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第十三話 差し伸べられた手
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第十三話 差し伸べられた手
雨が降っていた。
王都の石畳を静かに濡らす、重くも激しくもない、ただ長く続く雨だ。
王城の執務室で、ヴァルターは窓の外を眺めていた。
空は低く、雲は厚い。まるで、この国の現状を映しているかのようだった。
「……報告を」
背後で控えていた側近が、一歩前に出る。
「地方の補助金遅延に関して、三領地から正式な抗議が届いております。
また、軍需関連の支払い停止により、契約破棄の可能性が……」
「わかった」
短く答えながらも、ヴァルターの声には力がなかった。
問題は、理解している。
だが、解決の糸口が見えない。
かつてなら――
この時点で、机の上には選択肢が並んでいたはずだ。
どこを切り、どこを守るか。
誰に譲歩し、誰を説得するか。
だが今は、ただ“問題の山”があるだけだった。
「……アイゼンリッター卿は、今どこに?」
ふと、ヴァルターが問う。
「隣国です。現在は、クロイツ公爵令嬢と行動を共にしているとのことです」
胸の奥が、静かに痛んだ。
――行動を共にする。
それは、かつて自分が当然のように享受していた立場だった。
「……そうか」
それ以上、言葉は続かなかった。
一方、クロイツ公爵家では、エヴァリーナが馬車に乗り込もうとしていた。
行き先は、隣国との国境に近い交易都市。
今回は、視察という名目だった。
「雨の中、お疲れさまです」
先に乗り込んでいたマティアスが、静かに声をかける。
「仕事ですもの」
エヴァリーナは、淡々と答え、向かいの席に腰を下ろした。
馬車が動き出す。
「……昨夜、王城から非公式の打診がありました」
マティアスは、前を向いたまま告げた。
「あなたに、助言を求めたいと」
エヴァリーナは、視線を揺らすことなく答える。
「お断りしました」
「理由は?」
「助言は、責任を伴いません。
それは、最も都合のいい関係ですわ」
マティアスは、わずかに口角を上げた。
「相変わらず、線を引くのが明確だ」
「曖昧な善意は、最も人を消耗させます」
雨音が、馬車の屋根を叩く。
「……では、我々の手は?」
マティアスは、静かに問いかけた。
「あなたが我々の席に座るなら、助言ではなく、判断になります」
その言葉に、エヴァリーナは初めて、ほんの少しだけ視線を落とした。
判断。
それは、逃げ場のない言葉だ。
「……差し伸べられた手は、掴めば戻れなくなりますわ」
「はい」
マティアスは、否定しなかった。
「ですが、掴まなければ、いずれ他の誰かが掴む」
それもまた、事実だ。
交易都市に着いた頃には、雨は小降りになっていた。
港には、人と物が溢れている。
だが、どこか停滞した空気があった。
「……流れが、鈍いですわね」
エヴァリーナが呟く。
「王城の決裁待ちが、多すぎる」
マティアスは、淡々と応じる。
「つまり、ここでも空白が生じている」
倉庫を巡り、商人たちの声を聞く。
不満は、どれも同じだった。
「誰に話せばいいのか分からない」
「返事が来ない」
「決まらない」
エヴァリーナは、ただ黙って聞いていた。
そして、最後にこう言った。
「決まらないのではありません。
決める人間が、いないのです」
商人たちは、はっとした表情を浮かべた。
それは、責任の所在を、正確に突く言葉だった。
宿に戻った夜、エヴァリーナは窓辺に立ち、遠くの灯りを見つめていた。
「……差し伸べられた手、ですか」
王城では、常に誰かに手を引かれていた。
役目、立場、期待。
だが今、差し出されているのは違う。
掴むか、掴まないか。
選択は、完全に自分に委ねられている。
「エヴァリーナ」
マティアスが、静かに声をかけた。
「今すぐ答えを出さなくてもいい。
だが――」
彼女は、振り返らずに言った。
「分かっておりますわ。
この手は、引き返すためのものではない」
沈黙が、二人の間に落ちる。
だがそれは、気まずさではなかった。
同じ方向を見ている者同士の、静かな共有。
その夜、王城ではヴァルターが一人、執務室に残っていた。
机の上には、未決裁の書類。
どれも、重い。
「……差し伸べられた手に、私は気づかなかったのだな」
その呟きは、誰にも届かない。
一方、エヴァリーナは理解していた。
差し伸べられた手とは、
救済ではなく、責任の受け渡しなのだと。
