完璧すぎる令嬢は婚約破棄されましたが、白い結婚のはずが溺愛対象になっていました

鷹 綾

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第27話 抑制の代償

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第27話 抑制の代償

 領地の空気は、王都とは明らかに違っていた。

 湿り気を帯びた土の匂い。
 人々の視線に混じる警戒心。
 そして、はっきりとした――不満。

 グラナート公爵家の馬車が到着した瞬間、周囲のざわめきが一段階変わった。

「……来たぞ」 「本当に、公爵が直々に……」

 セーブル・フォン・グラナートは、馬車を降りると周囲を一瞥した。
 感情の揺れはない。
 だが、張り詰めた空気を正確に読み取っている。

 一方、ヴェルティアは、彼の半歩後ろに立っていた。

(……ここが、前線)

 王都での噂や言葉とは違う。
 ここでは、不満は生活に直結している。

 だからこそ、感情の扱いを誤れば、一気に火がつく。

「……まずは、代表者を集めろ」

 セーブルの指示は的確だった。

 集会所に集められたのは、商会の代表、地主、そして数名の町役人。
 彼らの表情は、硬い。

「公爵殿」

 代表格の商人が、遠慮なく口を開いた。

「新しい税制は、あまりに急だ。
 我々の負担が増えすぎる」

「計算上、過剰ではない」

 セーブルは、即座に答える。

「むしろ、王都基準より緩やかだ」

「数字の話ではない!」

 声が荒くなる。

「現場を知らぬ理屈だ!」

 空気が、きしむ。

 ヴェルティアは、そのやり取りを静かに見ていた。

(……ここで感情が爆発すれば)

 取り返しがつかない。

 セーブルも、それは分かっている。

 だが。

「……現場を、知らない?」

 その言葉が、彼の理性をわずかに削った。

 今まで、数字の裏にある現実を、誰よりも丁寧に見てきたつもりだった。

「私が、どれだけ――」

 声が、低くなる。

 その瞬間。

「殿下……いえ、公爵様」

 ヴェルティアが、一歩前に出た。

 全員の視線が、彼女に集まる。

「……失礼します」

 柔らかい声。
 だが、芯がある。

「負担が増えたと感じるのは、
 数字ではなく、生活の変化です」

 商人たちが、戸惑ったように彼女を見る。

「税率が妥当でも、
 資金繰りの“タイミング”が合わなければ、苦しくなる」

 その言葉に、数人が息を呑んだ。

「……分かっているのか」

 代表の商人が、慎重に問う。

「ええ」

 ヴェルティアは、頷いた。

「だからこそ、制度そのものではなく、
 運用を見直す余地があるはずです」

 空気が、変わる。

 反発から、思考へ。

 セーブルは、その様子を見て、ようやく息を整えた。

(……抑制が、崩れかけた)

 そして、それを支えたのが――彼女だ。

「……具体案を、提示してもらえるか」

 セーブルの声は、完全に落ち着きを取り戻していた。

「はい」

 ヴェルティアは、即答する。

「納税時期の分割、
 一時的な猶予措置、
 そして、商会ごとの調整」

 現実的な提案。

 商人たちは、顔を見合わせる。

「……話が、できるな」

 最初の強硬な態度は、消えていた。

 会合は、数時間に及んだ。

 結論は――即時解決ではない。

 だが、対話は成立した。

 集会所を出たあと。

 外の空気が、少し軽く感じられた。

「……助かった」

 セーブルが、低く言った。

 ヴェルティアは、驚かなかった。

「いいえ」

 彼女は、静かに首を振る。

「私たちで、乗り切っただけです」

 その言葉に、セーブルはわずかに目を伏せた。

(……抑制の代償)

 もし、彼女がいなければ。
 理性が崩れ、対立が深まっていたかもしれない。

 夜。

 宿舎で用意された簡素な部屋。

 外では、風が強く吹いている。

「……今日は」

 セーブルが、言葉を探す。

「危なかった」

「ええ」

 ヴェルティアは、正直に頷いた。

「でも……」

 視線を上げ、彼を見る。

「抑え続ける必要は、ありません」

「……何?」

「抑制は、大切です」

 ゆっくりと言葉を選ぶ。

「でも、抑えきれない感情があると知ることも、
 悪いことではない」

 セーブルは、黙って聞いている。

「今日、あなたは怒りかけました」

「……ああ」

「それは、責任を背負っている証拠です」

 ヴェルティアは、一歩だけ近づいた。

 触れない距離。
 だが、近い。

「そして私は、
 その代償を、共に支える覚悟があります」

 その瞬間。

 セーブルの理性が、はっきりと軋んだ。

(……危険だ)

 触れれば、戻れない。

 だが――。

 彼は、深く息を吸い、抑え込む。

「……今日は、休もう」

 それが、精一杯だった。

 ヴェルティアは、微笑んだ。

(……支え合う)

 それは、
 守る/守られる、ではない。

 感情を抑えきれなくなる瞬間を、
 互いに引き受けるということだ。

 抑制の代償は、重い。

 だが、それを一人で払わなくていいと知ったとき――
 二人の関係は、
 次の段階へと、確実に近づいていた。


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