国を支えてきた公爵令嬢ネフェリア。 だが―― 彼女が追い出されたのは、嫉妬でも陰謀でもなかった。 ただ一つ、「決める役割」を、国が彼女一人に押しつけていたからだ。 婚約破棄の後、ネフェリアを失った王国は変わろうとする。 制度を整え、会議を重ね、慎重に、正しく―― けれどその“正しさ”は、何一つ決断を生まなかった。 一方、帝国は違った。 完璧ではなくとも、期限内に返事をする。 責任を分け、判断を止めない。 その差は、やがて「呼ばれない会議」「残らない席」「知らされない決定」となって現れる。 王国は滅びない。 だが、何も決めない国は、静かに舞台の外へ追いやられていく。 ――そして迎える、最後の選択。 これは、 剣も魔法も振るわない“静かなざまぁ”。 何も決めなかった過去に、国そのものが向き合う物語。

聞き分けよくしていたら婚約者が妹にばかり構うので、困らせてみることにした

今川幸乃
恋愛
カレン・ブライスとクライン・ガスターはどちらも公爵家の生まれで政略結婚のために婚約したが、お互い愛し合っていた……はずだった。 二人は貴族が通う学園の同級生で、クラスメイトたちにもその仲の良さは知られていた。 しかし、昨年クラインの妹、レイラが貴族が学園に入学してから状況が変わった。 元々人のいいところがあるクラインは、甘えがちな妹にばかり構う。 そのたびにカレンは聞き分けよく我慢せざるをえなかった。 が、ある日クラインがレイラのためにデートをすっぽかしてからカレンは決心する。 このまま聞き分けのいい婚約者をしていたところで状況は悪くなるだけだ、と。 ※ざまぁというよりは改心系です。 ※4/5【レイラ視点】【リーアム視点】の間に、入れ忘れていた【女友達視点】の話を追加しました。申し訳ありません。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来

鍛高譚
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」 婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。 王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。 アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。 だが、彼女は決して屈しない。 「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」 そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。 ――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。 彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」

処理中です...