『婚約破棄された公爵令嬢は、線を引く』――戻れない場所で、判断する席に座りました

鷹 綾

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第三十五話 続ける理由

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第三十五話 続ける理由

 見られる覚悟を示したあと、
 王都は一段、静かになった。

 声が消えたわけではない。
 ただ、軽い言葉が減った。

「……問い合わせの質が、変わっています」

 マティアスが差し出した報告書には、
 短く、具体的な質問が並んでいた。

「“失敗後の再挑戦条件は?”」
「“停止後、最短で次に進めるのはいつか?”」

 以前なら、
 責任の所在や裁量への不満が先に来ていた。

「続ける前提で、聞いてきていますわね」

 エヴァリーナは、頷いた。

「ええ。
 “終わらせない前提”に、切り替わりました」

 それは、制度への信頼ではない。
 席が逃げないと、理解された結果だ。

 同じ頃、王城では別の動きがあった。
 若い官吏が、慎重に口を開く。

「……殿下、
 エヴァリーナ様の負担が大きすぎるのでは?」

 ヴァルターは、書類から目を離さず答えた。

「大きい」

「では、権限を分散するべきでは?」

「分散は、責任を薄める」

 即答だった。

「今、問われているのは
 “誰が決めるか”ではない」

 彼は、顔を上げる。

「誰が、続けるかだ」

 その言葉は、
 エヴァリーナ本人には、まだ届いていない。

 クロイツ公爵家の夜は、静かだった。
 書斎の灯りは落とされ、
 彼女は珍しく、何も書かずに座っていた。

「……疲れていますね」

 マティアスが、控えめに言う。

「ええ」

 否定はしない。

「決断より、
 “続ける理由”を考える方が、消耗します」

 止める理由は、
 いくらでも見つかる。

 成果が出たから。
 制度が回ったから。
 十分やったから。

「……では、なぜ続けるのですか」

 その問いは、
 今までで一番、率直だった。

 エヴァリーナは、すぐに答えなかった。
 窓の外を見つめ、
 ゆっくりと言葉を選ぶ。

「続ける理由は、
 わたくし自身にはありません」

 マティアスが、わずかに目を見開く。

「ですが」

 彼女は、静かに続けた。

「席に、理由が生まれてしまった」

 線を引いた。
 条件を示した。
 失敗を公表した。

 その一つ一つが、
 誰かの行動を変えた。

「今、わたくしが席を離れれば」

 声は、揺れない。

「“結局、続かなかった”
 という前例になります」

 制度は壊れなくても、
 期待が壊れる。

「……だから、続けるのですね」

「ええ」

 それは、義務ではない。
 使命でもない。

「壊さないために、
 続けるだけです」

 翌朝。
 王都の掲示板に、
 新しい告示が貼られた。

『次期案件募集を開始する』
『前回停止案件の再申請も受け付ける』

 人々は、それを見て、立ち止まった。

「……戻れるのか」
「条件を満たせば、か」

 声は小さい。
 だが、確かに前向きだ。

 エヴァリーナは、
 その様子を報告で聞き、
 小さく息を吐いた。

「……よろしい」

 記録帳を開き、
 最後に一文を書き添える。

――続ける理由は、
――立派である必要はない。
――壊さないためで、十分だ。

 席に座る者は、
 常に強くある必要はない。

 ただ、
 立ち上がらずに座り続ける理由を、
 手放さなければいい。

 窓の外、王都の灯りは、
 ゆっくりと増えていた。

 派手ではない。
 だが、消えもしない。

 エヴァリーナ・フォン・クロイツは、
 その灯りを見つめながら、
 静かに椅子に背を預けた。

 ――次に試されるのは、
 覚悟ではない。

 続けるという選択を、
 何度引き受けられるかだ。
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