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第三十八話 耐える時間
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第三十八話 耐える時間
席の重さは、ある瞬間に増すのではない。
積み重なった期待が、動かなくなった時に、
じわじわと効いてくる。
朝、クロイツ公爵家。
エヴァリーナの前に並んだ報告は、どれも緊急ではなかった。
「……大きな問題は、ありません」
マティアスの声は、いつも通り落ち着いている。
「進捗は順調。
遅延も、規定内です」
それでも、彼女は頷くだけだった。
「……止まっていない、という報告は
一番、判断を迷わせますわね」
問題があれば、止めればいい。
成果があれば、進めればいい。
だが、“特に何も起きていない”時間は、
判断の理由を与えてくれない。
「耐える時間に、入りました」
彼女の言葉に、マティアスは静かに息を吐いた。
「判断しない、という判断ですね」
「ええ」
進めない。
止めない。
ただ、座り続ける。
それが、最も消耗する。
王城でも、同じ空気が漂っていた。
「……最近、話題がないな」
「何も起きていないからな」
「それは、良いことだが……」
官吏の声には、わずかな落ち着かなさがあった。
人は、変化に慣れる。
そして、変化が止まると、
不安を探し始める。
ヴァルターは、その空気を感じ取り、
あえて動かなかった。
「今は、
動かないことが仕事だ」
その言葉は、
自分自身に向けたものでもある。
数日後。
一件の小さな提案が、エヴァリーナのもとに届いた。
「……基準の一部緩和、ですか」
条件そのものを壊すものではない。
だが、“少しだけ”を積み重ねれば、
線は曖昧になる。
「どうされますか」
マティアスの問いに、
彼女は、すぐに答えなかった。
書類を閉じ、
しばらく沈黙する。
「……今は、受けません」
理由は、簡単だ。
「緩める理由が、
“問題が起きていないから”
だからです」
問題が起きていない時に緩めた線は、
次に問題が起きた時、
必ず戻せない。
返答は、短くまとめられた。
『現行基準で、
不具合が確認されていないため、
変更は行わない』
それだけ。
王都では、
それが小さな話題になった。
「……動かないな」
「何も起きていないのに」
「だからこそ、か」
評価は割れない。
だが、熱も上がらない。
夜、エヴァリーナは書斎で一人、
灯りを落とさずに座っていた。
「……疲れましたか」
マティアスが、静かに尋ねる。
「はい」
即答だった。
「判断を出すより、
判断を出さない方が、
ずっと疲れます」
席に座るとは、
決めることではない。
決めなくていい時間を、
誤魔化さずに受け止めることだ。
彼女は、記録帳に短く書いた。
――耐える時間は、
――成果を生まない。
――だが、秩序を壊さない。
窓の外、王都の灯りは変わらない。
増えもせず、減りもしない。
だが、その“変わらなさ”こそが、
今の答えだった。
エヴァリーナ・フォン・クロイツは、
その静止した時間の中で、
席に座り続けていた。
――次に動く時は、
成果のためではない。
耐えた時間に、
意味を与えるためだ。
席の重さは、ある瞬間に増すのではない。
積み重なった期待が、動かなくなった時に、
じわじわと効いてくる。
朝、クロイツ公爵家。
エヴァリーナの前に並んだ報告は、どれも緊急ではなかった。
「……大きな問題は、ありません」
マティアスの声は、いつも通り落ち着いている。
「進捗は順調。
遅延も、規定内です」
それでも、彼女は頷くだけだった。
「……止まっていない、という報告は
一番、判断を迷わせますわね」
問題があれば、止めればいい。
成果があれば、進めればいい。
だが、“特に何も起きていない”時間は、
判断の理由を与えてくれない。
「耐える時間に、入りました」
彼女の言葉に、マティアスは静かに息を吐いた。
「判断しない、という判断ですね」
「ええ」
進めない。
止めない。
ただ、座り続ける。
それが、最も消耗する。
王城でも、同じ空気が漂っていた。
「……最近、話題がないな」
「何も起きていないからな」
「それは、良いことだが……」
官吏の声には、わずかな落ち着かなさがあった。
人は、変化に慣れる。
そして、変化が止まると、
不安を探し始める。
ヴァルターは、その空気を感じ取り、
あえて動かなかった。
「今は、
動かないことが仕事だ」
その言葉は、
自分自身に向けたものでもある。
数日後。
一件の小さな提案が、エヴァリーナのもとに届いた。
「……基準の一部緩和、ですか」
条件そのものを壊すものではない。
だが、“少しだけ”を積み重ねれば、
線は曖昧になる。
「どうされますか」
マティアスの問いに、
彼女は、すぐに答えなかった。
書類を閉じ、
しばらく沈黙する。
「……今は、受けません」
理由は、簡単だ。
「緩める理由が、
“問題が起きていないから”
だからです」
問題が起きていない時に緩めた線は、
次に問題が起きた時、
必ず戻せない。
返答は、短くまとめられた。
『現行基準で、
不具合が確認されていないため、
変更は行わない』
それだけ。
王都では、
それが小さな話題になった。
「……動かないな」
「何も起きていないのに」
「だからこそ、か」
評価は割れない。
だが、熱も上がらない。
夜、エヴァリーナは書斎で一人、
灯りを落とさずに座っていた。
「……疲れましたか」
マティアスが、静かに尋ねる。
「はい」
即答だった。
「判断を出すより、
判断を出さない方が、
ずっと疲れます」
席に座るとは、
決めることではない。
決めなくていい時間を、
誤魔化さずに受け止めることだ。
彼女は、記録帳に短く書いた。
――耐える時間は、
――成果を生まない。
――だが、秩序を壊さない。
窓の外、王都の灯りは変わらない。
増えもせず、減りもしない。
だが、その“変わらなさ”こそが、
今の答えだった。
エヴァリーナ・フォン・クロイツは、
その静止した時間の中で、
席に座り続けていた。
――次に動く時は、
成果のためではない。
耐えた時間に、
意味を与えるためだ。
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