『婚約破棄された公爵令嬢は、線を引く』――戻れない場所で、判断する席に座りました

鷹 綾

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第三十九話 割れる兆し

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第三十九話 割れる兆し

 耐える時間は、永遠には続かない。
 それが終わる時は、爆発ではない。
 静かな亀裂として、現れる。

 朝、クロイツ公爵家。
 報告書の山に、たった一枚だけ、質の違う紙が混じっていた。

「……共同名義の要請、です」

 マティアスの声が、わずかに低くなる。

「複数の商会と、二名の貴族連名。
 内容は――」

 エヴァリーナは、続きを促さなかった。
 紙を手に取り、黙って読み始める。

『現行基準の維持には賛同する。
 ただし、判断の最終承認を
 複数名体制とすることを提案する』

 文面は丁寧だ。
 敵意も、非難もない。

 だからこそ――
 危険だった。

「……割り始めましたわね」

 彼女は、静かに言った。

「否定ではなく、
 “分ける”方向から来ました」

 責任を軽くする。
 判断を共有する。
 それは、一見すると成熟だ。

「どうされますか」

 マティアスの問いに、
 エヴァリーナは、すぐには答えなかった。

 窓の外を見る。
 王都は、いつもと変わらない。

「……この提案は、
 秩序を壊すためのものではありません」

「善意、ですね」

「ええ。
 だから、断りにくい」

 善意は、最も厄介だ。

 王城でも、同じ要請が議題に上がっていた。

「……分担は、自然な流れでは?」

「負担軽減にもなる」

「今後を考えれば、妥当だ」

 声は穏やかだ。
 だが、その穏やかさが、
 “線を薄くする”。

 ヴァルターは、黙っていた。
 そして、ようやく口を開く。

「……線を引いた時、
 彼女は一人で引いた」

 視線が集まる。

「今、割ろうとしているのは、
 その線そのものだ」

 会議室が、静まる。

 夜。
 クロイツ公爵家の書斎。

「……正面から否定すれば、
 反発が出ます」

 マティアスの指摘は、正しい。

「受け入れれば?」

「責任が、溶けます」

 エヴァリーナは、深く息を吸った。

「……割れる兆し、です」

 秩序が壊れる前に、
 必ず起きる現象。

「どう、止めますか」

 彼女は、ペンを取り、
 白紙の上に、一本の線を引いた。

「分けません」

 短い言葉。

「ただし、
 広げます」

 翌日、告示が出された。

『最終判断の名義は維持する。
 ただし、判断基準・検証過程・
 決定理由を、すべて事前公開する』

 判断は一つ。
 だが、見える場所に置く。

 王都が、ざわめいた。

「……共有しないのか」
「だが、隠しもしない」
「逃げ道がないな」

 賛同も、反発も出ない。
 ただ、重さが増した。

 夜。
 エヴァリーナは記録帳に書き込む。

――秩序は、
――割ると薄くなる。
――晒すと、重くなる。

 責任を分けない。
 だが、閉じもしない。

 それが、
 線を保ったまま、
 耐久を上げる方法だ。

 窓の外、王都の灯りは揺れていた。
 だが、今度は一つ一つが、
 よく見える。

 エヴァリーナ・フォン・クロイツは、
 その光の中に、
 次の試練を見ていた。

 ――次に問われるのは、
 分担でも、独裁でもない。

 この席が、
 どこまで晒されても耐えられるかだ。
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