そしてそれを掴む覚悟が、
少しずつ、確かに形を成し始めていた。
雨が降っていた。
王都の石畳を静かに濡らす、重くも激しくもない、ただ長く続く雨だ。
王城の執務室で、ヴァルターは窓の外を眺めていた。
空は低く、雲は厚い。まるで、この国の現状を映しているかのようだった。
「……報告を」
背後で控えていた側近が、一歩前に出る。
「地方の補助金遅延に関して、三領地から正式な抗議が届いております。
また、軍需関連の支払い停止により、契約破棄の可能性が……」
「わかった」
短く答えながらも、ヴァルターの声には力がなかった。
問題は、理解している。
だが、解決の糸口が見えない。
かつてなら――
この時点で、机の上には選択肢が並んでいたはずだ。
どこを切り、どこを守るか。
誰に譲歩し、誰を説得するか。
だが今は、ただ“問題の山”があるだけだった。
「……アイゼンリッター卿は、今どこに?」
ふと、ヴァルターが問う。
「隣国です。現在は、クロイツ公爵令嬢と行動を共にしているとのことです」
胸の奥が、静かに痛んだ。
――行動を共にする。
それは、かつて自分が当然のように享受していた立場だった。
「……そうか」
それ以上、言葉は続かなかった。
一方、クロイツ公爵家では、エヴァリーナが馬車に乗り込もうとしていた。
行き先は、隣国との国境に近い交易都市。
今回は、視察という名目だった。
「雨の中、お疲れさまです」
先に乗り込んでいたマティアスが、静かに声をかける。
「仕事ですもの」
エヴァリーナは、淡々と答え、向かいの席に腰を下ろした。
馬車が動き出す。
「……昨夜、王城から非公式の打診がありました」
マティアスは、前を向いたまま告げた。
「あなたに、助言を求めたいと」
エヴァリーナは、視線を揺らすことなく答える。
「お断りしました」
「理由は?」
「助言は、責任を伴いません。
それは、最も都合のいい関係ですわ」
マティアスは、わずかに口角を上げた。
「相変わらず、線を引くのが明確だ」
「曖昧な善意は、最も人を消耗させます」
雨音が、馬車の屋根を叩く。
「……では、我々の手は?」
マティアスは、静かに問いかけた。
「あなたが我々の席に座るなら、助言ではなく、判断になります」
その言葉に、エヴァリーナは初めて、ほんの少しだけ視線を落とした。
判断。
それは、逃げ場のない言葉だ。
「……差し伸べられた手は、掴めば戻れなくなりますわ」
「はい」
マティアスは、否定しなかった。
「ですが、掴まなければ、いずれ他の誰かが掴む」
それもまた、事実だ。
交易都市に着いた頃には、雨は小降りになっていた。
港には、人と物が溢れている。
だが、どこか停滞した空気があった。
「……流れが、鈍いですわね」
エヴァリーナが呟く。
「王城の決裁待ちが、多すぎる」
マティアスは、淡々と応じる。
「つまり、ここでも空白が生じている」
倉庫を巡り、商人たちの声を聞く。
不満は、どれも同じだった。
「誰に話せばいいのか分からない」
「返事が来ない」
「決まらない」
エヴァリーナは、ただ黙って聞いていた。
そして、最後にこう言った。
「決まらないのではありません。
決める人間が、いないのです」
商人たちは、はっとした表情を浮かべた。
それは、責任の所在を、正確に突く言葉だった。
宿に戻った夜、エヴァリーナは窓辺に立ち、遠くの灯りを見つめていた。
「……差し伸べられた手、ですか」
王城では、常に誰かに手を引かれていた。
役目、立場、期待。
だが今、差し出されているのは違う。
掴むか、掴まないか。
選択は、完全に自分に委ねられている。
「エヴァリーナ」
マティアスが、静かに声をかけた。
「今すぐ答えを出さなくてもいい。
だが――」
彼女は、振り返らずに言った。
「分かっておりますわ。
この手は、引き返すためのものではない」
沈黙が、二人の間に落ちる。
だがそれは、気まずさではなかった。
同じ方向を見ている者同士の、静かな共有。
その夜、王城ではヴァルターが一人、執務室に残っていた。
机の上には、未決裁の書類。
どれも、重い。
「……差し伸べられた手に、私は気づかなかったのだな」
その呟きは、誰にも届かない。
一方、エヴァリーナは理解していた。
差し伸べられた手とは、
救済ではなく、責任の受け渡しなのだと。
そしてそれを掴む覚悟が、
少しずつ、確かに形を成し始めていた。
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